この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
A:「”必要に応じて”とは言い換えれば、人間が欲するだけの生産物をいつでも自由に手に入れるようになることです。これが理想社会の目標だとしたら、あまりにも寂しすぎる、侘しい話ではないでしょうか」P44
B:「壮大さとロマンをもった共産主義のこういう未来像と対比すると、”必要に応じて”を最大の旗印とした分配論的な未来像は、あまりにも貧弱ではないでしょうか」P45
C:「後者(分配論)は、主として人間の消費生活の側面から未来をとらえるという一面性を、まぬがれえません」P45
不破さんが「あまりにも寂しすぎる、侘しい」「あまりにも貧弱だ」と嘆くことには理由があると思います。
実感がこもってます。不破さんが「誠実さ」をもって論を展開していることに注目したいのです。
むしろ、そこにポイントがあるのではないかと私は推察します。”必要に応じて”が人間が欲する生産物をいつでも自由に手に入れるようになることと位置づけていますが、
そう考えるなら”お寒い話”ということになるでしょう。
現行綱領では、
社会主義日本では「能力におうじてはたらき、労働におうじてうけとる」の原則が実現され、
共産主義の高い段階では「能力におうじてはたらき、必要におうじてうけとる」状態に到達する
とあります。
ところで、「欲望におうじて」という言葉を耳にしたことがあります。どこから紛れ込んだのでしょうか。
拙文をお読みされているかたで、いきさつをご存知のかたがあれば、教えてください。
Cの文章をみると「生産と分配」の問題が、「生産と消費」の問題にすりかわっています。
あれ、不思議、
消費=欲望の問題ということで見事につながっています。
この手品のしかけがわかる方は、種あかしを教えてください。
PS ぶんぱいろんを入力すると「分派異論」と変換されました。まさか、分配論が志賀義雄らの分派闘争を想起させているのでは。