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綱領改定討論欄

 この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。

天皇制問題を中心に

2004/9/9 I生、40代、末端労働者

 はじめて投稿させていただきます。
 このような議論をされているサイトがある事を最近まで知りませんでした。
 川上さんや、澄空さん達の真摯で論理的な投稿は、多くの示唆に富んでおり、敬意 をもって拝読させて頂いております。
 天皇制の問題につき、議論が白熱しているようですが、以下に、党に送りました私 の意見書を記載させて頂きたいと思います。
 ひと月以上前に記したものですので、皆さんの意見と重複するやも知れませんが、 何かの足しにでもなれば幸いです。

綱領改正案について ―天皇制問題を中心に―

改正案四(十二)憲法と民主主義の分野で
10 天皇条項については、「国政に関する権能を有しない」などの制限規定の厳格な 実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。  党は、一人の個人あるいは一つの家族が「国民統合」の象徴となるという現制度は、 民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一 貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。 しかし、これは、憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国 民の総意によって解決されるべきものである。

 上記の規定は、現行憲法第一条「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象 徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く。」という条文の解釈を 述べたものであると考える。
 憲法改正については、憲法九十六条による改正の手続きを踏んでも、改正できない 限界があるとされている。
 つまり、もとの憲法典との同一性を失わせるようなもの、例えば、国民主権を天皇 主権に代えるというような、現行憲法が基本原則としているものの改正などはできな いという事である。しかし、天皇条項は、その条文自体に「この地位は主権の存する 日本国民の総意に基く」という文言が含まれており、改正は可能と解するのが通説で ある。

 従って、わざわざ綱領に書くまでもない当然の事であるともいえるが、だからと言っ て綱領に書く事自体は、何ら問題ではない。
 今回の綱領改正の大きな目的として「現代に即して、分かりやすい」ものにする旨 が志位氏や不破氏から挙げられていたように思う。
 そのことに対しても何ら異論はないし、全面改定であっても、それが発展的なもの であれば、大いに賛成である。
 しかしながら、改定案の天皇制に関する部分が、現綱領と比較して、あるいは報道 による両氏の発言からして、意図的にとも思われるほど、現行天皇制の存続を承認し ているかのような規定となっていると感じられることは大問題である。

 その第一は、綱領改定案が、天皇制廃止を「将来」の問題と規定し、「現在」と切 り離している事である。

 案は、一方で、「党は...民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立 つ」としながら、他方「その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によっ て解決されるべきものである」と述べ、現在の問題として取り上げるのではなく、ま た、天皇制廃止・共和制実現に対する現在の実践的関わりについては、何ら触れてい ない。
 将来とは言うまでもなく現在以降のすべての時の経過時点、あるいは、そのある一 時点であろうが、現在と全く切り離して存在するものではない。現在の積み重ねが将 来とも言える。
 従って、党が、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つと言っ ても、現に何らの働き掛けもしなければ、天皇制を廃止しようという総意も形成され る筈はなく、画餅に帰するものである。

 憲法改正手続きを経て天皇制廃止が可能であるという解釈を述べる事と、そのため に党・および党員がどのような行動を取るのかとは全く別問題である。
 かような天皇制廃止の問題を「将来」の問題として切り離すが如きは、核兵器廃絶 の問題を「究極」の目標とする政府の方針の論理と似通っており、事実上の棚上げで あるという気がするのは私だけであろうか。

 第二に、現綱領決定以来、一貫して掲げられてきた「君主制の廃止」という文言が、 案から削除されていることである。

 その真意は何なのか、私には、にわかに断じがたいが、不破氏は講演の中で、党は 「42年前に綱領を決めたときも、実際にはもっと前からですが、『天皇制打倒』の 旗をかかげたことは一度もない」と発言している。
 これは驚くべき発言である。どのような意味で不破氏は「天皇制打倒」という言葉 を理解し、使用しているのか理解に苦しむが、少なくとも私は「天皇制打倒」「天皇 制をたおし」などの文言は、天皇制廃止と同義に解している。
 また、現綱領における「この権力は、労働者、農民、勤労市民を中心とする人民の 民主連合の性格をもち、世界の平和と進歩の勢力と連帯して独立と民主主義の任務を なしとげ、独占資本の政治的・経済的支配の復活を阻止し、君主制を廃止し、反動的 国家機構を根本的に変革して民主共和国をつくり、名実ともに国会を国の最高機関と する人民の民主主義国家体制を確立する。」という革命の政府において「君主制を廃 止」するという文言は、天皇制の廃止の意味ではないとでも言うのであろうか。

 党が民主共和制を目指す立場に変わりがないのであれば、なぜ「君主制の廃止」と いう文言を綱領から削除するのか。これは明らかに、党の天皇制に対する廃止の立場 を曖昧にし、各党員の行動指針を曖昧にする後退であり、改悪である。

 不破氏は報告において、「主権在民の原則を明確にしている日本は、国家制度とし ては、君主制の国には属しません。せまい意味での天皇の性格づけとしても、天皇が 君主だとはいえない」と断じている。
 天皇が君主と言えるかどうかは、君主というものの概念規定によるのであって、単 に主権の帰属にとらわれず「君主」というものを理解しようとするのが現代的傾向で ある。
 伝統的な国家形態論によれば、主権が一人に帰する場合を「君主国」といい、その 主権が帰属する自然人を「君主」と称する。これによれば、現行憲法下の天皇はいう までもなく君主ではない。
 また、伝統的君主観においては、概ね、①特別の身分を背景に一般に世襲的にその 地位が継承される独任制機関で、②統治権の重要部分を掌握し、少なくとも行政権の 主体ないし調整権的機能を持つ存在であって、③対外的に国家を代表する権能を有し、 ④国家的象徴性を備える、という点に共通性を持つといわれる。
 これによれば、天皇は、①と④の要素(世襲性・象徴性)を備えてはいるが、②と③ の要素(統治的権能・元首性)については欠くところが多く、その意味では君主とはい えないことになる。

 しかしながら、伝統的な君主とされるものも、立憲民主主義思想の進展に伴って、 その法的権能が大臣の意向に基づいて行使されるようになった結果、名目化する顕著 な傾向が見られ、その実体からすれば、特別の身分を背景にその地位が世襲的に継承 され、国家的象徴機能を果たしているのが現在の君主ともいえるのである。
 天皇は、これに加えて、形式的にではあるが幾つかの国家的重要な行為(衆議院の 解散など)をなし、また条約批准書などの認証や外国の大使・公使の接受を行うなど 一定の対外的行為をもなすものである。
 このように、憲法論的な視点から見ても、天皇は、「現代的意味における君主であ る」ということはできても、「君主ではない」と断じることは決してできない。

 なお、不破氏は、イギリス国王の施政方針演説を例に、イギリスは立憲君主国であ るが、日本は、天皇に、統治権に関わる権限、「国政に関する権能」がないことが、 憲法に明記されており、イギリスとは異なり立憲君主国ではない旨述べている。
 しかし、イギリスにおいても、議会において国王が勝手に政府の施政方針演説と異 なったことを述べる事が許されるものではないはずである。かような行為を行えば、 当然に、イギリス憲法違反となるであろう。

 イギリスにおいては「君臨すれども統治せず」という伝統が憲法上の要請ともなっ ているが、これは、ドイツ系のジョージ一世(在位1714-1727)が王位を継承するに あたり、英語が話せず、国情にも疎かったという個人的事情から始まったものであり、 民主主義・国民主権の理念が先にあって生じたものではないが、結果としては、それ が国王の権限の制限と民主主義の発展という面からも肯定されるに至ったものと考え られる。
 かように、君主制は、国・国家としての歴史的、地理的、文化的背景において異な るものであることは当然であって、その世界史的方向は、君主主権から、その権限の 制限、国民主権の確立、君主制の廃止、共和制への移行と向かうべきものである。
 その一連の経過の中で、限定されてはいても、天皇が一定の憲法上の権限(国事行 為、内閣総理大臣・最高裁判所長官の任命など)を有し、また、憲法上規定のない国 会開会式における「おことば」を述べ、外国の元首との慶弔親電の交換、および接受 等を行っているという事実から見ても、実際の天皇制が、現在現時点における「君主 制」であることには変わりはないと考える。

 仮に、不破氏の如く日本の天皇制を君主制と捉えず、それ故、君主制の廃止という 文言を綱領案から削除したというのであれば、天皇制が民主主義と反するという立場 に立つことに変わりはない筈であるから、もっと明確に、あらゆる形態の「天皇制の 廃止」という文言を綱領に記せばよい事であって、また記すべきである。

 第三に、民主主義革命との関連における問題である。

 一般に、革命という言葉は、権力の移動を伴うような体制の大変革を指すものであ ると考えられる。現綱領において「現行憲法は、...民主的平和的な条項をもつと同 時に、天皇条項などの反動的なものを残している。天皇制は絶対主義的な性格を失っ たが、ブルジョア君主制の一種として温存され、アメリカ帝国主義と日本独占資本の 政治的思想的支配と軍国主義復活の道具とされた。」と規定し、天皇制の反動的役割 についても述べている。
 であるからこそ、先に述べた部分において「独立と民主主義の任務をなしとげ、独 占資本の政治的・経済的支配の復活を阻止し、君主制を廃止し、反動的国家機構を根 本的に変革して民主共和国をつくり」と規定し、民主主義革命というものが、資本主 義の枠内の改革であっても、対米従属状態からの脱却とその意味における国家主権の 回復、独占資本のための利益を国民多数の利益に変革することだけではなく、君主制 の廃止をなし遂げ民主共和制に移行する事が、反動的国家機構の根本的変革に必須の ものであると捉えていたのではないかと考える。

 しかしながら、改定案のように天皇制廃止を将来の問題として切り離し、「対米従 属と大企業・財界の横暴な支配の打破」を内容とする改革をもって、民主主義革命と することは、はたして革命の名に値するものといえるのであろうか。

 この点、不破氏は、綱領案の「日本の独占資本主義と対米従属の体制を代表する勢 力から、日本国民の利益を代表する勢力の手に国の権力を移すことによってこそ、そ の本格的な実現に進む事ができる」という規定を指摘し、「つまり、そういう形で、 国の権力を、ある勢力から別の勢力の手に移すことによって、初めて民主的改革を全 面的に実行する事ができるようになるわけだし、この変革を革命と意義づける根拠も そこにあります。」と述べる。

 しかし、それこそ、現行憲法に明記された「主権の存する国民」の選挙による代表 者を通じた政府の、一方的通告による安保条約廃棄と大企業の横暴に対する民主的経 済改革であり、それに伴う一連の平和的・政治的・経済的改革が行われたとしても、 それを「民主主義的大改革」と呼ぶことはできても、君主制を廃止し、共和制に移行 するという根本命題をなおざりにしたままで、はたして「民主主義革命」と呼ぶこと ができるのか、疑問に感じざるを得ないのである。

 いずれにせよ、不破氏が、「天皇制に対する現時点での態度と将来の展望、こうい うものを、民主主義の党として一貫した形で明確にする」というのであれば、綱領に 「天皇制の廃止」を目指すことをはっきりと明記すべきである。
 さもなくば、党の名に共産を冠するに値しないものと言わざるをえない。

 以上、浅慮ではあるが、綱領案について、天皇制問題を中心に若干の考察と疑問、 提案を試みたものである。建設的討議と批判の基礎になれば幸いである。