この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
11日付けで掲載された一連の投稿の中で、私が「自由」や「権利」の契機として強調した「社会的承認」と、demo氏が拘束されていると思しき「常識」の二つの概念が混同される恐れがあるので付言しておく。
私の言う「社会的承認」とは、『資本論』第2章「交換過程」論冒頭で、マルクスが「だから、彼らは互いに私的所有者として認め合わなければならない。・・・・」とした商品生産(資本主義的生産関係=労働の特殊歴史的形態から発生する)に立脚する意思的関係(必ずしも法的な形態化を要件としない )であり、ヘーゲルが具体的普遍意思とは明確に分別した抽象的普遍意思(demo氏や現指導部が拝跪する、その時々の多数派民意=とらわれた常識)ではナイ!
この両者の連関と区別を曖昧に理解する論者は、「自己批判」を行うものとしての「資本」、人格的諸関係と物象的関係の間での相互批判の存在が理解不能であろう。したがってまた、マルクスの「非理性的形態で現在する理性」も「未来の現実在」も把握し得なかったような、20世紀「マルクス主義」の掌中から抜け出ることは出来まい。(詳しくは有井行夫著『株式会社の正当性と所有理論』-青木書店-参照のこと)
また、12日投稿で法田律氏より、demo氏のみならず、私も含めて議案討論誌を「公的言論空間」であると看做しているかのごとき批判を受けたが、これは誤認である。確かに、私は討論誌を「公的言論空間」ではないとの積極的主張は展開していないが、その点については私の議論の要件とならなかったからだけである。私は、討論誌が「公的言論空間」であるとの同意を与えるような議論はしていないはずである。