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綱領改定討論欄

 この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。

あまりに感情的な天皇制論-愚等虫氏へ

2004/1/25 democrat、40代、弁護士

 天皇制についてはすでにたくさん書いたからもう投稿しないつもりだったが、あまりに感情的・観念的、かつ、ほとんどデマとしか思えない「憲法学」の引用までされているので、一言しておく。

 まず、ここで最初に私が投稿したように、今回の綱領改定で象徴天皇制に対する党の態度は従前と基本的に何ら変わっておらず、マスコミの「天皇制容認」という取り上げ方は全く不正確でためにするものでしかない。その点では、今回の大会報道で読売や産経が、逆の立場から、「言葉だけソフトで本質は変わっていない」と論評している方が正確である。

 さて、「天皇は君主か」という問いに、現代の若者はじめ多くの国民はイエスと答えるだろうか? 「君主」とは広辞苑によれば「世襲による国家の統治者」であり、「君」(人の上に立って支配するもの)や「主」(あるじ)という漢字の語義からも、言葉の通常の理解としては支配や統治の主体という意味を不可分に伴うものだ。だから、現憲法が国民主権を宣言し、憲法規定上明確に天皇の政治的権能を否定しているにもかかわらず、天皇に対して「君主」という言葉を用いるのは、言葉の通常の意味において強い拒絶感を私は感じる。
 また、君主制と民主制が本来相容れないものであることを考えれば、現代日本が「君主制」であると強調することは「主権在民の原則を軽んじるもの」ということにならざるを得ない。

 こうした常識的な立場が憲法学界で「少数派」であるとはいかなる根拠によるものか、是非お聞きしたいところであるが、最もスタンダードな憲法学の基本書である佐藤幸治の「憲法」は、次のように述べている。

 「天皇が君主としての性格をもつといえるかどうかは、君主というものの概念規定いかんにかかわる。伝統的な国家形態論によれば、主権が1人に帰する場合を「君主国」といい、その主権が帰する自然人を「君主」と称する。これによれば、日本国憲法下の天皇はいうまでもなく君主ではない。」

 上記の常識的理解と一致するこうした明快な説明で十分と思うが、あえて主権の帰属にとらわれずに君主を理解しようとする傾向によっても、「君主」とされるものはおおむね次の要素を備えるとされる。
 ①特別の身分を背景に一般に世襲的にその地位が承継される独任制機関で、
 ②統治権の重要部分を掌握し、少なくとも行政権の主体ないし調整権的権能を持つ存在であって、
 ③対外的に国家を代表する権能を有し、
 ④国家的象徴性を備える。
 したがって、こうした理解によっても、「天皇は①と④の要素を備えてはいるが、②と③の要素については欠くところが多く、その意味では君主とはいえない」のである。ただ、内閣の助言と承認の下に形式的にいくつかの②と③にかかわるの行為をなすから、「極めて限定されて意味においてである」が「天皇も君主といえないことはない」といえる程度である。

 要は、「君主」の概念規定を二重にも三重にもルーズなものにしてはじめて、天皇を「君主」と呼ぶことが可能となるのである。だから、現代において天皇をあえて「君主」と呼ぶ者は、天皇を君主に祭り上げたい保守反動主義者か、あるいは、戦前と戦後の支配構造の変化が理解できず、「天皇」と聞けば反射的に「廃止」とか「打倒」と叫ばないと日和見だと信じ込んで疑わない観念左翼なのである(「両極端は相接する」)。

 このことは繰り返し述べたように実践的にも重要な意味を持つ。天皇が「君主」であるなら、当然、「君主らしい扱い」が正当化されるからだ。マスコミの仰々しい敬語やタブーはまさにその帰結であろう。憲法上、主権者は国民であり、天皇は「象徴」という機関にある公僕にすぎない。だからこそ敬語をはじめ君主扱いは、《憲法に照らして》不当なのである。このことはいくら強調してもしすぎることはない。他方、「天皇制廃止」をいくら叫んだところで、こうした君主扱いに対する批判にはならない(「立場の違い」で片づけられるだけだ)。

 犬丸義一氏は赤旗評論特集版で、「天皇制廃止」といわないことが教育現場の日の丸・君が代の強制との闘いに悪影響を及ぼすのではないかと書いていた。しかし、日の丸・君が代の強制に対して「天皇制廃止」を掲げて闘うべきなのであろうか? そのようなことをすればたちまち孤立して排除されるだけであろうが、問題のとらえ方としても全く誤っている。真の問題は国家主義的強制と思想良心の自由の侵害であって、同じことは星条旗の下でも起こっていることだからだ。

 最後に、「では61年綱領は間違っていたのか」とか、「日本は共和制なのか」という議論が赤旗評論特集版でも繰り返し出ていたが、実につまらない揚げ足取りだと思う。
 前者は、61年綱領の表現が不正確だから訂正する、ただそれだけのことであろう。当面の変革で天皇制廃止が課題とならない点で綱領の方針に変化はない。にもかかわらず、あえて「君主制」に固執して天皇は「君主」であると強調する、さらにはマスコミの誤った「天皇制容認」報道に追随する、・・・まさに「保守反動を喜ばせるだけ」である。

 日本が「共和制」かどうかは、前に引用した宮沢俊義のように明快に「共和制」であるといってかまわないと思うが、そうでなくても「主権在民の民主主義国家」であるといえば十分であろう。「君主制の一種」などとあえていう必要は全くない。