この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
「分配論を中心として未来社会をとらえる誤った立場の危険性は実はもっと大きな問題に現れます。 それは、人類史における共産主義社会の位置づけを極端にきりちぢめてしまう議論でもありました」p44
「綱領改定案は、分配方式の問題は、固定的な図式でしばられないという態度をとっています」p74
別に、分配論を中心とした未来社会論が正しいとは思いません。
生産論が軸でいいと思います。生産しても自給自足で分配(交換)に回らないこともありうるわけですから。
だからといって、分配論を切り捨てることが正しいのでしょうか。
たいがい、マルクス、エンゲルスの文章は、生産と分配(交換)はワンセットになっているようです。
エンゲルスは「経済学は生産と交換にかんする学問である」(出典不明)とし、
「空想から科学へ」のなかでは、
「唯物史観の最初の命題はこういう、すなわち、生産、それについでその生産物の交換が一切の社会制度の基礎である。」
「一切の社会変化と政治的変革の究極的原因は・・・・・ではなくて、生産と交換の方法変換のうちにもとめるべきである」としました。
マルクスは「ドイツ・イデオロギー」のなかで、
「その時代の思想の生産と分配をを統制すること」「生産と交通」というかたちで生産と分配(交換、交通)というかたちで、表裏いったいのものに扱おうとしています。
この思考方法を、「固定的図式」ということで切り落とすことには、抵抗感があります。