この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
立憲君主制とは君主の権力を憲法によって制限している政治形態をいうのであって、「制限」される君主の権力があるのが前提である。この意味で、象徴天皇は憲法によって権力が完全否定(「極小」ではなく「ゼロ」である)されているから、立憲君主制というべきでない。
この点は不破議長がすでに説明していたことだが、不破氏の説明の中でイギリスとの違いを強調したのは不適切だと私は思う。現在のイギリス国王は天皇と同じく象徴的存在にすぎず、何らかの政治権力を有する存在であるとは考えられない(憲法の明文で権力を否定している天皇の方がより明確だとはいえるが)。
つまり、「象徴天皇制廃止」はイギリスにおいて「王室制度の廃止」というのと同じようなものだろう。さて、イギリス王室の廃止は「当面する民主的変革の課題」なのだろうか?
念のために「スーパーニッポニカ2001」の田中浩氏による「立憲君主制」の説明を引用しておく。田中氏はイギリスは実態としては「共和国」、日本は「国民主権主義をとる民主国家」と規定している。 これをあえて「立憲君主制」と呼ぶかどうかは、その人の趣味あるいは思想の問題である。天皇や国王を崇拝したい人ほど「君主制」という言葉を使いたがることは間違いない。
立憲君主制 constitutional monarchy:
君主の権力を憲法によって制限している政治形態。立憲君主制は、絶対君主を打倒して近代国家を形成した17世紀イギリスにおいて最初に確立された。もともとイギリスでは、13世紀末以来、議会の地位と権限が順調に発展してきたため、君権は、議会の制定した法律や決定に制限されるという権力制限的思考が強かった。しかし17世紀に入って、君主がその権限の拡大強化を図り絶対君主の道を追求し始めたため、市民革命が起こった。
したがって、名誉革命後のイギリスにおいては、立法権をもつ議会(国王・上院・下院)が行政権をもつ国王に優位するという政治思想が確立された。さらにイギリスでは、18世紀中葉以降、行政権は事実上内閣の掌握するところとなり、続いて19世紀に入って政党政治が確立されるなかで、多数党の形成する内閣が議会に対して責任を負うという形での議院内閣制が政治運営上の基本原則となるに及んで、イギリスは、世界における民主主義国家のモデルとなった。
なるほど、イギリス国王は今日においても国の元首であり、形式的には行政権の長である。しかし、1931年のウェストミンスター憲章によって、イギリス国王は連合王国British Kingdomの象徴としての地位についたから、イギリスは立憲君主制国ではあるが、その政治の実態は、アメリカや今日のフランス、旧西ドイツなどの共和国と同じものであるといえよう。他方、第一次世界大戦前のドイツや戦前の日本でも憲法は存在したが、そこでは、君主や天皇が行政権を掌握し、数々の強大な大権を有し、議会の権限はきわめて弱かったから、立憲君主制といってもそれは名ばかりで、とうていこれらの国々は民主主義国家とはいえなかった。このような立憲君主制は外見的立憲主義とよばれ、イギリスのような立憲君主制は議会主義的君主制とよばれる。
第二次大戦後も君主を擁する国々――その数はいまや十数か国にすぎない――が存在するが、そのほとんどはイギリス型の立憲君主制をとる国が多く、ベルギー、ルクセンブルクなどのように憲法上、国民主権主義を明記している国もある。戦後日本では、憲法上、国民主権主義を明確化し、天皇主権主義を廃止し、天皇は政治的権限をもたない象徴的地位についた。この意味で戦後の日本は、事実上、国民主権主義をとる民主国家と規定できよう。
なお、“sovereign”は「主権者」の意味であって、現在の日本では国民のことである。例えば、国民主権は“sovereignty of the people”という。
「元首」は“head of state”または“chief of state”であって、その意味は前に書いたとおり必ずしも明確ではないし、社会科学的に意味のある概念とも思われない。