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「北朝鮮問題」討論欄

じょじょに

2004/2/19 金 国雄

 皆さま、こんばんは。

 最近はあまりパソコンシステムのことが分からなくなってきた関係もあり、再インストールも思うようには行かなくなりました。

 今日は、ここのところの北朝鮮関連ニュースから何点か拾ってみます。中には今後、非常に重要になるのではと思われるニュースもありそうです。

 朝鮮総連有志、ネットで本部の姿勢批判 「改革」求める

 21世紀、朝鮮総聯の改革と再生のための提言

 まだしっかりと読むことができない関係(ここのところ在日の活動家や研究者、また日本の方とも会ったり、メールでの意見交換や依頼等が続くためで、活動が忙しいためです)、当を得たコメントができませんが、朝鮮総連の改革のみにとどまることなく、北朝鮮の体制問題(民主化、人権)にもどうか目を向けていただければという思いです。

 その点が抜け落ちた改革ならば、在日、日本の方の共感を得ることにはならないのではと個人的には思います。しかし、今後に注目していきたいと思います。改革問題、以前より伸張を繰り返してきたようにも思います。

 それとひとつには総連を改革し組織を継承するということは、北朝鮮、総連の負の遺産も当然、受け継いでいくということと理解されるのですが、この点の問題が今後、大きな負担となる可能性もあります。

 つづいて

 先日(日曜日)、愛知県豊田市で行われた北朝鮮自由往来問題に関する講演会に他の在日活動家と出かけました。翌日の中日新聞に記事が載っていますので抜粋で紹介します。

 この問題を理解するのは、そんなに難しいことではないと思います。現在、日本では「在日朝鮮人再入国禁止法案」が問題になっていますが、以前より北朝鮮政府も在日(祖国への)、また北朝鮮国民の国外への出入国の自由を認めてきませんでした。祖国・親族訪問といってもけして自由ではないわけです。総連は60年代中頃から70年代初頭にかけてでしたか? 祖国への自由往来運動を展開していました。しかし結果、その権利を独占、利権化しました。
 在日本朝鮮人総聯合会 主要活動日誌

 北朝鮮 自由往来願う 母姉の再会を
  在日・安本さん報告会 豊田

 「姉が帰ってもう四十四年。自由往来のドアを何とか開けたい」と訴えた。
 安本さんの姉は一九六〇(昭和三十五)年、在日朝鮮人の帰国事業で北朝鮮に渡った。以来、一度の里帰りも実現していない。昨秋、三好町に住む母(八六)が重病に陥った。安本さんは一目でも母姉の対面を果たしたいと、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)など各方面へ働きかけている。
 安本さんは、政府や総達とのやりとりの経緯を説明。「昨秋まで渡航証の申請など思いもよらなかった。そして無理だと考えていた日本の法務省が一歩動いてくれた。家族に会いたいのは自然な人情。言い出せなくても、多くの在日の思い。総連も最初から拒まず、呼ぶ方向で努力してほしい。私のような人間が増え、この問題を知り、動く人が増えれば現状はきっと変わる」と、時に涙声で胸の内を語った。
 中日新聞 2004年2月16日

 また次の記事も北朝鮮問題を考える上で、参考になればと思います。一定の改革をおこなわなければ、どうにもならなくなってきたのでしょう。しかし、両刃の剣というジレンマもあります。食糧問題も十年単位で考えないといけない*、とも。この点も、ある在日社会では口をすっぱくして言い続けてきたことでもあります。

 *かつてのFAOの統計(水害以前の)をみれば、ここのところの矛盾が見えてきます。

【イタルタス通信の記者が見た北朝鮮】上.変化の風が吹く平壌

【イタルタス通信の記者が見た北朝鮮】下.核問題とエネルギー難

 次回は「北朝鮮実情2」として、「タラの芽(トッル)」を話題に取り上げれれば。

 それでは失礼致します。
  金 国雄(キム・ググン)拝