銀河さん、ご丁寧に返信されて感謝します。
しかし、まだ足らない。終戦時、国民学校2年生だったと告白されたのはわかりました。そして、その時点で当時焼け野原だった大阪市内に居住されたのも理解します。当時は、空襲を受けた都市は未曾有の惨状で、食べることに苦労されたのは理解します。しかし、その状態がいつまで続いたのですか? それから5年、昭和25年時点、あなたが成長期を迎えた中学生の時点でも食糧事情は終戦時と同様だったのですか?
想像ですが、昭和25年ぐらいになれば、新法律も次々発布され、名実共に戦後の復興が軌道にのってきていた筈です。おそらく、その頃には戦後の食糧事情は相当改善されていたでしょう。私は、30年代の誕生ですが貧しくとも飢餓の恐怖とは無縁でした。昭和20年から30年までたった10年です。(余談ですが、バブル崩壊から現在まで15年です。今の新卒者は、バブルの記憶・恩恵など全く無い、まさに底なしの不況とともに成長してきた世代です)その間に、日本は奇跡的な復興を成し遂げたのです。ですから、終戦後の食糧事情の悪化が何年まで、言い換えると何年ぐらい我慢したら良くなったかが非常に大事です。
さらに述べると、終戦直後でも米作農村部では食糧が存在していたのは史実です。勿論、機械化された現在程、豊作では無かったでしょうが、戦前と戦後に断絶感を感じないで済むほどには食糧がありました。ですから、みんな近郊へ買いだしに行っていたのです。ニュース映像で見るような、列車に鈴なりに乗っている乗客達の姿です。そうして調達した食料などの一部を、闇市などで一般の人が流通させていたのです。(農作物の交換には、着物が使われました。その結果、暴利を貪った農民達も多くいました)
勿論、上層階級の人達の中にはその最中に、ホテルでディナーを食べていた場合もありました。これも当然のことで、進駐軍が存在するのですから、日本人全員が等しく食糧不足だった訳では無いのです。
ですから、終戦直後の都市部の食糧事情悪化の大きな要因は、流通・商品経済が壊滅したことによる影響が大きいと言えます。それも、都市部の復興と鉄道網をはじめとした流通網の整備で急速に改善されていったのです。
一方、農村部でも米作に適さない中山間部、冷涼な気候の土地については昭和50年代まで不作の時に食糧事情が悪化するケースが認められます。戦後の38豪雪などの後には村全体が離村し廃村となるケースも散見されています。そのような状態の中では、都市部では思いもよらない苦難の経験を持つ60代以下の人もいるはずです。だから、あなたの経験は貴重な経験ではありますが、ステレオタイプで食の苦労を知らない50代、という決めつけには同意しかねます。
さらに言うと、北朝鮮は戦後の食糧事情に近いものがあると思われますので、安易に支援をしても流通網、商品経済が未発達の場合、本当に必要な飢餓線上にいる人には届かない可能性大です。あなたの個人的な満足感で、支援を主張するのは如何なものでしょうか。
実際の支援予算を担うのは現役世代の全日本人ですし、彼らの貴重なお金を使うのに適切な効果を説明できなければ、正義は主張できないでしょう。
何より、90年代より度重なる支援要請は、北朝鮮が本当に国家としての努力・責任を果たしているのか疑わしいのです。少なくとも、核査察受け入れ、拉致被害者の解放ぐらい行ってから支援要請するのが筋でしょう。それとも、金正日がオバサンパーマなので国家としての理念も厚かましいオバサンなのでしょうか?
話を変わって、もう一つ、先般のロシア人質事件でテロリストの犯行を認めた上でその行動を承認されるそうですね。その理由は、チェチェン人の子供達もおそらく、殺傷されているはずだからとの理由ですね。しかし、世間で問題にしているのは学校を攻撃対象としたことです。戦闘ですから、子供達の犠牲が出ていることは否定しません。(人数の多寡に関わらず)しかし、今回異質だったのは学校のみを当初からテロ攻撃の標的としたことです。いわば、一線を越えているのです。この事を中心にして考えないと、とんちんかんな話になるでしょう。ところで、左翼の立場で擁護すると発言されていますが、そんな左翼などこの世に必要は無い!と断じさせてもらいます。よって私自身への罵声は、以後「この左翼め!」ということでお願いします。