この前、地方自治体主催のアジア映画祭で「中国の小さなお針子」という中国の映画
を見ました。
今はあの三峡ダムに沈んでしまった中国の奥地を舞台に、文化大革命で農村に下放さ
れた2人の青年と、その村に住む少女の恋愛と様々な葛藤を描いた映画です。
ここで映画の解説をする訳ではありませんが、およそ今から30年前の事といえ、今
でも存在する貧しい中国農村部の娘と、先進の文化を味わった若者の交流の物語です。
私自身まだあの文化大革命について的確な評価は出来ていませんし、中国に於ける毛
沢東死後の混乱とその後の開放経済への移行の評価についても、やはり後世の歴史の
判断に任せるしかないと思っています。
「中国の小さなお針子」を観て一番感じたのは、普通、文化大革命を論じる場合、都
市青年の「下放政策」は紅衛兵問題と同じく否定的に取られ、理解されがちなのです
が、この映画では彼ら下放された青年達は、中国共産党指導部の思いに反して、その
村に新しい認識を、文化を植えつけることに成功したのです。
外界から閉ざさた貧しく後進的な農村部に、現代文明が何であるのか、進歩を、外界
に目を向ける事の大切さを、物事を考える事の大切さを導入する力となったのです。
貧しさと古さ、それに毛沢東の写真と「毛語録」しかない村に、密やかと言え現代の
文明が村の人々に伝播され浸透していく様は、映画と言え素晴らしいものでした。
下放青年は明らかに共産党指導部にはやれない事をやったのです。
その意味では文化大革命にも、大いに評価する側面があるのです。
勿論これが北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国にも当てはまるとは思いませんが、いく
ら日本共産党の幹部が、また党員の方が「北朝鮮はイヤだ」、「金正日は、労働党は
許せない」と言っても、彼らの下には2300万人にも及ぶ人たちが日々暮らし生活
しているのです。
この現実を無視したり忘れてしまったら「共産党」や「科学的社会主義」を名乗る資
格などありません。労働者の国際連帯などいえる訳がないのです。
例え拉致問題があったとしても、日本共産党は粘り強く根気をもって朝鮮労働党と折
衝を続け、可能性を探るべきだったのです。
なんといっても私たち日本人は朝鮮の人々に対し、植民地時代の謝罪も補償も何にも
していない、もう60年も経とうというのに、まだ国交も開かず休戦状態を良しとし
ている、時計は止まったままなのです。
北朝鮮の人々の今日の苦難は私たちにも大いに責任があるのです。
私たちは本当に北朝鮮の人々の隣人なんですよ、それを知らん顔していい筈がありま
せん。
相手の懐に入らない限り相撲には勝てないのですよ。
映画で2人の青年は糾弾される事を恐れず、命を賭して愛する「小さなお針子」を目
覚めさせ村を開放したのです。
もっと色々と自由に思いを馳せましょう、折角の、春到来なのにですからー。
<管理人コメント>寄らば大樹の陰様、いつもご投稿ありがとうございます。19日にいただいたものの掲載がミスでもれてしまい、申し訳ありませんでした。