こうなるだろうとは思っていたが、実際にこうなってしまったことに言い知れぬ悲しさと不安と恐怖、そして憤りを感じています。
21世紀初めての日本の総選挙の結果が出た! 共産党の20議席から9議席への転落、社会党の凋落。大変悲しく、排外主義的な民族主義の進出を許してしまうのかという、未来に対して大いなる不安を感じています。
私は、この選挙結果が歴史の節目であることを感じています。
1914年6月28日オーストリア=ハンガリー帝国大公皇太子フランツ・フェルディナンドがセルビア人学生、ガブリロ・プリンチップによって暗殺された事件や、ナチスの国会焼き討ち事件、日本の昭和11年2月26日に起こった「2.26事件」のような象徴的な事件ではないにしても、その前哨戦の時期には小さな事件は頻発していました。それらの小さな、しかし未来を予測しうる事件が歴史の一コマであったことには間違いないのです。今回の選挙結果も「小さなしかし未来を予測しうる事件」であると感じています。これは理屈ではなく、そう感じるのです。
こんなときに、私「がんばれない共産党員」は、本当にがんばりませんでした。素直に党の方針に従えなかったのです。そしてこの結果に一抹に後ろめたさも感じています。しかし、私一人ががんばっていても結果は同じであったと思います。
選挙の翌々日、11月11日の【毎日新聞】朝刊に以下のような記事が載りなした。
「新議員はタカ派志向」
「核武装を検討17%」
「改憲派は3分の1」
嗚呼! こんなにも右翼の台頭を許してしまったのか! と愕然としました。
■北朝鮮問題、拉致問題を軽視したことは世紀の大失態
北朝鮮の核兵器開発、テポドン発射、拉致問題、工作船問題と、ここのところ立て続けに北朝鮮問題が出てきました。拉致問題を中心に日本の世論は大きく動きました。まるで拉致をテコに日本を一挙に右傾化していくように見えます。
拉致問題にしても、なぜ国会であそこまで追及していたのに、放り出してしまったのでしょうか。兵本問題があったから? 私は兵本氏の態度や言動については、納得していません。私だったら離党もしないで朝鮮総連や、北朝鮮の関係者、公安と話をするようなことは出来ません。それは規約に違反するからです。良いか悪いかを別にして、兵本氏も党中央に逆らって行動を起こすのなら、離党してからにすれば辻褄が合うのです。
だからと言って、共産党も兵本問題があったから拉致問題を取り組まない、という理由にはなりません。なぜ引き下がったのでしょうね? ここに今の共産党の限界があるように思えてなりません。
最近感じることなんですが、共産党には人権感覚が在るのだろうかと、ふと疑問に思うことが多々あります。
主義主張、理論・理屈が正しければ党員はそれに従うべきであって、義理人情、感情、慣習に流されるのは間違いである、という風潮が共産党には一貫してありました。私も若いときはこれが正しいと、ひたすらそのように生きてきました。しかし今はすこし後悔しています。世の中そんな単純ではないよ、と言うのが私が思い知らされた現実です。でも全面的に否定をしている訳ではないのですが。
拉致問題から手を引いたこと、ホームレスをあまり助けななかったこと、過労死・過労自殺問題に真剣に取り組んでこなかったこと、パート・アルバイト・派遣労働者を十分組織してこなかったこと、また日本の低所得者層を組織できなかったことなどに日本共産党の弱点が顕著に現れています。
あと、原発・エネルギー、環境問題でも全くと言っていいほど切込みが足りません。みんな大衆と言われる人たちの後追いでしかありませんでした。
民主集中制を掲げている共産党であっても、日本中の支部がそれに従っているとは思いません。と言うより、現在の社会では「民主集中制」が通用しなくなってしまったのです。
私自身「反対であっても党の決定に従い、実践によって検証」してこなかったのに、党からは誰一人と批判されたことは有りません。もし共産党がこの原則を貫いていれば、今ごろ党員は2000~3000人ぐらいに激減していたでしょう。
すでに「民主集中制」などどこにも無いのです。幹部すら民主集中制を守っていません。歴史的に見て民主集中制が全面的に間違いだったとは思いませんが、党の現状は民主集中制どころでは在りません。だれが中央の言うことを聞いて実践していると言うのです。もし実践していればこんな結果にはならなかったでしょう?