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綱領改定討論欄

 この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。

こうとくしゅうすい様 生産手段の社会化について

2004/2/22 Michael、40代

レスを頂き本当にありがとございます。
 いくつかの点についてレスを引用しながら再度考えを述べさせて 頂きます。

>>このことは、「生産手段の社会化」が単に、「生産 手段の私的所有を廃止し、その社会的所有を確立する」 という社会主義革命・変革においての経済的変革だけで はない、より重要な意味を持つのだということを示唆し ています。
>生産手段の社会化を論じるとき、「社会化」とは何か の定義を明確にしなければなりません。現在の「生産手 段の社会化」の形態は、国有化・集団化(共有化)・協 同組合化の3点です。これは、ユートピア的社会主義者 であるロバート・オーエンの時代から今日まで変わるこ とのない「生産手段の社会化」の形態です。

 勉強不足なのですね。初めてお聞きしました。もし、そのよう な有力な主張があれば、文献を含めて教えください。

 所有の形態として、分類すれば、旧ソ連の農業集団化であった コルホーズは協同組合化と説明されています。それをあえて、集 団化を1つの生産手段の形態とあげる必要があるのでしょうか。

 また、ロバート・オーエンが試みた工場実験は協同組合化を念 頭にしたものです。労働者階級が国家権力を把握することによっ て生産手段を私的所有から社会的所有に移すという科学的社会主 義の立場の確立によって、国有化は、「生産手段の社会化」の1 つの形態にあげられるようになったのであり、空想的社会主義者 であったオーエンが国有化を生産手段の社会化の1つに上げるこ とはなっかたのではないでしょか。オーエンの著作にあたった結 果ではありませんのでもし、わかりましたら、教えてください。

 また、こうとくしゅうすいさんが、あげられた3つの形態以外 にも、地方自治体所有などが、あげられます。

 従って、私は『「生産手段の社会化」の形態は、国有化・集団 化(共有化)・協同組合化の3点です。これは、ユートピア的社 会主義者であるロバート・オーエンの時代から今日まで変わるこ とのない「生産手段の社会化」の形態です。』との事実はないと 考えます。

> 私たちは、ユートピア的社会主義者でなく科学的社 会主義であるが所以に、「生産手段の社会化」の形態は まさに生産手段を社会の手に移さなければなりません。 「管理・運営」を社会の手に移すだけなら、ロバート・ オーエンなどのユートピア的社会主義と何ら変わること はないです。

 上の主張とこの主張はどのようなつながりをもつのでしょうか。教えてください。私には、理解できませんでした。「管理・運営」だけをを社会の手に移すことが、ロバート・オーエンなどユートピア的社会主義の主張なのでしょうか。「社会変革への道をとざしているように彼に思われたのは、三つの大きな障害物であった。すなわち、私有財産と宗教と現在の婚姻形態とである。」(空想から科学へ)のように、オーエン自身も生産手段の私的所有に対して批判の目を向けており、こうとくしゅうすいさんの主張は明らかに間違いだと考えます。

 また、こうとくしゅうすいさんの主張の当否は置くとしても、 日本共産党の綱領は、「生産手段の所有・管理・運営を社会の手 に移す」としており、「管理・運営」を社会の手に移すだけのも のではないことは、明らかです。

> あなたの指摘されるように、「生産手段の私的所有 を廃止し、その社会的所有を確立する」ことを綱領で明 確に述べるのが科学的社会主義者として当然の帰結です。

 ご賛意頂きありがとうございます「生産手段の所有・管理・運 営を社会の手に移す」は社会的所有の確立を綱領に明確にしてい ると思います。

> そもそも現代の資本主義では、法人資本主義論を出 すまでもなく株式会社は「所有と経営(管理)」の分離 を行っています。そして銀行国有化論とは、優先株式を 国が所有することで「所有」を国が行い、「経営」を民 間に行う方式です。
 また道路公団民営化のように、公共インフラを国有化 にしたまま「管理・運営」を民営化する流れがあります。
 つまり新綱領の5章が描いている社会主義・共産主義 像と4章でなされる「修正」された資本主義と何が違う のか明らかにしてないのです。

 この主張と、2月6日のこうとくしゅうすいさんの『そもそも4章と5章との関係が希薄になり、5章が空に浮いた感じを否めない。 4章が具体的に記述する民主連合政府の「修正資本主義」的政策の 実施は、5章の未来論とどう相関するのか、明らかにしていない。』 との主張は、矛盾を感じます。4章と5章は違うと考えられるのかそ れとも、違わないと考えられているのかどちらなのでしょうか。違 わないと考えるならば、あえてその相関は問わなくてもよいのでは ないでしょうか。

>現代の資本主義でも、生産手段が純然たる私的所有は少 なく、共有的所有形態の方が多いです。

「空想から科学へ」の中で、資本主義社会の中に現れる生産手段 の社会化の萌芽として、エンゲレスは、株式会社・トラスト・国 有化を挙げています。「生産手段の社会化」することの必然性を 資本主義の発展の中に見い出しています。生産がますます社会化 するにもかかわらず、生産物の取得が私的に行われることに、資 本主義社会の基本的矛盾があります。現在、生産手段が国有化さ れたとしても、それは独占資本への奉仕のためであり、社会主義 的国有化とは区別されるものです。
 生産物の取得が私的あるいは、に行われている、生産が利潤第 一で行われているこのことの変革こそ、「生産手段の社会化」を 意義付ける大きなものがあります。

> だからこそ「生産手段の私的所有を廃止し、その社会 的所有を確立する」の意義を綱領は明確に語らないといけ ないのです。もしそれを誤魔化すのであるなら、いっそう 5章を削除し、4章を達成したときに、5章を描けばいい だけなんです。

 生産手段の社会化の意義については、15節に明確に書かれて います。15節に書かれていることが、「生産手段の私的所有を 廃止し、その社会的所有を確立する」の意義でないとすれば、こ うとくしゅういさんは、、どのような意義を明確化する必要があ ると考えられるのでしょうか。教えて頂ければと考えます。

 「生産手段の社会化」が「生産手段の社会的所有への転化」同 義であることは、1976年13回党大会の「自由と民主主義の宣言」 綱領改定に際して、論議もされ、確認されていることではないで しょうか。

>>所有が管理・運営などの権限の源泉となることは当然で すが、所有が移ったからといって、すべてを管理・運営でき るとは限りません。往々にして、それらが、分離することは、 現在でもあることです。
> 現在もあることを未来論として再度語ることにどれほど の意味があるのですか?資本主義の矛盾の根幹が「生産手段 が社会化」でないこと、それ故に「生産手段の社会的所有を 確立する」ことが綱領で明記できないなら、科学的社会主義 を放棄し、5章を削除したほうがまだましです。

 このくだりは、2月6日のこうとくしゅうすいさんの投稿『「生 産手段の社会化は、その所有と管理」とは、どう意味だろうか? 所有の権能として「管理」があるのであり、なぜ「所有と管理」 が並列することは意味をなさない。』との部分にお答えしたもので、未来社会論として、所有・管理・運営の分離を主張したものでは、ありません。分離する可能性があるものを、「所有・管理・運営」一体として、社会の手に移すことが重要であるとの主張が、今度の綱領改定によって、綱領の中に明確化されたものと考えます。

>社会主義権力が、生産手段を所有したからといってその管 理・運営をすべて国民本位に活用できるかどかは、国民の経 験の蓄積にもかかわることではないでしょうか。
 そうです。ですから「生産者が主人公」というより、「労 働者が主人公」の社会を形成しなくてはいけいないと書きま した。
 「生産者が主人公」のように第1・2次産業に従事する者 だけでなく、働く者すべてが主人公の社会を作り、その社会 が生産手段をコントロールしなくてはいけないと述べただけ です。
 「農民が主役」かどうか等の質問も上記の記載にて私の回 答とさせてもらいたいと思います。

 「生産者が主役」との言葉は、不破氏が過渡期と説明した綱領 の16節の中にで生産手段を社会化するにあっての社会主義の原 則として打ち出されているものです。生産手段の社会化を一律に 行わず、日本において社会主義への道を踏み出した後も、「中小 商工業や農業、中小漁業などの部門では、私的所有と私的経営が 広く残され、国民経済におけるその積極的役割が尊重される。こ れらの部門での社会主義化の主要な形態としては、協同組合化が 予想されるが、そのさいにも、けっして共同化をいそがず、当事 者がその方が利益になると考えて共同化を求めるときに実行する という、自発性の原則を厳重に守り、無理に押しつけるやり方は とらない。」(自由と民主主義の宣言)との立場を日本共産党は とっています。このことを綱領の中に明確化したものだと私は考 えます。  生産手段を社会がコントロールしなくてはいけないとのこうと くしゅうすいさんの主張は当然のことですが、そのこととは、別 のこととして綱領の中に書き込まれたものと理解しています。

 15節において、『社会主義・共産主義の日本では、民主主義と 自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、 受けつがれ、いっそう発展させられる。「搾取の自由」は制限さ れ、改革の前進のなかで廃止をめざす。搾取の廃止によって、人 間が、ほんとうの意味で、社会の主人公となる道が開かれ、「国 民が主人公」という民主主義の理念は、政治・経済・文化・社会 の全体にわたって、社会的な現実となる。』と書かれています。 どのような社会を形成するかという課題と展望はここに明確され ていることです。

以上、誠に稚拙ながらがお答えとさせて頂きます。