韓国の元独裁者パク・チョンヒ(朴正煕)が親日派であり、旧日本軍の情報将
校だった事はよく知られている。
そしてあの悪名高き「KCIA」もアメリカのCIAより日本の「特高警察」の模倣であ
り、「国家保安法」なども日本の「治安維持法」を大幅に取り入れた弾圧法であるこ
とも知られている。
満州軍へ徴用され、日本陸軍で教育されたパク・チョンヒは、身に付けた旧日本帝
国主義・軍事独裁政権の抑圧システムを韓国にそのまま移入し、抑圧と政権維持のた
め最大限利用したのである。
ところがこの悪しき旧日本軍国主義システムは、更にもう一つの独裁政権にも活用
されたのだ。
それは朝鮮民主主義人民共和国・北朝鮮、金日成・金正日体制である。
1945年8月15日の解放(光復)の時、金日成は旧満州、中国東北部で対日パ
ルチザンとして活動していた。
彼が朝鮮国内に晴れてデビューするのは、やっと45年10月のことである。
彼には38度線以北に展開したソ連軍を軍事的背景にしていた、しかし彼はまだ若
くパルチザン指導者としては有能であっても、政治や思想、統治政策分野では未熟だっ
た。
そこでソ連軍の指揮下にあったといえ彼が利用したのは何か、やはり旧日本軍が残
していった様々な人民抑圧システムなのだ。
確かに彼はスターリンに見出され、その指導下で社会主義的独裁国家の指導者とし
て力をつけていった。
またソ連軍と北朝鮮に入る時、朝鮮労働党(朝鮮共産党)ソ連派と言われるグルー
プも引き連れて来た。
だが彼は台頭の過程でそのソ連派も粛清している、それは朴憲永(パクホンヨン)
等南朝鮮労働党グループの粛清より以前の事である。
一般的に北朝鮮金日成体制は、ソ連支持の下にソ連型社会主義として構築され独裁
化したと言われている。
だが金日成の先生・スターリンの死は53年3月、朝鮮戦争の休戦協定成立は53
年7月、はたしてソ連がどれだけ北朝鮮・金日成体制に実質的な影響力を与えたのか?
北朝鮮独裁政権の基礎にあるのは、旧日本帝国主義が残していった人民抑圧システム
であり、ソ連システムではないのではないか?
よく「あれは社会主義国ではない、左翼独裁主義・左翼全体主義だ」と非難の的に
される北朝鮮の金日成・金正日体制の元を遡れば、戦前の植民地宗主国、この日本に
たどり着いてしまうのである。
今年は朝鮮戦争54周年、南北朝鮮では関係正常化・南北統一に向けての努力が懸
命に続けられている。
韓国では老・壮・若、三世代の協力によって、平和を守ろうとする気運が盛り上がっ
ている、そしてアメリカの世界戦略再編の一環といえ、ソウル以北の米軍基地の大半
が、来年前半にも撤去され、大幅縮小される。
反米軍基地闘争の成果として人々の間で、高く評価されている。
そしてこの間、イラクに於ける民間人の死に関し、政府の情報操作の疑いが明らか
となり、韓国はこの先およそ1週間、全国的なイラクへの3000人追加派兵反対の、
ストライキを含む決死闘争への突入が宣言された。
闘い、声をあげ続けることによってのみ、勝利を我が物にすることが出来るのだ。
殺害された息子への政府の献花を、引きちぎつて「アイゴー・アイゴー」と思いの丈
で抗議する韓国の「おぼじ」の怒りを受けとめられなかったら、もう人間お終いであ
る。
帰国する度、垣間見る日本という国の「箱庭的」まとまりの胡散臭さは、基本原則
を忘れ、惨めなまでに足の引っ張り合いを演じ、闘う相手すら見分ける事の出来なく
なった日本の自称左翼のだらしなさと共通している。
闘う課題は眼前に、それこそ山積しているのにー。