6カ国協議について、
寄らば大樹の陰氏から再反論が届いた。
この機に、私と氏の認識のどこが同じで
どこが対立しているかを整理し、
それをもって議論を深めたい。
まず、北朝鮮の核放棄をめぐり、
私は、平和的核放棄の実現を訴えた。
これに対し、寄らば大樹の陰氏も「チュチェ研」の人々に
「核なんて本来人間が持つ兵器ではない」
「戦争抑止論なんて根本から間違っている」
などと主張したと述べており、
北朝鮮の核放棄を明確に求めている。
つまり、この基本姿勢において、
私と氏の認識に違いはないと考えられる。
対立しているのは方法論だ。
私は、平和的解決の国際的枠組みとしての
六カ国協議に期待する考えを強調した。
これに対し、氏は
「6カ国協議なんてくそ食らえ」
「6ヵ国協議なんて所詮は
5匹のハイエナに取り囲まれた羊(北朝鮮)が
いかに生き延びるかの、必死の闘いの場だ」
と明言し、事実上、協議打ち切りを求めた。
要するに私と氏の2人は
北朝鮮の核放棄の必要性では考えが一致するものの、
その舞台として6カ国協議がふさわしいかどうかで
対立している、と考えられる。
氏の批判に対し、私は
6カ国協議をめぐる朝鮮中央通信の声明などを基に
「北朝鮮も6カ国協議に前向きだ」
と説明した上で
「6カ国協議枠組み破壊を望むなら、
米国のネオコンの主張と同じだ」
と反論した。
これに対し、氏は再び
6カ国協議に反対する理由として
「巨大な国に凄まれ、脅されたら
どの国でも嫌々ながらも参加します」
「金正日もそう判断しただけです」
と説明し、
現在、議論は平行線をたどっている。
この一連の議論を通じ、浮かび上がってくるのは
●北朝鮮が嫌々参加していることを理由に
6カ国協議を打ち切った場合、
それに代わる国際的枠組みを
速やかに構築できるかどうか?
という論点である。
私は6カ国協議に代わる枠組みをすぐにつくることは
事実上困難だと考える。
北朝鮮が協議を蹴るにせよ
米国が協議を蹴るにせよ、
6カ国協議のテーブルがひっくり返された後に
すぐさま平和的プロセスの道が開けるとは
到底思えない、というのが私の理解だ。
6カ国協議参加国は、
濃淡の差こそあれ、それぞれ協議の在り方に
不満を持っている。
もちろん、氏がおっしゃるとおり、
中でも北朝鮮の不満は激しいだろう。
しかし、だからと言ってそれを理由に
テーブルをひっくり返しても、
国際社会にとってプラスはないのではないか。
重要なのは、今ある現実の中で、
どう最善を尽くすかということだと考える。
従って、私は6カ国協議継続を支持する。
仮に氏が、引き続き6カ国協議に
反対されるのであれば、
それに代わる枠組みと、
そこに至るプロセスをぜひお示しいただきたい。
それが理にかなうものであれば、
私もぜひ参考にしたいと思っている。
なお、見解に相違があるとは言え、
私の拙稿に御意見を寄せて頂いた
氏には感謝を申し上げたい。
最後に、私は共産主義者でも社会主義者でもない
ことを明言したい。
時には社民、時には民主、まれに共産に
一票を投じている純粋無党派です。