この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
ぽっぺんさん、中間機関の常任のお手本となるようなお答えをいただき、ありがとう。発言機会を与えてもらったことに感謝いたします。以下の私の発言について、考えてほしいと思います。
ここで留意しなくてはならないことは、今日の天皇制は憲法上の制度であるということです。
そのことは公教育でも習う日本国民の「常識」ですね。新綱領が決定されるまで、共産党は「天皇制が憲法上の制度であるという」常識すら留意していなかったのでしょうか?
天皇制をなくすには、議会で共産党を与党とする勢力が3分の2以上を占め、憲法改正を発議、可決し、そのうえで国民投票にかけて過半数以上の同意を得なければなりません。
これも同じく常識ですね。「共産党を与党とする勢力」よりも、「天皇制廃止を要求する国民の声を代弁する勢力」と言った方が正確ですが。
ところで、democratさんもそうですが、新綱領を支持する人たちは、「常識」があたかも綱領改定の論拠であるような言い方をしますね。興味深い現象です。新綱領がいかに「常識」の党、“普通”の党であるか、演出したいということでしょう。私の指摘通り、“念には念を”式の発想です。
つまり、この問題の性質は、共産党が政権を握ったからといって、どうにかなるというものではないのです。
ここは、おおもとの考え方が間違っているのではないでしょうか? 共産党が綱領に掲げるどのような政策であれ、「政権を握ったからといって、どうにかなるというものではない」でしょう! 少なくとも大きな政策提起は、その都度、選挙なり国民投票なりを通じて国民の信を問う必要があります。そのことは、憲法の改正を伴うものであれ、伴わないものであれ、大きな違いはありませんし、違ってはなりません。それとも、ぽっぺんさんは、憲法 改正さえ伴わなければ、共産党は現在の自民党・公明党みたいにその政策を国民に信を問うことなく、あるいは国会の審議をないがしろにして、それらを強行してもよいとお考えなのでしょうか?
この課題は国民の中で粘り強く合意を積み上げ、「天皇制は時代遅れだ」という国民の意識が圧倒的になったときに初めて政治日程のぼってくるものなのです。
同意いたします。しかし、「国民の中で粘り強く合意を積み上げ」る実践的努力については新綱領にはうたわれておりません。なぜでしょうか?
だからといって、共産党がその間、黙って手を拱いていることはありません。天皇の元首化(これも憲法改正をう)、軍国主義復活のための利用など、時代を逆行させる策動とは断固として闘い、天皇に関する憲法上の規定を厳格に守らせつつ、天皇制についておおいに議論する努力をすることは大切です。
ここの文意が、「国民の中で粘り強く合意を積み上げ」る実践的努力をしながら、政治利用と闘うという意味なら、賛同いたします。
しかし、「天皇制についておおいに議論する努力」とは、いったいどういったものを想定されているのでしょう? その内容次第では、「改憲」や「論憲」、「創憲」になってしまうと思われますが? 必要なことは、天皇制に対して中立的な「議論する努力」ではなく、“天皇制はいらない”という「合意を積み上げる」ための天皇制批判の実践であり言論でしょう。
憲法上の規定を厳格に守らせる闘いをするということは、こうした反動勢力の策動を最も効果的に封じ込める手段になります。その場合、敵にたいしては「憲法の条項を厳格に守れ」といいながら、共産党が綱領において憲法改正を伴う「天皇制廃止」を掲げていることは道理にかないません。これでは国民の信頼を得られないと私は思います。
ここもその考え方に賛意できません。ぽっぺんさんは、「憲法上の規定を厳格に守らせる闘い」を自己目的化するのですか? いったい何のために「憲法上の規定を厳格に守らせる闘い」をするのでしょう? そのことを考えてみてください。
この点については党内外の人々がおおいに研究し、議論を重ねるべきではないでしょうか?共産党はそんな度量の狭い党ではありませんから、自由、かっ達にやればよいとおもいます。
勘違いなされていますよ。ここで問題にしているのは、共産党の政策一般ではなく、綱領です。
共産党員たる資格で、もっとも重要なことの一つがその綱領を認めることでしょう? 綱領に抵触しない限りにおいては「自由、かっ達に」議論してもかまいませんが、綱領を否定する事はそもそも党員資格がないということです。そうすると「除籍」の対象となります。私は以前、綱領批判の発言のゆえに、除籍寸前までいきました。その場合、党は情け容赦はありません。なんといっても、有志が立ち上げたホームページを数十万の発行部数をもつ全国紙で“攻撃”した党ですから。
だからこそ、綱領にかかわる変更は慎重になされなければならないのです。だからこそ、反対意見が相当出ているにもかかわらずに押し切ってよいのか?と私は問うているのです。押し切るということは、“反対者は党から出て行け!”と言ってることと同じなんです。