この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
現行憲法の天皇規定は、旧憲法下での立憲君主制の性格を温存しようとする勢力と それを排して、主権在民を明記しようとする勢力の闘いの中で、当時の国民感情にも 配慮して、妥協の産物として成立したものと理解している。立憲君主制のもとでは、 君主が国を象徴するものであることは、明文化せずに、暗に仮定されているのである。 現行憲法が共和制を意味する主権在民を謳いながら、君主制の暗黙の規定である象徴 という言葉を明文化したことに、妥協の産物の面目がよく現れている。 このような世界でも稀有の憲法が法学者に格好の研究材料を提供したのは言うまで もない。しかし、憲法は「不磨の大典」でもなく、憲法そのものの規定によっても、 改正可能なのである。これまでの、憲法学者の解釈は、自分達の住居の住み心地を問 題にせず、和風建築であるか、洋風建築であるかを論じているような感じを私は受け る。 現に進行している事態に即して考えてみよう。昨年の11月5日の多分、産経新聞 には次のような記事があった。
【北京・上村幸治】中国の銭其シン前副首相(元外相)が「外交十記」(世界知識出 版社)という回顧録を出版し、1992年の天皇陛下訪中招請には、天安門事件(8 9年)以来の西側の対中制裁を解除させる目的もあったことを明らかにした。中国と 韓国の国交樹立(92年)に対し、北朝鮮側が間接的に不満を伝えたことも明らかに した。
天安門事件当時に西側諸国は、民主化を求める市民・学生が軍に虐殺された問題を 重視し、対中制裁を発動した。
しかし銭氏によると、日本だけが事件翌年に「自身の利益のために」対中円借款を 復活させ、西側の対中制裁連合戦線の「脆弱(ぜいじゃく)な部分」となり「西側の 制裁を突破する最も良い突破口」になった。
銭氏は、この流れを推し進めるためにも天皇の訪中を日本に促したと説明、天皇訪 中が「西側の制裁打破に積極的な役割を果たし」「欧州共同体も対中制裁を緩和し始 めた」と評価している。
ここで明らかなことは、中国は、自分達の内政の失敗によって失った国際信用を取
戻すために、天皇を政治利用したのである。勿論、中国と利害の一致する部分のあっ
た日本政府もそれに応じたのである。しかし、日本政府では、天皇が国家元首である
とする解釈が有力なので、天皇の訪中を承認したことには、恐らくは憲法に違反した
という意識は皆無だったと思われる。
世襲制の国家元首をいただく国家は、どう考えても君主制国家なのである。しかし、
国民世論は、未だに憲法制定当時の論争を引きずっている部分があるので、この政府
の立場を国民すべてが承認することは出来ないであろう。
イラクへの自衛隊派遣は、アメリカの要請に従って、日本政府が憲法九条に違反し
たものだと、護憲政党を自認する共産党は主張している。だったら、1992年にお
ける天皇の政治利用たる訪中をどう捉えているのだろうか。私は「しんぶん赤旗」電
子版しか読む機会がないが、共産党はこの問題に関して批判的に論評しなかったので
はないだろうか。
当時は、旧綱領の「ブルジョア君主制」の規定が生きていて、天皇訪中はその規定
通りの事態であって、論評に値しないものだったかも知れない。不破報告には、
「天皇を「君主」扱いして、憲法が禁じている「国政に関する権能」を、部分的にも せよ、天皇にもたせようとしているのが反動派の復古主義的なたくらみであります。 党の綱領に「君主制」という規定を残すべきだという議論は、実践的に は、こうい う復古主義者たちを喜ばせる性質のものとなることも、あわせて指摘するものであり ます。」
とあるが、天皇訪中は、復古主義者たちを喜ばせる性質のものではなかったのか。新
綱領の解説の中で、具体的に例示して説明すべきことだったと思う。
九条の規定を踏みにじって、派兵を要請してくる国は同盟関係にあるアメリカ以外
には考えられないが、日本国元首として、天皇の政治利用を目論む国は外交関係を持っ
ているすべての国と考えてよい。日朝国交回復の暁には、日朝政府間の利害が一致す
れば、金正日だって国賓として来日して、天皇と握手して、シャンシャンお手打ちと
なるであろう。その後は、反北朝鮮感情は急速に収束するであろう。これは極端な例
としても、このよな役割を果し得る人物こそ、国家元首であり、世襲制の国家元首は
君主なのである。国際関係における天皇の政治利用はますます進むであろう。
小泉首相は、アメリカの要請によって、イラクに自衛隊を派遣したが、自衛隊は戦
力を行使しないので、憲法には違反いないという。憲法を守るという立場からの言い
逃れであることは明白である。共産党も憲法を守るという立場から、天皇制に関して、
類似の言い逃れをするのではないだろうか。日中両国政府が結託して、天皇の政治利
用として、日本国元首としての訪中がなされたのだが、天皇は君主としての機能をも
たないから、元首ではない、よって憲法違反ではない、従って、訪中は認められると
いう論理になりそうだ。
このようなことになれば、「天皇は君主にあらず論」は、今後進行するであろう事
態に対して何ら効力を発揮するものではない。むしろ、天皇の政治利用を企む政府の
行為を免責するだけである。実は、天皇が政治的な権限を有しないという論理は新し
いものではない。明治憲法第三条には、「天皇ハ神聖ニシテ犯スベカラズ」とあり、
これが天皇の政治的無責任規定であるとして、一部の論者からは、天皇の戦争犯罪を
免責する論拠とされている。「天皇は君主にあらず論」も、このような「天皇ハ神聖
ニシテ犯スベカラズ」規定の新しい装いのもとでのリメーク版であるとも思われる。
今度は天皇ではなく、政府を免責するのである。