この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
私の主要な論点は、中国の当事者が天皇の訪中は、実は政治利用であったということを暴露したのに対して、共産党がどう言う反応を示したかということでした。それは、今回の二回目の投稿でほぼ明らかになったと思います。92年当時あれほど、天皇の政治利用を批判していたのに、今回は、ほとんど、触れずじまいです。この点では、一般の新聞に完全に遅れをとりました。92年当時の毎日新聞には、天皇の政治利用などという文言はありませんでした。それが今回、銭其シン氏から、あからさまに述べられたので、「政治目的」という見出しを付けざるを得なかったのでしょう。しんぶん赤旗はこの点では、一般の商業新聞に完全に遅れをとりました。「天皇は君主にあらず」論の立場に立つとこうもなるのかといのが、私の議論の主題です。
また、新たな論点として、各国の天皇の戦争責任を問う声に対しては、「天皇は君主にあらず」論では、それが筋違いであることを、説得する立場になってしまうことを指摘しました。
私は、憲法に不備があったら、改正すべしという立場です。主権在民の共和制をとりながら、国を代表する個人としての元首がいません。この点ははっきりと、認識しております。しかし、日本の戦争責任を対外的に表明する場合に、大変具合の悪いことです。現実的には、外国では、国家元首としての天皇に戦争責任を求めております。だが、これは、憲法論から言えば筋違いの話です。
共産党はそれは内閣の責任という立場のようです。憲法上、議院内閣制で完結していれば問題ありませんが、そうはなっていません。形式的にせよ、内閣総理大臣は天皇が任命します。天皇に任命された人物が、戦争責任というような、その時々の具体的な政治的課題を超越した問題に関して、国の元首となって振舞うことはできないでしょう。ですから、天皇は代替わりしましたが、各国とも執拗に天皇の戦争責任を追及しているのでしょう。日本では、犯罪者が出ると、親族の連帯責任を追及する風潮があります。あの長崎の12歳少年の事件では、「親は市中引き回しの上、打ち首獄門」などとバカなことを言った大臣がいました。しかし、その日本ですら、親の罪を子供が償えということはないでしょう。世界の各国は、昭和天皇の息子の責任を追及しているわけではありません。あくまでも、正真正銘の元首の謝罪を求めているのです。これは、日本が君主制を採用していると認識されているからです。そういう国際連帯を考えたときに、そのことにどう決着をつけるのか、日本国民の課題は重いはずです。それを、「天皇は君主にあらず」論で逃げるのでしょうか。完全な一国主義で・u「后・・w) 戦争責任は、別に君主制でなくとも、日本が完全な共和制になっても同じです。そのときには、日本の戦争責任をどうやって、表明するのかが改めて問題になるでしょう。ロシアのエリツイン大統領が来日した際には、シベリア抑留問題に関して謝罪しました。まさに、彼は国家元首だからこそ、旧ソ連時代の責任を謝罪できたのです。しかし、日本にはそのような人物はいません。これで、現憲法の不備が明らかになったことでしょう。
現憲法下でできることがあるとすれば、国会決議で戦争責任を明確することだけです。国会は国権の最高機関であって、国会議員は別に天皇に任命される訳ではありません。元首的な意味で、国を代表するものと言えば、国会しかないでしょう。個人としての元首はいませんと言ったのはこの意味です。国会が、国の最高機関ということを明記した上で、戦争責任を明確にすれば、各国の誤解を解くことができます。そうしたら、副作用として、天皇の政治利用などは陰を潜めるでしょう。しかし、国会の議決は一般には全会一致を必要としますし、特に、戦争責任に関する決議となったら、なお更のことです。これは、実際的には、難しいでしょう。北朝鮮の国会ではないですから、恐らく無理です。まだ、2/3の賛成で発議できる憲法改正の方が現実的です。