投稿する トップページ ヘルプ

綱領改定討論欄

 この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。

綱領改定案の民主連合政府の研究(1)

2003/9/11 原 仙作

1、はじめに
 改定案では現綱領にあった民族民主統一戦線政府が消失し、それにかわって民主連合政府が登場している。なぜ、このような変更が行われたのか、その真相に迫ってみたい。改定案の民主連合政府論が改定案を理解するキーポイントであり、改定案の全構成をも決定したと考えるからである。2003年6月に開かれた日本共産党(以下jcpと略記する)第7回中央委員会総会において、不破議長が行った綱領改定案についての報告(以下、不破報告という)は肝心な民主連合政府創設の経緯には触れていないのである。

2、「発展的な整理」の外観
 まず、変更の内容について確認しておこう。
 改定案第4章「民主主義革命と民主連合政府」では次のように述べている。

「現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破-日本の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である。それらは、資本主義の枠内で可能な民主的改革であるが、・・・・日本国民の利益を代表する勢力の手に国の権力を移すことによってこそ、その本格的な実現に進むことができる。」

 この改定案の文章は改定案の集約点というべき位置にあること、このことにあらかじめ注意を喚起したうえで検討に入りたい。
 この民主主義革命を推進する政府を『民主連合政府』と称し、現綱領の民族民主統一戦線政府(以下、民民統一戦線政府という)と、同じく現綱領にいう「民主勢力がさしあたって一致できる目標の範囲」でつくる統一戦線政府=民主連合政府を「発展的な整理」(不破報告)で「区別をなくし」たものだという。
 そこで「発展的な整理」で「区別をなくし」た、つまり統一した主な部分をみると、二つの統一戦線政府を民主連合政府という名称で一本化し、それに合わせてそれぞれの政府の政治課題を整理・統合していることである。第1に従来の民主連合政府綱領には入っていなかった独立の課題が民主連合政府の課題に取り入れられたこと、第2に民民統一戦線政府の課題である「君主制の廃止」がはずされたことである。
 したがって改定案にいう民主連合政府は現在の民主連合政府をベースに独立の課題を取り込み民主主義革命の政府に格上げしたものということができる。

3、「発展的な整理」が必要になった原因
 では、何故にこのような形で統合することが必要とされるのであろうか? 問題はこのような「発展的な整理」を必要とするにいたった原因は何かということである。
 不破報告はその点について次のように述べている。①現綱領には民民統一戦線政府が実行する改革の具体的規定がなかった。②1957年の綱領作成時にはまだ、安保条約にもとづく安保廃棄通告という道筋が得られなかった。③反独占民主主義闘争の発展(公害、物価など)。
 しかし、これらの指摘は問題への回答になっていないであろう。というのも、現実の国民の諸闘争が独立の問題と民主連合政府綱領で課題としている反独占民主主義の闘争を結びつけて広範に闘われているという現実を指摘できなければ、改定案の「発展的な整理」は机上の議論にすぎないからである。だが、不破報告はそうした国民の諸闘争を指摘できないばかりでなく、国民の諸闘争自体が1980年代以降、低調化の傾向にあることは諸論者の指摘を待つまでもない。
 改定案の民主連合政府が独立を課題とする国民の広範な闘争を背景として打ち出されてきたものではないことをここで確認しておこう。

4、「独立」という政治課題が教えること
 次に改定案の民主連合政府がもつひとつの特徴を検討してみよう。民主連合政府はその政治課題に独立の課題を取り込んだが、民主連合政府の実現可能性という点を検討してみよう。1973年の第12回党大会において民主連合政府綱領の提案が行われたが、独立という課題を民主連合政府綱領に取り入れなかった理由を報告者・上田は次のように述べている。

「第2は、安保条約廃棄と独立の課題という問題です。日米安保条約廃棄は、もちろん日本共産党が一貫して追及してきた目標ですが、その課題が政府綱領提案にかかげられているのは、わが党がむりやりもちこんだものではありません。たとえば社会党の第2次草案も、安保条約廃棄をかかげておりますし、中道主義政党の公明党の政権構想にも、安保条約即時廃棄がかかげられるにいたったことがしめしているように、・・・革新的世論が一致して要求している国民的課題です。・・・しかし、広範な革新勢力が安保廃棄、中立化という統一的要求を掲げているということは、かならずしも独立という課題、サンフランシスコ体制打破の課題でも一致しているということを意味していません。というのは、従属か独立かという問題にかんする日本の現状の評価や目標の意義づけに関しては、国政革新をかかげる勢力の間にも、現にいろいろな見解があるからです。」(「前衛」No363、171ページ)

 この上田報告を読むと隔世の感があるが、そうした時代であっても、民主連合政府の課題から独立ははずされていたのである。したがって、独立を政治課題に取り込んだ民主連合政府を作り上げることは現綱領の民民統一戦線政府を作り上げることと同様の困難な道を進まなければならないわけである。ということになると、改定案の民主連合政府を作り上げる前に、「さしあたり一致できる目標の範囲」(現綱領、第6節)でつくる統一戦線政府が必要になってくることが予想されるのである。事実、改定案の中には次のような一文がある。

「統一戦線の発展の過程では、民主的改革の内容の主要点のすべてではないが、いくつかの目標では一致し、その一致点にもとづく統一戦線の条件が生まれるという場合も起こりうる。党は・・・さしあたって一致できる目標の範囲で統一戦線を形成し、統一戦線をの政府をつくるために力をつくす。」(第4章の13)

 明らかに現在の民主連合政府の復活である。改定案では現在の民主連合政府を民主主義革命の政府に格上げしたうえで、空白となった現行民主連合政府の位置に新たに現在の民主連合政府と同様(?、同様かどうかは現在のところ不明であるが、実際にjcpが打ち出した最近の連合政権論は安保凍結の野党連合政権であることを考慮しておく必要があろう)の政府を別個にまた構想しているわけである。これでは何のために民民統一戦線政府と民主連合政府を統一したのかという事が問われることになるのである。
 このように検討してくると、改定案の民主連合政府は、客観的情勢というよりも党の側の何らかの事情による「発展的な整理」であるということがわかってくるのである。客観的情勢が現行の民主連合政府と同様の改良の政府を必要とするのなら、現行の民主連合政府を革命の政府に格上げする必要はないからである。

5、現行憲法の枠内という基準の登場
 そこで党の側の事情とは何かということを明らかにする手がかりを得るために民民統一戦線政府の政治課題と改定案の民主連合政府の政治課題の異同を現行憲法との関連で検討してみよう。
 まず、現綱領の民民統一戦線政府の政治課題をみてみよう。

「この権力は、労働者、農民、勤労市民を中心とする人民の民主連合の性格をもち、世界の平和と進歩の勢力と連帯して独立と民主主義の任務をなしとげ、独占資本の政治的・経済的支配の復活を阻止し、君主制を廃止し、反動的国家機構を根本的に変革して民主共和国をつくり、名実ともに国会を国の最高機関とする人民の民主主義的国家体制を確立する。」(第6節)
 この民民統一戦線政府の政治課題と改定案の民主連合政府の政治課題を比較すると、すでに指摘したように君主制の廃止の課題が後者には含まれていない。君主制の廃止は日本の国家体制を規定している現行憲法との関係でいえば、現行憲法の変更を必要とする問題である。
 改定案の民主連合政府はその政治課題から君主制の廃止を放逐することにより、現行憲法が規定する国家体制の枠に収まる民主主義革命の政府となっているわけである。
 改定案は民主連合政府の政治課題について「現行憲法の前文をふくむ全条項をまもり、とくに平和的民主的諸条項の完全実施をめざす。」(第4章の11)ということができるようになるわけである。現綱領の場合、民民統一戦線政府の政治課題に君主制の廃止を掲げているので、「現行憲法の・・・全条項をまもり」とは口が裂けても言えなかったことなのである。
 現行憲法との関連で双方を比較すると、現行憲法が規定する国家体制の枠組みに収まる改定案の民主連合政府の姿がクローズ・アップされてくるのである。
 どういう理由によるのか不明(この点は後で明らかになる)であるが、現行憲法が規定する国家体制の枠内の民主連合政府が創設され、その枠組みを突き破る民民統一戦線政府が消失したのである。新旧の民主主義革命の政府の生死をわけた基準として現行憲法の規定する国家体制の枠内に収まるか否かという基準が新たに登場していることがわかるのである。

6、不破報告の後講釈
 このような新たな基準による「発展的な整理」について不破報告は次のように述べている。

「これ(君主制廃止条項のこと-引用者・注)は綱領を最初に決めた当時、現行憲法の枠内での改革と、憲法の改定を必要とする改革との区別が十分明確にされていなかった、という問題点と結びついていたものだったと思います。」

 しかし、このような説明は事実をいつわる後講釈というべきである。綱領草案作成時においては、国民の間に戦争の惨禍にたいする生々しい記憶が残っており、民主主義革命において天皇制を残存させる議論が全く問題にならなかった結果なのである。当然、君主制の廃止という政治課題が現行憲法を改変することなしには不可能であることも十分理解されていたのである。
 1961年の「中央委員会による綱領(草案)についての報告」で宮本書記長は次のように報告している。

「つぎに、以上の経過を経てつくられた綱領草案には、第7回大会できまった草案とくらべてどのような必要な補足または叙述の充実がおこなわれているかを、草案の叙述にしたがって説明する。・・・1、現行憲法の問題について新しい叙述が加えられている。・・・草案が現行憲法について新しい叙述をくわえたのは、戦後の民主革命の挫折という問題と、現行憲法の関連を戦後の政治過程のなかで位置づけ、我々がどういう意味で現行憲法を擁護し、同時に、どういう点では手をしばられるものではないということを明らかにするためである。」(「日本革命の展望」上、16ページ)

 不破発言のいう「現行憲法の枠内での改革」は綱領上では今回初めて発想された議論なのである。