この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
11、綱領改定案の概観
改定案の全体を概観してみよう。綱領の根幹をなす当面する民主主義革命が憲法の
規定する国家体制の枠内の革命と位置づけられた結果、綱領の他の分野の記述も民主
連合政府に適合的な記述に変えられ、従来の理論的見地を放棄させるものとなってい
るということである。
改定案は「資本主義の枠内で可能な民主的改革」(本稿冒頭の引用参照)というが、
現綱領では「わが国の民主主義革命は、客観的に、それ自体が社会主義的変革への移
行の基礎をきりひらくものとなる。」(第6節)と位置づけられていたのである。開
始された民主主義革命の客観的な過程が観念上の区分である枠内と枠外という人工的
なの線引きのうえにたたずむものではない以上、当然の位置づけである。
マルクス・レーニン主義の「革命理論の根本命題」(上記4・29論文)に基礎づ
けられているという民民統一戦線政府が解体されたこと、「独立」の課題は残された
とはいえ日本の対米従属を概念化した現綱領の「サンフランシスコ体制」という用語
が改定案には存在しないこと、これでは独立とは安保破棄・基地撤去と同義となろう。
事実、第4章の4、冒頭の対米従属についての記述は軍事的側面の記述に一面化(注
1)されている。社会主義論もあるがそれがjcpのjcpたる存在証明というわけ
ではない。社会主義をめざすのは何もjcpの専売特許ではないからである。
また、改定案が新しい時代の現状分析(改定案の生命を扼する基準)にほとんど無
関心であることも指摘しておかなければならない。綱領改定の主たる動機が上記党内
事情であったことはもちろんのこととして、時代変革の物質的基礎として登場してき
たネットワーク社会の形成(いわゆるIT革命)に触れるところがないからである。
現行憲法の下にある日本の現状を憲法の枠内の民主主義革命で「リストラクチャリ
ング」しようとすれば、その民主主義革命とは言葉の本来の意味での革命ではなく民
主主義的改革ということになろう。そして、現行憲法が前提とする社会観は階級なき
主権在民の市民社会である。
第1章「戦前の日本社会と日本共産党」の記述では、冒頭、ロシア社会主義革命の
用語が削除され、jcpの出自が消されてしまっている。jcpが己の過去に向き合
う姿勢がここに端的に示されていると言えよう。第2章「現在の日本社会の特質」で
は現綱領の「二つの敵」(現綱領の戦略的根幹)が消え、支配階級の規定である日本
独占資本がなくなり、「財界・大企業」という矮小化された支配「勢力」に変更され
ている。階級社会論の放棄である。支配階級が支配勢力に矮小化されれば、改定案の
民主主義革命も民主主義的改革となるのは当然である。
第3章「世界情勢」では従来の帝国主義の規定の仕方が放棄され、その「政策と行
動」を侵略性の有無で判断するという一面的なカウツキー理論に置き換えられている。
帝国主義の経済的基礎である独占資本とその体制である独占資本主義を帝国主義から
切り離し、侵略性の有無だけで判断することになれば、グローバルな搾取と収奪の側
面が全く抜け落ちてしまうであろう。これでは世界を震撼させるイスラム世界の反米
闘争の本質を理解できないことになる。第4章「民主主義革命と民主連合政府」につ
いてはすでに検討したとおりである。繰り返しになるが「資本主義の枠内で可能な民
主的改革」(注2)にして「現行憲法の枠内での改革」(不破報告)である。従来の
「科学的社会主義」の見地からすれば、政治・経済システムの根本的転換がない改革
を革命と呼ぶのは言葉の乱用である。
第5章「社会主義・共産主義の社会をめざして」については、社会主義論の新展開
とjcpは宣伝するものの、これまでの検討からすれば洗い直した老舗の「のれん」
とでもいうほかない。
《(注1): なお、軍事的側面に一面化されている点に関連して若干述べておくべ
きことがある。いわゆる「革新3目標」についてである。1971年1月、jcpは
民主連合政府を目標に革新統一戦線の結成をめざして「革新3目標」(日米軍事同盟
離脱・中立、国民生活擁護、民主主義)を提起したが、社公合意(1980年)以降、
民主連合政府の展望が閉ざされるや、第17回党大会(1985年)で「革新3目標」
の改訂を行っている。
第1項である日米軍事同盟からの離脱は次のように変えられた。「日米軍事同盟と
手を切り、真に独立した比較・非同盟・中立の日本をめざす。」(「前衛」No530、
90ページ) 「真に独立した」という文言がくわえられたのであるが、この意味に
ついて不破委員長(当時)は中央委員会報告で次のように説明している。
「安保条約廃棄という従来からの目標について、その性格づけをより明確にしたとい
うことであって、別個の新しい目標を付け加えたものではありません。『真に独立し
た』というのは、現在の日本が『かたちのうえではいちおう主権国家』(党綱領)と
なっているが、実質的には対米従属下におかれ、民族の自決権を侵害されている現状
から脱却するということです。日米安保条約廃棄という課題は、ほんらい、日本が民
族自決権を回復し、真の独立を達成するうえで中心的地位をしめる課題であ」(「前
衛」No530,45ページ)る。
以上のように、無条件で安保条約廃棄=「民族自決権を侵害されている現状からの
脱却」という見方が当時からみられることである。》
《(注2):現綱領の反帝反独占の民主主義革命のうち反独占がどういう意味で民主 主義革命の構成部分となるかについて、不破議長の「結語」で綱領制定当時の議論に 参加した上田、荒堀両氏の興味深い話が披露されている。
「”民主主義革命という場合、アメリカの従属のくびきを断ち切る『反帝独立』の問 題は、かなり具体的なイメージをもってわかるが、独占資本主義の国で、大企業の支 配に反対する反独占のたたかいを民主主義的な内容ですすめるということは、なかな か具体的な姿がつかみにくい問題だった。しかし、一方で民族独立という任務がある わけだから、当然、反独占のたたかいも、社会主義的性格ではなく、民主主義的な性 格のたたかいとして発展するにちがいない。”そういうとらえ方が、意思統一の大き な流れだった、という話がだされました。」
1961年綱領制定当時としては、反独占の闘争が社会主義ではなく民主主義闘争
としての性格を持つことについてよくわかっていなかったことを告白しているが、そ
うしたわかりにくさは当時の反独占闘争の実践例の少なさによるのであり、現在では、
反公害闘争や物価闘争など豊富な経験を経て、反独占の闘争が民主主義的な闘争であ
ることは明確になっていると不破報告はいう。これでは日本の労働者階級の賃金闘争
が例年賃上げ闘争に収まっているかぎりは、民主主義闘争という性格を脱皮していな
いと指摘しても同じ事である。反独占の民主主義闘争という問題は後述する冷戦対抗
解消後のすぐれて現代的な問題となりつつあるのである。遅れて資本主義にやってき
た国の立ち遅れを政治的に表現した反独占民主主義が時代の先端的課題となる歴史の
皮肉がここにもみられるようである。
反独占の諸闘争が現在、民主主義的性質の闘争として闘われているとしても、現行
憲法の枠内での民主的改革や、ヨーロッパ先進諸国並の資本主義のルールを実現する
ことが何故民主主義革命となるかについて、改定案も不破報告も「日本国民の利益を
代表する勢力の手に国の権力を移すことによってこそ、その本格的な実現に進むこと
ができる。」(改定案第4章の11)というだけである。このような説明では全く不
十分であろう。というのも、民主連合政府による民主主義革命の課題は独立の課題を
除いて、ヨーロッパ先進国では反独占民主主義革命なしでおおむね実現しているから
である。しかも、独立の課題の場合も、すでに指摘したように、それが実質的に安保
条約破棄だけで達成されるとjcpが認識しているのであれば、革命「的」課題では
あっても革命の課題とはならないであろう。冷戦対抗という世界史の枠組みが解消さ
れた現実を考慮すればなおさらのことである。
改定案の民主主義的改革は現体制の枠内のそれであるから、権力の移行がなくとも
国民の諸闘争の発展のなかで、あるいは政権交代のなかで順次解決されていく可能性
を一般的には持っているのである。民主主義革命と規定するならば、ヨーロッパ先進
国とは、どのような意味で異なっていて、改革ではなく革命とならざるをえないのか、
その客観的根拠を提示しなければならないであろう。独立の政治課題以外にあるのだ
ろうか?独立しか言えないのであれば対米従属の概念化であるサンフランシスコ体制
の記述は残さねばなるまい。あるいは逆に改革=革命だという「科学的社会主義」の
理論の転換を示さねばならないだろう。》
12、最近のjcpの政治対応について
1998年の参議院選における大勝を契機に、jcpは綱領改定をまたずに「改定
案」を先取りした政治対応をとってきたようにみえる。2000年11月の第22回
党大会決議は、その間の政治対応の定式化であり綱領改定案の下絵ともなっているこ
とが今にしてわかるのである。
安保凍結の不破連合政権論(1998年8月)は、改定案で空白となる現行民主連
合政府に替わる野党連合政権として構想されているようにみえるし、国旗・国歌の法
制化容認論(1999年2月)も憲法の枠内という民主主義的改革の構想に適合的な
法治主義の現れであろう。皇太后死去をめぐる国会の弔意問題(2000年6月)に
ついての対応の変化も、憲法が規定する象徴天皇制との共存論の反映であろう。また、
改定案のブルジョア君主制否定論も現行憲法の全条項遵守の見地から新たに発想され
た議論である。君主制の定義を変更して象徴天皇制を合理化したのである。
一方、対蹠的なのが自衛隊活用論(1999年4月、「新日本共産党宣言」起点、
2000年11月、第22回党大会集約)である。憲法第9条についての憲法学者の
大勢は自衛隊活用論不可ということなのであるが、jcpがこの点ばかりは法治主義
を逸脱しているのはどういう理由によるのであろうか?この変心は改定案の法治主義
ではなく、漸進主義のなせる業というべきであろう。安保凍結の不破連合政権論と連
動した議論であり、古い言い方をすれば戦後革新の分水嶺を渡りつつあるといえよう。
現在の政治情勢(イラク特措法成立、2003年7月)や自民党の改憲策動の本格化
(小泉による自民改憲案作成指示2003年9月)を考慮すれば、憲法第9条厳守の
姿勢であってこそ旧社会党票の獲得も期待できるというべきであろう。
同じく対蹠的な点では党規約改定(2000年11月、第22回党大会)も指摘し
ておかなければならない。この党の特異性は組織論では民主集中性を民主ではなく、
集中性を強化する方向で規約改正したことである。規約第5条党員の権利・義務の項
に「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない。」とある。これでは、
自衛隊活用論批判すら党外で口にできないことになろう。個人の言論の自由が真に実
現されつつあるインターネット社会が到来している時代に、インターネットの威力を
わがものにしなければならないはずのjcpが党員個人の言論表現の自由を制限する
のはアナクロニズム以外のなにものでもなかろう。党の内外で党員個人に自由な言論
を推奨してこそ、国民の信頼がjcpに寄せられるのである。
自由な言論を保障しつつ、党としての統一性をいかに保つかという古くて新しい党
組織論の根本問題(注3)は新たな時代状況に照らして再検討されるべきであり、そ
の方向は民主制の強化であることは疑いのないところである。
さらに、現在の政治情勢を考慮して今ひとつ付け加えれば、党規約改定と同様、選
挙戦術や活動スタイルが従来のままであることである。選挙戦術一つとっても、来る
べき総選挙では全小選挙区立候補ということであるが、これでは党のセクト性丸出し
といわれても仕方のない選挙戦術である。現在の政治の緊急課題の一つは改憲阻止な
のであって、民主連合政府ではないのだから、党勢拡大に優先する護憲議席確保の選
挙戦術が採られるべきだろう。政治情勢と関わりなく党勢拡大のみを目標とする選挙
戦術では、無党派との共同というjcpの遠大な運動方針とも矛盾するであろう。
《(注3:)jcpは党の民主集中制の現状を批判されるたびに1950年代の分裂
の教訓であることを強調するが、コミンフォルム論評やGHQによる党中央委員の公職
追放が行われた特定の一時代の一つの経験を絶対化し時代の変化を見ないのは愚の骨
頂であろう。
今では省みられることのなくなったロシア共産党(ボ)第10回党大会(1921
年3月、この大会でレーニンは長大な演説を行っている。レーニン全集32巻参照)
における党組織問題に関する決議「党建設の諸問題について」は今日でもまったく正
しい。
「革命的マルクス主義の党は、革命過程のすべての段階に通用する絶対的に正しい党 の組織形態というもの、同様な党の活動方法というものの探求を根本的に否定する。 反対に、組織形態と活動方法は完全に、所与の具体的・歴史的状況の諸特質およびそ の状況から直接的に生み出される諸課題によって規定される。」(第1項) 「この見地からすれば、いかなる組織形態や照応する活動方法も、革命の発展の客観 的諸条件の変化にともなって、党組織の発展の形態からこの発展の枷に転化しかねな いことが理解できる。そして反対に、通用しなくなった組織形態も、照応する客観的 諸条件の復活にさいしては、再び不可欠かつ唯一の合目的なものとなりうるのである 。」(第2項)
以上の二つの引用は藤井一行氏の著作「民主集中制と党内民主主義」(青木書店、 1978年、145~146ページ)によるが、このような見地はレーニンに聞くま でもなく当然のことであろう。政党の組織はその政策を実現するために最も時代に適 合的もの、つまり、国民の支持・結集を得られるものでなければならないからである。 jcpが議会を通じての多数派革命をめざすのならばなおさらのことである。今や、 jcpの時代錯誤の党規約は党の消長を決定する重要問題となって浮上しつつあると いえよう。歴史を振り返れば、革命政党の組織は時代の民主主義を越える民主主義を 党内で実現することなしには多くの革新的人材を結集できないことは歴史の法則であ る。》
13、おわりに
以上のように、綱領改定案は改定案ではなく、全く別の綱領=不破綱領の誕生であ
る。
jcpの改定案は激動の世界史の渦中にあって党の生き残りをかけた対応であり、
その意味では旧習墨守でないことはいうまでもない。従来の理論的枠組みからみれば、
社会民主主義への転換である。
しかしながら、このような特徴づけが一面的であることもまた事実なのである。と
いうのは、現代世界がレーニンの時代から見れば決定的なまでに大きな変貌を遂げた
からであり、帝国主義戦争をめぐる対応が分水嶺となり、社会民主主義と共産主義が
分離した時代の理論で現在の社会民主主義と共産主義を十全に論じきることはできな
いだろうからである。
冷戦対抗をも戦後世界史の一過程として過去のものとし、社会主義諸国を飲みこん
だばかりか、アメリカ帝国主義の超絶的な軍事力・武力行使の制約要因になっている
現代世界の民主主義運動という新たな「妖怪」が出現しているようにみえるのである。
、それは遠くベトナム反戦運動を先蹤とし、資本主義諸国の共産党や社会民主主義政
党を自己の一構成部分として成型し直し、それら諸党の組織と戦略の、したがってま
た運動の再構成を迫っているように見えるのである。先進資本主義国の民主主義運動
が共産党や社会民主主義政党によって担われ、政党によって分断されていた冷戦時代
とはまさに逆の現象が起きているのである。日本ではこの民主主義運動は政党不信を
共通のカラーとする独特な無党派の運動として勃興しつつあり、各政党はこの得体の
知れぬ無党派への「親和力」の程度によりその消長が試されているように見えるので
ある。
レーニンはかつてその『帝国主義論』において、独占資本主義の政治的特徴は政治
反動であると述べ、みじめに切り刻まれた当時の民主主義に時代の未来を託すカウツ
キーを批判したが、現代においては民主主義(運動)は独占資本主義の添え物ではな
く、当時とはまったく別の新たな地平に到達したようにみえるのである。伝統的なマ
ルクス主義の見地からすれば、この現代の民主主義運動もやがては階級分化をとげて
いくものとみるのであるが、もはや、政党ごとに分断された普遍性に欠ける民主主義
運動にもどることはないであろう。というのも、社会主義諸国の崩壊と世界の民主主
義運動の勃興という二つの対蹠的な世界史的事件を引き起こしたベースにはネットワー
ク社会の形成という新たな時代の起動因が横たわっているからである。
端的に言ってネットワーク社会に支えられた現代の民主主義とその運動をどうとら
えるかである。この現代の民主主義とその運動という世界史の測量儀に照らして旧来
の共産主義(運動)も社会民主主義(運動)も論じ直さなければならないであろうし、
同様に、戦後民主革命の挫折を法的に表現した現行憲法が未完の戦後民主革命の申し
子たるjcp綱領を圧倒していく事実もこの測量儀に照らして検討されるべきであろ
う。
以上、jcp綱領改定案の特徴を述べてきた。本来、改訂の根拠となる時代状況の
根本的変化を明確にし、その変化に対応した「科学的社会主義」の見地の変化を中央
委員会報告で説明したうえで、それらの変化を必要な範囲で明確な文章にして改定案
に盛り込み改定案を提示すべきところであるが、それらの明示を避けたまま、したがっ
て、なしくずし的に現綱領を換骨奪胎し社会民主主義の綱領に変えたものである。唯
一の例外が改定案の第5章・社会主義論に関連する不破報告におけるゴータ綱領批判
の部分である。
jcp中央が提起した改定案を来るべき党大会で決定することは拙速にすぎるので
あり、改定案を一案として3年程度の時間をかけて、党内外の議論を参考に旺盛な議
論を起こし、国民的な討論の広がりを背景に改定案制定作業を進めることを求めたい
のである。これまで2号だされた党内討論報をみても、従来のものとは様変わりであ
る。無内容な双手をあげて賛成という投稿は影をひそめ、賛成であっても様々な注文
がつく投稿が多くなっているのも、これまでの検討からすれば当然のことである。党
中央が無用な注文(討論報No2末尾参照)をつけて投稿を制限することなく、様々な
投稿を掲載することを要望する。