この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
私の綱領に対する意見を述べさせてもらいたいと 思います。
>このことは、「生産手段の社会化」が単に、「生産手段の私的所有を廃止し、その 社会的所有を確立する」という社会主義革命・変革においての経済的変革だけではな い、より重要な意味を持つのだということを示唆しています。
生産手段の社会化を論じるとき、「社会化」とは何かの定義を
明確にしなければなりません。現在の「生産手段の社会化」の
形態は、国有化・集団化(共有化)・協同組合化の3点です。
これは、ユートピア的社会主義者であるロバート・オーエンの
時代から今日まで変わることのない「生産手段の社会化」の
形態です。
私たちは、ユートピア的社会主義者でなく科学的社会主義で
あるが所以に、「生産手段の社会化」の形態はまさに生産手段
を社会の手に移さなければなりません。「管理・運営」を社会の
手に移すだけなら、ロバート・オーエンなどのユートピア的
社会主義と何ら変わることはないです。
あなたの指摘されるように、「生産手段の私的所有を廃止し、
その社会的所有を確立する」ことを綱領で明確に述べるのが
科学的社会主義者として当然の帰結です。
そもそも現代の資本主義では、法人資本主義論を出すまでも
なく株式会社は「所有と経営(管理)」の分離を行っています。
そして銀行国有化論とは、優先株式を国が所有することで
「所有」を国が行い、「経営」を民間に行う方式です。
また道路公団民営化のように、公共インフラを国有化に
したまま「管理・運営」を民営化する流れがあります。
つまり新綱領の5章が描いている社会主義・共産主義像と
4章でなされる「修正」された資本主義と何が違うのか
明らかにしてないのです。現代の資本主義でも、生産手段が
純然たる私的所有は少なく、共有的所有形態の方が多いです。
だからこそ「生産手段の私的所有を廃止し、その社会的所有
を確立する」の意義を綱領は明確に語らないといけないのです。
もしそれを誤魔化すのであるなら、いっそう5章を削除し、
4章を達成したときに、5章を描けばいいだけなんです。
>所有が管理・運営などの権限の源泉となることは当然ですが、所有が移ったからと いって、すべてを管理・運営できるとは限りません。往々にして、それらが、分離す ることは、現在でもあることです。
現在もあることを未来論として再度語ることにどれほどの意味が あるのですか?資本主義の矛盾の根幹が「生産手段が社会化」で ないこと、それ故に「生産手段の社会的所有を確立する」ことが 綱領で明記できないなら、科学的社会主義を放棄し、5章を削除 したほうがまだましです。
>社会主義権力が、生産手段を所有したからといってその管理・運営をすべて国民本 位に活用できるかどかは、国民の経験の蓄積にもかかわることではないでしょうか。
そうです。ですから「生産者が主人公」というより、「労働者が
主人公」の社会を形成しなくてはいけいないと書きました。
「生産者が主人公」のように第1・2次産業に従事する者だけでなく、働く者すべ
てが主人公の社会を作り、その社会が生産手段
をコントロールしなくてはいけないと述べただけです。
「農民が主役」かどうか等の質問も上記の記載にて私の回答と
させてもらいたいと思います。