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「北朝鮮問題」討論欄

長壁さんの「ゆでがえる」論について

2004/3/2 赤根、40代

人に向かって「あなたはゆでがえるです」という批判は批判たりえるでしょうか? 私は否と思います。批判の内実は、その人がゆでがえるであることを論証することに こそあるはずです。内実が伴えば「ゆでがえる」などという言葉は全く不用です。自 分の批判言説が相手に届かないからといって相手を「ゆでがえる」などと評するのは 批判として無力であるばかりか、相手の人格に対する侮蔑の表明であり、相手とのコ ミュニケーションを断絶させる行為だと思います。

「豊かなゆでがえる」に甘んじたまま、最後のときを迎える覚悟がおあ りなら、「ご勝手にどうぞ」というしかありません。(長壁氏2/28)

長壁さんが北朝鮮民衆に向けて上と同じ言葉を投じない保障は何もないわけです。 「鈍感なやつは勝手に死んでくれ」と言わんばかりに。最後に残るのは「自覚した正 しい自分」だけですね。民衆蔑視の悪しき前衛意識を克服できなければ、それもまた 「ゆでがえる」への道にすぎません。

いってもいっても、そのことに気付かない、即ち、他国占領に加担する 人間の鈍感さに私は怒りとあせりが爆発して、きつい語調にもなりました。(長壁 氏2/28)

「怒りは人を詩人にする」とはエンゲルスの言葉。しかし、詩人たる者、怒りをそ のまま言葉に流し込んでいるようでは二流か三流です。ある文学者はそれを「言葉の 流産」と評しました。ここは言葉が全ての場所です。もっとじっくりやりましょう。