2004-1945=59
戦争を知らない子供達という歌は、戦後左翼のレゾンデートルだったと思います。
当時の若者に対する批判は、戦争も体験していないのに、というものでした。それに
対して、平和を維持するのは戦争を知らない若者の特権だという、反抗の気持ちを代
弁したものでした。柔らかく言えば、今時の若者は苦労も知らないで、という批判に
真っ向から反抗したものでした。
この板でも、我々戦争を体験したものに対して、という意見がたまに見られます。
(良く聞いてみたら、「私は貝になりたい」を見ての感想だったりするので、笑って
いいのか、呆れて良いのか複雑な気持ちになります)
2004-1932=72
五木寛之氏の生年月日です。彼や野坂は、戦争を体験したとは発言していません。
彼らは、焼け跡闇市派と称しました。戦争体験者と自分たちの世代ギャップを、そう
いう言葉で表したのです。そう言う彼らだって、終戦時は13才、現在の中学生で
す。それ以下の年齢の人が、戦争体験を声高に語るとしたら、最近の左翼は右翼のメ
ンタリティを獲得したな、と考えます。
実際に、自分の戦争体験を具体的に語れる人こそ、戦争を体験した人であり、曖昧
に自己の主張を厚かましく主張するために戦争を利用するのは非論理的です。
具体的に記述するのは、重大です。終戦時、沖縄にいたのか、東京にいたのか、農
村に居住していたのか(疎開では無く)朝鮮半島、満州、これらの土地に対するキー
ワードでその人の体験が天国と地獄ほど違ってきます。又、両親の社会的地位、官
僚、農民、軍人、軍需工場労働者、これらによっても、待遇に天地の開きがありま
す。戦争体験は、情実に訴えるものでは無く、冷徹な記録の集積なのです。これらの
データの充分な集積があってはじめて、歴史認識としての戦争像が結像するのです。
そして、そのデータのみ(主観的判断無しの)が、若い世代への贈り物であり、その
評価は未来の世代に委ねなければなりません。
長壁さんへ。確かに、リャンさん、日本国へチャンスを求めて果敢にトライされた
人生にしては悲しいですね。まさに、国家の不条理ですね。21世紀の現在、高齢に
も関わらず何ヶ月に1回の船便でしか北朝鮮と行き来できないとは。日本政府は、
とっくに名古屋・平壌の直行航空便を認可しているのに、総連の画策で便利な航空便
が使えないとは。渡航者を、チェックするため船便でしか渡航できないようにしてい
る鎖国国家のやり方には呆れます。
日本全国に居住する、在日にとっては、航空便の方がよっぽど便利だし、結構大人
数が渡航するので価格の低下が予想される航空便が利用できなく、辺鄙な裏日本の新
潟まで行かなければならないのは、全く不合理です。警備の手薄な新潟でないと、困
る理由があるのでしょうが、それに反発できない(渡航許可の裁可権を総連が持って
いますから)在日の心中察します。