金氏の投稿を読んで思わず投稿する次第です。この間様々な論議がこの欄で交わされるのを見てきました。私は努力しつつも歴史的、論理的に北朝鮮を論評するには至っていません。ただ、高校時代に文化祭で南京虐殺のパネル展示に接して以来、自分が生まれる以前母や父が辿ってきた日本の在りかたを探る事をテーマにしてきました。明治以降現代に至る歴史学習の欠落によって私が唯一知る事のできた近代史の手がかりは母の従軍体験によるものでした。志願した結果シンガポールに送られ、日本の食料不足も経験する事なく十代後半の青春の日々を寛大な上司に庇護されるかたちで軍隊生活を送った敗戦までを折々に語る母です。イギリス軍が進駐するまで写真、その他を焼却し尽くし、赤十字で看護婦の研修を受けながら本国への送還を待ったという事です。懐かしさで戦争体験を語る母の語り口に反発を覚えつつも語る事のできない胸の内もあるのだと理解してきました。田中伸尚氏が指摘したといわれる「靖国の檻」によって侵略した側として精神的に傷つくことなく生き伸びてきた戦中派の一人ではないかと母の事を思っています。「あの時代、他にどうする事もできなかったのだ。」と・・・。
しかし、戦争放棄を謳った憲法をもち参政権を手にしながら再び、国益を追求するかたちで他民族を圧迫しその事になんの痛痒も感じない風潮の渦のなかに巻き込まれてゆくわたし達であることを今認識できているのでしょうか。最近「わら屋根の家のある村」という朝鮮戦争を舞台に安東に近い村の人々、お年寄りから赤子までどんな辛酸を舐めなければならなかったかを子どもの視点から描いた本を読みました。結局戦争で傷つくのは誰なのか。世界中どこであっても名も無く懸命に生きている人々ではないでしょうか。そして私もその中の一人である事を誇らしくまた懐かしいような感情で受止めています。「正義」や「テロへの戦い」の名のもとに他人の命を生け贄にする勢力を憎みます。真実を見抜くためにあらゆる立場の方たちが論議をかわすであろうこの掲示板にこれからも注目してゆきたいと思います。