松岡、杜魯月さん。
お二人が24回大会における不破氏の退任にエールを送られていますが、僕は全く承伏しかねます。辞めたのは非常に良いことだと思いますが、相応しい処遇は解任でしょう。得票率も議席も30年ほど前に戻してしまったのですから。ここで僕がいつも言っているように「自社2大政党の55年体制が崩れた50年単位のこの絶好機」に。よって退任の実質は「無能の自認」に他なりません。そしてその無能であらざるをえなかったその第1の原因は、杜魯月さんも批判されている民主集中制にあると僕は考えています。その次第については組織論・運動論欄04年9月掲載の拙稿「日本共産党の惨状の本質に関わって」をご覧下さい。原稿用紙30枚と長すぎて申し訳ない論文ですが、ご意見がいただけると嬉しいです。ここに述べた「本質」がある限り、指導部は無能であらざるをえないのだと、僕は考えています。
このように書いているのは僕もお二人と同様、日本共産党に辛うじて期待しているからです。このサイト投稿者に多く見られるいわゆる新左翼には与しません。このサイトに左の中の右がもっともっと増えて欲しいと考えている者です。
元横浜市大生さん
貴方のご意見への僕の端的な回答はこうです。
「僕は新党の道はとらない。新左翼の50年近い離合集散の歴史などを見ても現実的とは思えない。これは、戦後60年で日本共産党の民主集中制が変えられなかったのと五十歩百歩に見えるが、こっちを変えるほうが、構成員の質が高いだけに現実的であると見る。ただしこの場合の現実的とは、現情勢に激変がなければ数十年単位のスタンスにおいてのことである。窮乏革命論とか一揆主義とかの一切の客観主義には望みをかけず、歴史変革の主体形成の問題だけを見るから、それこそ新たな理論問題に関わって来るはずだ。 ただし一つ保留がある。それ は情勢の激変ということ。アメリカを見ても日本を見ても経済に端を発する矛盾が凄まじく大きくなっていて、そのなかで外にも内にも敵のいない為政者たちはかなりやりたい放題やっている。彼らこそ事態の真の深刻さを全く捉えていないように見える。こんなところから情勢の激変が起これば、既成政党などは吹っ飛んでしまうことだろう。」