この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
先日の新聞記事の内容は、産経新聞ではなく、毎日新聞でした。産経の方が三回シ
リーズで詳しく報じていましたので、印象が強かったので、間違えてしまいました。
それから、11月5日でなく、6日でした。
この問題は、私としては、非常に注目しておりました。綱領改訂に関る天皇制の議
論が活発だった中で、共産党はどのような反応を示すか、注目していたのです。しん
ぶん赤旗の電子版では報道しませんでしたが、内容の多い紙面の方ではどういう扱い
をしたのか分かりませんでしたので、問題を感じながらも、何も言いませんでした。
しかし、最近になって、やっと、図書館で、縮刷版を見る機会がありましたので、調
べました。しんぶん赤旗が報じたのは、11月9日の6面の中央右の一段の半分程度
の扱いでした。見出しは、「昭和天皇は対中戦略戦争の元凶 銭其シン前副首相が
回顧録」というものでした。
ちなみに、「毎日」は、5段で、見出しは「天皇招請は政治目的」というものでし
た。赤旗の方では、「銭氏が昭和天皇の葬儀に参列した経緯に触れて、「裕仁天皇は
対中国戦略戦争の元凶だった」と批判し、「日本の最高統治者および軍隊統帥」とし
て逃れられない責任を負っていると述べています。」とありました。この下りは、実
は、「毎日」初め一般紙ではありませんでした。この点は評価できますが、「毎日」
などが、政治利用とした部分については、「九二年の明仁天皇の訪中については、当
時、天安門事件で各国から受けていた経済制裁を破る最良の突破口が日本にあると判
断したためだったといいます。」の5行で片付けていました。この記述だけを見て、
一般紙が報じたような、天皇の政治利用という認識を得ることは不可能であろう。ま
た、北京には特派員もいるので、一般紙と同じ早さで報道できたはずですが、何故か、
9日の選挙投票日に記事になりました。かなりの配慮があったことは間違いありませ
ん。
ついでに、92年の天皇訪中当時のしんぶん赤旗及び「毎日」の記事を辿ってみま
した。10月24日の「毎日」では、天皇の「お言葉」にある、「わが国が中国国民
に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。」とう部分を取上げて、謝罪
を済ませたと言わんばかりの論調でした。「「加害者」の立場、端的に」、「補償問
題踏まえ、戦争責任 国内の批判にも配慮」、「歴史たどり 一語々々」、「8分、
異例の長さ」などの見出しから、内容は想像頂けるかと思います。
これに対して赤旗はどうだったでしょうか。訪中出発日の10月23日の主張では、
「「お言葉」議論にすりかえるな」とあり、各国の論評を紹介しながら、天皇の戦争
責任の問題に触れ、「お言葉」だけで、日本の謝罪がすんだかのような演出をする自
民党政府を批判しております。また、最後には、「天皇訪中という憲法違反の天皇の
政治利用をやめさせることです」と極めて明確に政治利用という言葉を使っていた。
また、22日から始まった3回連載シリーズでは、「国際的孤立からのがれる手段
に」という小見出しを付けて、中国の「大公報」の解説を引用する形で、中国側の意
図もかなり詳しく論じています。そして、「しかし、戦略戦争への反省や、国際的孤
立からの脱却などの問題は、本来両国政府自身が努力して解決すべき問題です。それ
を天皇訪中によって糊塗(こと)しようという政治的、経済的打算は許されません。」
と述べていた。
これらの記事を分析して見ると、当時の綱領の規定にもかかわらず、君主論を容認
するものではなかったようである。しかし、あれだけ熱く論じていたのに、今回、銭
其シン氏の回顧録という形で、中国側の意図のウラが取れたのに、5行で片付けられ
たのは、どうしたことだろうか。これが「天皇は君主にあらず」論の実質的な帰結な
のであろうか。
さらに、10月26日の紙面では、「侵略戦争への謝罪なしと指摘」、「日中両国
政府の思惑に言及」との見出しのもとで、「天皇訪中 世界の目」として、ドイツ、
イタリア、フランス、イギリス、アメリカ、カナダ、フィリピンからの特派員のレポー
トを載せている。天皇の戦争責任を追及し、謝罪していないというのが主流であった
が、中国側の意図への厳しい批判もあった。
各国の特派員の報告から分かったことですが、天皇の戦争責任への謝罪を求めると
いうときに、それは国家元首としての謝罪を求めているということです。このような
外国の報道を無批判に流したところを見ると、やはり、共産党も当時の綱領にあるよ
うに、天皇が君主であることを認めていたのではないかとも思える。これからは、新
綱領のもとで、そのような誤った外国の認識に対しては、天皇は今や一切の権限を持
たないから、そのような批判は筋違いですよ、共産党は説得して廻るのだろうか。そ
して、それが受け入れられる保証があるのだろうか。
マッカサーは天皇は20個師団の軍隊に相当すると述べた。天皇制を廃止したなら
ば、占領政策は上手くいったであろうか。国際的には、アメリカは占領政策の一環と
して、日本の君主制を温存したと見ているのである。これが、世界が厳しく天皇の戦
争責任を今も追求している根拠になっているのである。日本の天皇が君主ではありま
せんと言って、これが沈静化するのだろうか。共産党の野党外交で成果が上がるかど
うか、是非見せてもらいたい。