この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
長々と反論をいただき、とりあえずお礼申し上げます。
コメントする前に、私がなぜこの問題にこだわるのかお話ししましょう。
前に書きましたが、私は十数年来現行天皇制に関する国民主権逸脱、政教分離原則
違反を争う訴訟に取り組んでいます。司法の分野では数少ない現行天皇制批判の訴訟
です。この訴訟はその争点もそれを支援する運動も、合い言葉は「主権者は国民」、
「天皇は君主ではない」そのものなのです。私がはじめて憲法を学んで以来、こうし
た訴訟に長年取り組んできた全過程を通じて、「天皇は君主でない」ということはご
く自然な理解・感覚として身につけてきたものです。
だから、今回の綱領改定で「君主制」の規定を改めたことは、全く当然、むしろ遅
きに失した思いがあったくらいです。逆に、さざ波や赤旗評論特集版で「君主制」で
あると強調し、固執する意見の方々には、後ろから鉄砲で撃たれるような不愉快な思
いがずっとしていて、なぜ今あえて天皇を「君主」などと呼ぶ必要があるのかという
怒りさえ感じます。そのため、批判の言葉が多少厳しくなったかもしれません。
次に、あなたが「憲法学界で少数派」と言われたことに対し、私が「ほとんどデマ」
と言った理由です。
あなた自身、佐藤幸治の基本書をお読みになったのならわかるでしょうが、「君主」
かどうかはその概念規定にいかんにかかわる問題であって、あなたが断定したような、
「君主と呼ばないのは少数派」などという問題ではありません。誰か憲法学者が「多
数派」、「少数派」という言葉を使っていたでしょうか? この「多数派」・「少数
派」という無内容なイメージ操作による議論を、私は「ほとんどデマ」といったわけ
です。
いかなる概念規定を採るかは論者の思想的政治的立場次第です。すなわち、あえて 「君主」という言葉を使いたい論者は、伝統的で法制度的に明確な概念規定を二重三 重に緩めて「君主」と呼ぶわけです。我々が国民主権の徹底を願うなら、「君主」と いう言葉の本来の語義と歴史的意義、一般国民へのイメージ喚起力を考慮して、「君 主」などという言葉を国民主権の憲法の下で使うべきではないでしょう。
それから、「共和制」という言葉について。
宮沢氏のように「君主を有する国家体制が君主制であり、それをもたない国家体制
が共和制である」という定義に立てば、天皇が君主でないなら当然日本は共和制とい
うことになります(なお、宮沢氏はあなたが引用した直前で、日本国憲法の天皇は君
主の性格をもっていないと解すべきだとはっきり書いています)。私がそれに留保を
つけたのは、「かつて君主であったが、今は君主ではない」君主制の残滓として現在
の天皇が存在するからです。だから、「共和制」という言葉を用いなくても「君主制
ではなくて主権在民の民主主義国家」といえば十分だと言ったわけです。これも「共
和制」の定義と語感によるものですが、いずれにせよ「君主制」という言葉を使用す
べきでないという趣旨は同じです。
ところで、あなたは次のように書かれました。
>私は、あなたの解釈を読ませて頂いたとき、驚きを禁じ得ませんでした。日本が、 共和制と断定していいのですか?!と。
>そのような、解釈(共和制説)を採れば、それこそ、「革命は、もう成っているの ではないですか?!」と、繰り返したくなりました。
これこそ私には驚きそのものです。象徴天皇制を廃止することは「革命」なので
しょうか!? これは61年綱領の立場ですらないはずです。
宮沢氏が「8月革命」と表現したように、戦前の絶対君主であった天皇が戦後は国
民主権下の象徴に転換したことはまさに支配権力の君主から国民への移行であって、
その意味で「革命」にほかなりません。だから、上記の語感の問題を除き、概念上は
「共和制」と呼んで何ら差し支えないのです。
あなたが上記のような全く誤った「革命」という理解から今回の綱領改定の天皇制
問題を議論しておられたのであれば、そもそも61年綱領の理解から誤っていたという
ほかないですね。
そもそも61年綱領は象徴天皇制を単純に「君主制」と規定しておらず、「ブルジョ ア君主制の一種」という二重に限定した(「ブルジョア」、「の一種」)用語を用い ているわけですが、この用語をあなたは友人や支持者等にどのように説明されてきた のでしょうか。主権在民の憲法原則との関係でこの綱領規定をどう説明するのか、そ の方が私には困難であると感じます。結局、上記の君主制の概念規定を二重三重に緩 める面倒な議論を経て、はじめて「ブルジョア君主制の一種」なる用語が説明可能に なるわけですが、そのように説明してこられたのでしょうか?
たとえば、「国民主権なのになぜ君主制なの?」と友人に聞かれたら、あなたは
「ブルジョア君主制の一種」とはかくかくしかじかの意味で、「君主の概念規定は・・
・の意味とも理解できるから、やはり君主制と言っていいのだ」と説明されたわけで
すか? もしそうでなく、ただ「天皇は君主」、「日本は君主制」とだけ言ってこら
れたのなら、それこそ不正確(はっきり言ってデマ)ですね。
もし、あなたが「ブルジョア君主制の一種」を主権在民の憲法規定との関係も含め、
正確に説明してこられたのであれば、今回の綱領改定で「騙された」とか「納得でき
ない」という人はいないと私は思います。
むしろ、説明に困るわかりにくい「ブルジョア君主制の一種」なる用語を排して、
国民主権のもとで統治権を全く失った天皇は「君主」と呼べないとしたことで、説明
も理解もすっきりするはずです。事柄はまさに「概念規定」をどうするかという定義
と表現の問題であって、事実認識や綱領路線の変更ではないのですから。