北朝鮮批判=排外主義だなんていってるわけではありません。これまでなされたメディアから拉致帰国者側の北朝鮮に対する言及が批判という理性的なものではなく、バッシングそのもの、しかも排外右翼に乗じたバッシングそのものでしかなかったから、批判してきたのです。
私は昨年、「衣食足りて礼節をしる」とか「窮鼠猫をかむ」とか、北朝鮮にとって、失礼なことをいってきました。ですが、みなさんの報告をきいていると、「飢えたひとにはまずおにぎりを」と対症療法が必要とおもえたものでした。
それなのに、多くの北朝鮮バッシング派は、さらに飢えさせよといった強行策を仕掛けます。私はつくづく、他人のことがみえない日本人の気質性を危惧してきたのですが、事実は案の定、排外右翼の思うままの国づくりができあがりました。
さて、教育基本法改悪、憲法改悪に向けて後一歩、拉致問題が利用されると思います。いい加減、こうしたシナリオにのらないように、5人の方に進言する人はいないのでしょうか。
また、スパルタクスさんの中国等、大国の自国民、マイノリティ弾圧はゆるされることではなく、それは、タリバンのみならず、チェンチェン問題もそうですし、米国の未曾有の弾圧こそは糾弾しなければなりませんし、イスラエルのパレスチナ人弾圧もです。こうした問題を論じるとき、北朝鮮問題もそうですが、力関係もみましょう。タリバンなんて、難民の子がほとんどで、神学生出身の30代のわかさの青年が、ときの長老ジルガにむかえられて、またパキスタンにささえられて、米国の利害もあり、それまでの混沌としたアフガンを奇跡的に統治したのです。わずか5年の政権でした。北部同盟の未曾有の残虐さから、治安を回復し、イスラム原理主義から出発したとはいえ、ようやく、生存権が復活したのです。女性の慣習は、80年もつづいたブルカや複数の妻帯も、それなりの女性の人権上からの苦肉の策でもあり、文化の違いという側面があります。
ともあれ、長老の支配する部族社会での5年間のつかの間のタリバン政権は、米国の野蛮な「民主主義」によって、打倒され、生き残ったタリバン民間兵士はなおも、空爆の掃討作戦で皆殺しにあっています。
制服を着たハイテク兵器を操る文明人の残虐さは、未曾有です。それをゲームのごとく鑑賞する人間のエゴは、戦争を限りなく拡大再生産させていくのです。