司馬遼太郎氏が日露戦争をえがいた『坂の上の雲』なる小説が日本では人気があり、
NHKでテレビドラマ化も予定されているようです。
しかし私が同小説を読んでびっくりしたのは、日露戦争と同時に進行している韓国
からの主権の剥奪(やがて韓国の植民地化に至る)が、まったく無視されたままに、
日露戦争で日本が勝ったことが世界史的偉業とされていることです。
あげくのはてに日本海海戦の結論部分で「たしかにこの海戦がアジア人に自信をあ
たえたことは事実であったが、しかしアジア人たちは即座には反応しなかった。中国
人も朝鮮人も・・・これによってアジア人であることの自信を即座にもち、ただちに
反応を示したというほどまでには民族的自覚が成長していなかった」(文春文庫版第
八巻p260)という文章を読むにいたって、司馬氏と同じ日本人であることが、ほ
とほと恥ずかしくなりました。
日露戦争における日本の勝利が日本による韓国の植民地化につながることは、当時
の朝鮮人民にとって明らかなことだったと思われます。それなのに司馬氏はそのよう
な朝鮮人民に、日本海海戦の勝利で「アジア人であることの自信」を持つべきだった
と言っているのです。
「坂の上の雲」を見上げる側に立ち、「アジア人であることの自信」をアジア人に
与えた国民の子孫だと考えることは、多くの日本人にとって気持ちのよいことなので
しょう。韓国の植民地化が朝鮮人民にとって地獄を意味したことはさておいて。
幸田露伴は日中戦争時に「あの先に修羅はころがれ雲の峰」という俳句を作ったそ
うです(『蝸牛庵訪問記』)。「坂の上の雲」はそれだけを見ていれば雄大で気持ち
のいい光景ですが、その雲の峰の先には地獄が広がっている、それが「坂の上の雲」
の真実ではないでしょうか。
私は司馬遼太郎氏や乃木希典や東郷平八郎と同じ日本人であることがいやですが、
大日本帝国の中で朝鮮半島などの植民地の放棄を主張した言論人・石橋湛山や、同じ
く大日本帝国の中で朝鮮人民の権利を護るために苦闘した弁護士・布施辰治を同胞に
持つことを誇りに思います。そういった人たちこそ日本人民が範とすべき人たちだと
考えるからです。
ところで現在朝鮮半島、特に北朝鮮の人々は未曾有の苦痛の中にあります(過去の
経緯からその苦痛は日本にも責任がある)。そして本サイトで朝鮮半島情勢を論じる、
必ずしも反動的と言えない議論の中にも、私はこの人は結局「坂の上の雲」を見上げ
る側から朝鮮半島を見ているのではないかと感じることが、残念ながらしばしばあり
ます。もしそうだとすれば(私の錯覚であれば幸いです)、それは日本人として強く
自戒しなければならないことではないでしょうか。