この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
我が共産党候補の腰の低いこと! それだけなら悪いことではないが、自信のなさ、自分の言葉になりきらないものを語る個性のなさが目立つ。力強さが感じられない。
党幹部が大衆に向かってあわれっぽく「議席を守って」「勝たせて下さい」とは何だ? それは大衆の自覚した部分がその他の大衆に向かっていう言葉であるはずだ。そういう部分がいなくなってしまったからではないのか? それというのも党が大衆の自覚した部分を育てる仕方を忘れてしまった結果にすぎないのではないか? 階級的団結と連帯は、労働と生活の現場で、多彩な要求を生き生きとした創意工夫によって戦いとる活動─大衆的活動、大衆運動の中からしか生まれようがないのだ。
大衆運動の中から経験と理論によって武装された組織と規律が生まれ、革命的な段階では新しい権力の母体に発展する。二重権力の一方を形成することになる。革命が勝利した暁にはプロレタリア独裁すなわちプロレタリア民主主義を実行する主体になる。
(不勉強な)共産党員諸君、大衆運動の発展こそがプロレタリア独裁を実現し、プロレタリア独裁こそがほんとうに徹底した民主主義をもたらすものだということを知りたければ、ロシア革命のルポルタージュ、「世界をゆるがした十日間」を読んでみてごらん。革命とは無名の大衆があらゆる場所で果てしなく議論しているような状態であることがわかるだろう。「代議士」だけが、大衆が無口な分だけ饒舌であるような弱々しい民主主義、ブルジョア民主主義とはちがうのだ。ついさっきも、婦人の方がこう言うのを聞いたよ、「イラクイラクっていうけど、戦争反対の意思表示をしたくてもするところがないじゃないの。赤旗読んでもどこにも書いてないよ」って。シーンと静まってしまった大衆運動(共産党が弱いかぜんぜんないような外国でも、けた違いに大きな運動が起きているのを君たちはどう思っているの?)─党員諸君がそれに少しでも責任を感じているならば、自分が何のために入党したのか、いちから勉強し直すべきである。不破哲三の学者風マインドコントロールにいとも簡単にひっかかってしまうようなひ弱な精神状態、それこそが問題なのではないか? そういえば不破のへたくそな演説のものまねをして、自分の方から大衆を遠ざけている候補者の多いこと! 駅前に人を大勢集めて大衆をびっくりさせようというような安易なやり方も、そろそろやめにしたらどうだろう? だいいち以前ほど人が集まらなくなっているのでは? それよりも党員の一人一人が、労働と生活の現場で自分の言葉で語るべきではないだろうか?