この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
質問にお答えします。
? 戦前の朝鮮人強制連行で責任を問われているのは日本国家であって、現在は存在 しない戦前の「天皇制」ではありません。亡き昭和天皇の個人責任を問うというなら まだしも、象徴天皇制や現在の昭仁天皇に責任を問うという議論は韓国・北朝鮮でも どの程度あるのか?
(お答え)現在の明仁天皇には何の責任もないでしょう。「日本国家が戦前の朝鮮人
強制連行で責任を問われていること」は意見が一致するようです。結局、象徴天皇制
というシステムに対するdemocratさんと私の見解の違いに還元されてしまうというこ
とになると思います。
韓国・北朝鮮での議論については、私の頭の中にあるだけで、客観的に説明できる資
料を残念ながらもっていません。
日本国憲法の公布文をみてください。
http://list.room.ne.jp/~lawtext/1946C.html
公布文
朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深く よろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国 憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
御名御璽
昭和二十一年十一月三日
これをどう解釈するのか、または解釈にもあたいしないのかは別にして、私はここに 形式的なものであれ「戦前と戦後の連続性」をうったえる論拠をみるものであります。
? 戦前の強制連行の責任について言えば、戦前の国家無答責の法理や除斥期間が問 題となるわけですが、人道に反する国家犯罪にはそのような法理は適用されるべきで ないということに尽きるでしょう。
(お答え)「国家無答責の法理や除籍期間」について、私は法律家ではありませんの
で、なんとも答えようがありません。
韓国・北朝鮮の人々が、日本の国内事情を斟酌してもらえるとは、とても考えられま
せん。日本にはまだエンペラーが存在すると取られても仕方のないことです。
? なお、私は北朝鮮の拉致問題と強制連行問題をリンクして論じるべきでないと考
えています。両者はともに「国家対国家」の問題ではなくて、「国家対民衆」の問題
であって、被害者である民衆個々人から見れば一方で他方が相殺されるような問題で
はないのです。つまり、どちらも人道に反する国家犯罪として別個に厳しく糾弾され
るべきものです。
拉致に対する北朝鮮非難に対して強制連行を対置する議論は、逆に強制連行を拉致
で相殺する議論と同じレベルの議論であって、まさに小泉と金正日が手打ちしようと
した「国家の論理」そのものです。
(お答え)強制連行問題をもって、拉致問題をなきものにする意図はないし、できま
せん。
私が言いたいのは、数十万人の人間より数十人の人間のほうが尊いというような議論
がおこなわれているということです。全く倒錯した論理です。「無理がとうれば、道
理引っ込む」です。よっぽど歴史認識が浅いのか、民族蔑視・排外主義の問題が深刻
なのなのか、政府・マスコミがあおってるのか、いろんな要素がからまっていると、
思いますが、それをときほぐしていきたいのです。
それなくして、相互理解の道はないからです。歴史という文脈で考えないと拉致問題
は解決しません。下手をすれば、戦争という最悪の事態をまねきかねないと危惧する
ので、強制連行はどのようなものであったのか解明する必要にせまられたのです。
もし38度線に火がつけば、東アジア全域が「祭り」になるでしょう。
? その他の宮内庁や立憲君主制に関する反論に関しては、すでに私の書いたものを よくお読みください。
(お答え)9月2日投稿文では「(宮内庁は)天皇をコントロールするための政府機
関である」と述べられていますが、私は支持できません。
宮内庁が天皇をコントロールしているか、コントロールされているかは、曖昧化され
ているようです。今後の私の研究課題です。
逆にいえば、私がdemocratさんを納得させる論拠をしめすことは、現時点ではできな
いということです。
少なくとも、天皇個人に権力(権限)があるかどうかは別にして「宮内庁は権力(権
限)をもっている」ことに意見の一致がみれたと思います。
天皇個人は別にして、象徴天皇制がなんらかの権力(権限)をもっていることは、ギャ ラリーの皆さんには示すことができたのではないかと、自負するしだいです。
こんな回答でよろしいでしょうか。