この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
かつて、共産党は、「戦前、社会主義者よりも、民主主義者、共産主義者のほう
が、厳しい弾圧に曝されていた」と、語っていた。
それは、何故か。
当時、「社会主義」は、経済体制の違いであるという面が強調され、国家による計
画経済ということが、戦時統制経済と図らずも、共通する側面があると考えられるこ
とがあった。
しかし、民主主義は、「人は生まれながらにして、自由・平等である」という原理
に基づき、また、共産主義(マルクス主義)は、その理念をさらに発展させるもので
あって、人間の解放を謳い、天皇制に、真っ向から対峙し、否定する理念であったか
らである。
私自身は、社会主義という言葉自体は、マルクス主義と基本的に同義として考えて いるが、社会主義には、当然、民主主義の理念が含まれているという広義の意味と、 資本主義という経済体制に対する用語としての、狭い意味での「社会主義」という語 法として使われているというのが、一般的ではないかと思う。
従って、広義の社会主義者という意味においては、当然に、天皇制までも否定する 者たちの筈であったであろうが、そのような者たちも、経済体制の側面を強調し、そ のことによって、表面上、現実の弾圧から逃れざるを得ないという事情もあったであ ろうとも考えている。
いずれにせよ、民主主義者、共産主義者たちは、天皇制を否定する立場であったの
である。
当然、現在の憲法学の基本書にも、天皇制が、民主主義の理念に反するもの、相容
れないものとして、紹介されているのが普通である。
しかしながら、そうした立場に立ち、「君主制の廃止」「天皇制の廃止」を、綱領 に明記すべきである、と主張している者たちの方が、今大会の不破報告においては、 「主権在民の原則そのものを軽んじるものにほかならない」などと、何故に、批判さ れなければならないのであろうか?!
単に、「多数の意見に従う」というのであれば、どこに、変革の党、革命の党とし
ての存在意義があると言うのか!!
マルクス主義の、真理を追究し、体制を変革し、自由と民主主義の発展を目指し、
自治的共生の社会を築こうとする、革命的伝統は、どこにあると言えるのか!!
弾圧の中で、天皇制打倒を掲げ、民主主義の発展を願って闘った、小林多喜二を始 めとする、戦前の党員たちの姿勢と、口先だけ、「天皇制国家の専制支配と侵略戦争 に反対して、平和と民主主義のために勇敢にたたかいぬいた不屈の記録」などと述べ ながら、「君主制の廃止」とも、「天皇制の廃止」とも綱領に掲げようとしない、不 破氏を始めとする、現在の党指導部の姿勢の、どこに、共通点が見られるというので あろうか!!
「ブルジョア君主制の一種」という規定に関しても、多くの批判的論証が行われて いるにも拘わらず、
>「国政に関する権能」をもたないものが「君主」ではありえないことは、憲法論 のうえで明白であります。
などと、何の反証さえも行わず、ただ、「七中総でのべたように」と繰り返すだけ の、不破氏に対しては、まさに、誠実さの微塵も感じられないのである。
今大会での不破報告は、公開討論版の、佐方 基氏の、「憲法学界でもこうした説 は一部には存在するが、基本的には少数意見」(NO.5)、天下 平氏の「天皇は、 『現代的な意味における君主である』ということはできても、『君主ではない』とは 言えない。」(NO.7)、とする批判的論証、先に触れた、南沢氏の質問、また、令名 巌氏、河村 哲氏、丘美 一氏、等々の多くの方々の疑問に対する、何ら、まとも な回答となっていない。
これでは、180度、解釈を変え、天皇制を容認するという方針を打ち出した中央 に対し、反対意見を述べ、批判する意味が、全くないばかりか、「ガス抜き」にさえ ならないであろう。
不破氏は、
> つけくわえていえば、天皇を「君主」扱いして、憲法が禁じている「国政に関 する権能」を、部分的にもせよ、天皇にもたせようとしているのが反動派の復古主義 的なたくらみであります。党の綱領に「君主制」という規定を残すべきだという議論 は、実践的には、こういう復古主義者たちを喜ばせる性質のものとなることも、あわ せて指摘するものであります。
などと、自分がこれまで言ってきたことには、まったく頬かむりし、「天皇制を容 認」するということのみを至上命題とし、白を黒と言いくるめるための、本質を隠そ うとする、くだらない弁明らしきことを述べている。
不破氏の言うが如くであれば、いかなる意味においても「君主」でも何でもない者 が、どうして、曲がりなりにも、国民による選挙で選ばれた、国家の行政府の長であ る内閣総理大臣、国務大臣、国民審査のある最高裁判所長官等に対する、任命権・認 証権を有し、その任命式・認証式において、かくの如く、恭しく、最敬礼を受け、任 命状・認証状を授与するということができるのか?!
現行憲法上、たとえ、どんなに、形式的なもの、儀礼的なものに過ぎないと言いた かろうが、天皇だけが、幼少、緊急事態等の理由のある場合を除いて、これらの者の 上に立ち、任命・認証することができる唯一の存在なのである。
仮に、党が、連立政権に加わり、閣僚が出るようなことにでもなれば、その任命式
・認証式に、出席すると、不破氏は、表明していたのではないか?!
そこで、党「閣僚」は、恭しく、最敬礼し、任命状・認証状を天皇から、授かるの
ではないか?!
これを、「君主」と呼ばずして、なんと呼ぶのだ!!
天皇は、国事行為のみを行うとされている制限「君主」であるからこそ、きちん と、それ以上の越権行為を決して許さない、と言えるのではないか!!
さらに言うならば、不破氏は、天皇が、「君主扱い」さえされなければ、「無害」
であり、永久に廃止しなくてもよいとでも言いたいのか?!
そういった世論を醸し出したいとでも言うのか?!
そうしたいがために、憲法学界においても少数派である、「非君主制説」を採った
とでも言いたいのか?!
その姿勢の、どこに、人間の平等と民主主義の理念を貫き、発展させようとする、
共産党の本来の姿が見られるというのか!!
そのような容認の姿勢こそが、「実践的には、こういう復古主義者たちを喜ばせ る」ものであり、君が代・日の丸、「国旗・国歌」化を、易々と成立させる先導的役 割を果たした、不破氏を始めとする党中央の犯罪的行為と通底するものではないのか !!
今日の、教育現場の実態に対して、あるいは、もうすでに、「愛国心」評価を行っ
ている所もあるという現場の方々に対して、あなたは、どれくらい、責任を感じてい
ると言うのか!!
「復古主義者たちを喜ばせる」などと言う、その言葉、その非難は、不破氏、「あ
なたにこそ相応しい!!」と、そっくりそのまま、お返しする!!
天皇は、統治権を有していようといまいと、権限が制限されていようといまいとに 拘わらず、世襲という形で、国家の制度として一個人を、その他の国民の上に置く存 在であり、現代的意味での「君主」であって、「人は生まれながらにして、自由・平 等である」という、近代市民革命以来の、自由と民主主義の理念に反するからこそ、 廃止しなければならないと訴えることこそ、さらなる人間社会の発展を目指す、マル クス主義の理念にかなうというべきものではないのか!!
それこそ、共産党の使命ではないのか!!
不破氏は、実は、憲法学界において、「非君主制説」が、少数派であることは、承
知しているのであろう。もし、本当に知らないのであれば、それこそ、本当の、阿呆
である。
そして、多くの批判に対し、まともな反論ができない事を承知の上で、それに対す
る反論を行わず、無視し、相手の反論しにくいであろうと思われることにだけ、触れ
るのである。
これは、誠実さとはかけ離れた、氏の政治主義的思考に支えられた、「詭弁論的手
法」の一つであろう。
そして、かように「君主制の廃止」を削除することを「正当化」した上で、何の論
証も行わず、「天皇制の廃止」という文言を載せることまでも、「不適当」であると
いうような気分にすり替えさせようとするのであろう。
しかも、「これ」の主語がわからないという指摘を受けて、「天皇の制度」など と、わざわざ、使ったこともないような言い回しで表現している。
> 私たちは「天皇制」という言葉は略称として使ってはおりますけれども、憲法 に「天皇制」という規定があるわけではありませんので、綱領の文章としては「天皇 の制度」という厳密な使い方をすることにしました。
「天皇制」は、単なる「略称」なのか?!
どの憲法書にも、「天皇制」という言葉が書かれているし、また、一般的に
も使用されている言葉を、敢えて、「天皇の制度」と言う必要性があるのか?!
党自身、戦前から、「天皇制」と使ってきたではないか!!
それでは、「君主制」と言うのは、「君主の制度」と言い換えなければならないの
か?!
また、新綱領自体、「二、現在の日本社会の特質(四)」では、現行憲法の説明と
して、「形を変えて天皇制の存続を認めた天皇条項は、…」と使っているではないか
?!
そもそも、天皇制問題とは、単に、憲法上の問題だけで、すむ問題なのか?!
そうまでして、「わが党は、『君主制の廃止』『天皇制の廃止』を目指すなどと
は、一言も掲げていません」と、反動勢力に、媚び諂いたいのか!!
党員や国民の目を誤魔化したいのか?!
はっきり言ったら、どうなのだ!!
「『民主主義革命』は、『民主主義改革』であって、革命ではありません」と。
遥かかなたの共産主義社会のことには触れても、「君主制(天皇制)の廃止を目指 す」という、戦前から掲げられてきた旗は、どんな詭弁を弄してでも、斯くの如く引 き摺り下ろし、絶対に掲げようとしない。
まさしく、党の綱領とは「公然と掲げられた旗」であって、必ずや、「世間の人々 はそれによって党を判断する」(エンゲルス)ことであろう。
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不破さん。
私は、本当は、年上の人に、こんなことは、あまり、言いたくないのです。私は、
本来は、昔気質の人間ですから、それなりに、礼節というものを大事にしたいと思っ
ている者なのです。
しかし、どうしても言わなければならないことは、親であろうが、年上の人であろ
うが、言わなければならないと思うのです。
あなたが、党大会で、詭弁論に全力を尽くして、力説されているように、「天皇制 は、君主制ではない」と言えば言うほど、あなたの解釈では、前(61年)綱領の、 「ブルジョア君主制の一種」という規定は、「間違いであった」と力説していること になるということが、お解りの上で、ご発言されているのでしょうか?!
仮に、あなたの解釈が正しいのであれば、あなたの、これまでの最高指導者として
の責任を、どうお考えになるのでしょうか。
42年半もの間、「間違った」解釈を、党員や民青同盟員に指導し、党外の方たち
に対してもそのように説明し、また、説明させてきたことに対する責任を、どうお考
えになるのでしょうか。
あなたは不思議なことに、それだけ、「天皇制は、君主制ではない」と力説してお られながら、61年綱領を、「間違った」規定、「誤った」規定とは、一言も仰ってお られませんですよね。
61年綱領の「ブルジョア君主制の一種」という規定は、「正しい」のですか?
あなたの解釈では、「違う」のでしょう?!「間違い」なのでしょう?!「誤り」
なのでしょう?!
だったら、「間違っていた」「誤りだった」と、どうして言わないのですか?
「不破哲三は、共産党の最高責任者であるから、間違いなど犯す訳はない」とで
も、仰りたいのですか?
まさか、そのようなことは、共産党の議長が、仰る筈はないですよね。
それでは、もう一度、伺います。何故、「間違っていた、誤りだった、申し訳な
い、お詫びします」と、言わないんですか?!
今回の報告の中でも、ただ、「君主制の廃止」あるいは「天皇制の廃止」を目指す ことを、綱領に、明確に記すべきであると主張している者たちに対して、「党の態度 は明確であります」と言いながら、またしても、私達の方が「誤解」していると言 い、記載しないのだそうである。もう、その「他人様の誤解論」は、止めて頂けませ んか?!
あなたの解釈や、弁明や、沈黙は、私のような凡人には、到底、計り知れないもの
なのでしょうね。
私は、あなたの新解釈が真実であり、これまでの規定が間違っていたのなら、これ
まで語ってきた知人、友人たちに謝ることも、吝かではない、と申しました。
「間違い」を「間違い」とも言わず、「誤り」とも言わず、党員、支持者、国民の
皆さんに対して、一言のお詫びも、反省の弁も語っておられない。
そのような誠意の欠片さえも、全く見られない、あなたの報告において、あなたが
言う、「多数者革命に背を向け、主権在民の原則そのものを軽んじるものにほかなら
ない」のは、どちらなのでしょうか?
天皇制を廃止するためには、憲法改正が必要なことは、言を俟ちません。
そのようなことも、批判されている皆さんが、分からないで、公開討論版等に意見
表明されているとでも、不破氏は、考えているのでしょうか。
それでは、わざわざ、何時間か、或いは、何日間かかけて、意見書を書かれ、提出
された皆さん方を、あまりにも馬鹿にしている失礼な言い方なのではないでしょう
か。
徳仁くん・雅子さんの結婚や愛子ちゃんの誕生を使っての、「愛国心」発揚と右傾
化の中で、「雅子さんから、雅子さまへ」「愛子さま」などと奉るマスコミ報道に倣
う知人や友人たちに、私自身は、「雅子さんは、雅子さん、でしょう。愛子ちゃん
は、愛子ちゃん、でしょう。」と言い続けてきました。
「美智子さんが結婚されたときは、『ミッチー』だったし、徳仁くんは『なるちゃ
ん』、清子さんは『サーヤ』って呼ばれていたそうだよ」と…。
中には、「愛子さま」と呼んでいた方も、私の問いかけに、自問される方や、天皇 制を支持しながらも「『愛子さま』は、おかしいよな」という方が居られました。会 話や何かの表現物等を通しながら、お互い、一人一人、自分で考えて行くことが、民 主主義の発展であり、地道ではあっても、多数者革命へと繋がる道ではないのでしょ うか?!
今現在の、多数者の意思を以って、「主権在民の原則を軽んじるもの」などと言っ
て、「君主制(天皇制)の廃止」を綱領に掲げるべきだと主張する者たちを非難す
る、あなたは、「現状追認」ということが「多数者革命」であるとでも捉えているの
でしょうか。
であるなら、もう「革命」は成っているのではありませんか?
「自衛隊容認」派が多数であるのなら、憲法9条を「改正」して、正式な軍隊とし て、憲法上、明記すべきであるという方々の「主権在民」の意思を尊重してあげた ら、如何ですか?
あなたには、弁証法という考えが、解っているのでしょうか?!「革命」というこ とが解っているのでしょうか?!そもそも、民主主義というものが、解っているので しょうか?!
民主主義というものは、決して、制度だけあればよいのでも、固定的なものでもあ
りません。
それを担う、国民の一人一人の意識の発展がなければ、形骸化し、後退し、さらに
は、崩壊することにもなるでしょう。
綱領に、「君主制の廃止」「天皇制の廃止」という文言を一切、掲げず、しかも、
「その存廃」は、「将来、情勢が熟したとき」と言い、それまでの実践や主体的関わ
りについては、全く何も触れていない。
これが、いったい、革命政党の「綱領」なのであろうか?!
自由と民主主義に対する意識、主権者意識、人権意識の発展を願っているのは、日 本共産党議長である、あなたなのか、それとも、平党員であり、巷をうろうろしてい る、愚かな虫たちの一匹である私なのか。
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この間、「赤旗」やニュースなどで、42年半ぶりという綱領全面改定大会の顛末 を、リアルタイムで見て来られた皆さん。
このように、共産党は、今まで、長年、「正しい」言ってきたことが、一夜にし て、180度、変わってしまうのです。しかも、最高責任者は、そのことに、何のお 詫びもしないどころか、これまでの規定が正しいと主張している者のほうこそ、民主 主義を軽んじているかの如く、非難しさえするのです。
私は、以前の投稿で、「このような指導者たちを上部組織に抱く党が、権力を握っ
たとき、『国民が主人公』などという政治ができる筈がない。世間の人が、そのよう
なことを、信じられる筈がない。」と断言しました。
皆さんは、どのように、この党大会をご覧になり、どうお感じになったでしょう
か。
あの場で実質上、全員賛成した約1000名もの人々は、私のような疑問を持た
ないのでしょうか。
マインド・コントロールされているのでしょうか?
私には、不思議な、そして異様な世界としか言いようがありません。
私は、これまで、「天皇制は、ブルジョア君主制の一種であり、人間の平等と民主 主義に反する」と知人たち、友人たちに、語ってきましたが、今回の大会決定で、危 惧していた通り、今度は、私自身の方が、「お前は、ずっと何十年も、君主制だと 言っていたではないか?!」と、問い質されることになるのでしょう。
私は、ただの平党員ですが、これまで言ってきたことを変えるようなことは致しま せんし、全く納得していないことに対し、変えることなどできません。
私と違って、憲法学・政治学などを教えて来られた、学者党員の方々にお聞きした
いのです。
あなた方は、職務として、あなたの学問的信条として、学生達に、「君主制であ
る」と教えてきた筈ですよね。あなた方は、この大会決定を、どう捉え、どう対処
し、学生達に、これから、どう教えて行かれるおつもりなのでしょうか?
私は、内心、学者・法律家党員に、若干ではありますが、期待していたのです。こ のことは、「さざ波」編集部の皆さんにも話しておりました。「さざ波」トピックス で、編集部の方も、問われております。
前回は、渡部照子弁護士が、ただ一人、勇気ある行動を以って、継続審議を訴えて
おられました。
今回は、前回のことがありましたから、その間隙を縫って、大会に出ることは困難
であったであろうことは、容易に、推測されます。
しかし、「左翼知識人の理論責任」として、今回の解釈変更に対して、法律雑誌な
り、ホームページなりで、その学問的信条を述べられるべきではないのですか?
そうでなければ、学問の自由、大学の自治など、護れないのではないですか?
日本の憲法学界では、少数説であった「非君主制説」が、一挙に「多数説」に変
わってしまうようなことになるのでしょうか?
それとも、また、あの、「ネオ・マル粛清」の再現を怖れておられるのでしょうか
?
もしそうであるのなら、私には、これ以上、何も申し上げることは、ございませ
ん。
私は、やはり、田口先生や、高橋先生たちは、立派だったと、今更ながら、再確認 するばかりであります。
最後に、一つだけ、
申し上げておきたいことがあります。
不破さん。
あなたは、「天皇制は、ブルジョア君主制の一種である」という規定は、実は、 「正しい」と、本心では、思っているのではないのですか…?!