S.Kさま、始めまして。お便りありがとうございます。
下記の点ですが、
> ただ、差し出まがしいようですが、一点だけ、申し上げたいと思います。
> それは、貴方様のハンドルネームについてです。
> ~
> したがって私は、貴方様にはその功績からしても「がんばれない」という形容詞は相応しくないと思います。私は、貴方様は「がんばる共産党員」だと思います。現状に「悶々」とすることがあっても、指導部の言うことに唯々諾々と従うことだけが能ではないと思いますから、共産党員は。
> そこで私は、貴方様がハンドルネームをお変えになることを望みます。(もちろん事実と道理にもとづいた発言を努力され続けることが義務となりますが)
いかがでしょうか?
私の友、わが妻、私の属する労働組合幹部たち……自分の生活を犠牲にしてまでタダひたすら党を信じて活動に専念しています。私はそれを横目に見ながら「違うんだよナ」と心の中でつぶやいているだけす。私の妻などは選挙終了後2・3日寝込んでしまいました。「なんでこういう風になるの? 日本人はダメなの? バカなの?」と。
しかし、彼(彼女)らと一言ことばを交わせば、大激論になってしまい、決して対話にはならないでしょうね。党を批判すること、中央を批判することがどうしても受けいられないのでしょう。今度の選挙総括に対し一言でもいったらどんなことになるのか想像が付きます。
つい最近(4、5年前)まで私も同じような立場に立っていましたのでよく分かります。しかし私は活動上のたび重なる個人的な試練の中で「これは、おかしい?」と思うようになってきたのです。それを決定付けたのは北朝鮮問題でした。
私は若いころから朝鮮半島に興味があったのですが、きっかけもなく、ただひたすら党活動に邁進してきましたが、活動上の問題にぶつかる中で、ふと、若かりし頃の朝鮮問題に凝りだしました。その中で北朝鮮問題を知るようになったのです。
私にとって、なんと言っても関貴星著『楽園の夢破れて』は衝撃的でした。こんなに早い時期に北朝鮮の幻想を告発し、しかも「全貌社」という忌まわしい極右出版社からしか自分の思いを発表出来なかった、その苦しさ、その無念さ、その胸のうちを思うにつけ、真実というものがいかに見えにくいものかということを思い知らされました。
わたしは今、社会主義運動の中で起こった沢山の負の遺産を、避けるのではなく真正面に受け、切り開いていく必要が在ると思っています。
ただ、一介の労働者である私がこんな複雑な問題を解明できるとはとても思えませんが、「過去にこんなことをした、今までやってきたことはみんな正しい」というのではなく「今、何をし、これから何をするのか」が、左翼全体に問われているのだと思います。日本共産党に欠けているのはこのことではないでしょうか。
そういう意味で、私はそんなに「ガンバッ」てはいません。今しばらく「がんばれない」共産党員として、ガンバッて行きたいと思います。けっして「ばんばらない」のではないのですが。