話を摩り替えてはいけません。少々整理すると・・・ あなたとの、このやり取りのそもそもの原因の投書は、9/12の
戦争を知らない子供達は五十になっても子供である。見えない赤線哺乳瓶を口くわ えて「北朝鮮に食糧支援をするな」と片言で言っている。飢えを知らないということ は恐ろしい。
との、あなたの投稿です。
戦後60年の現在、60代のあなたが、それ程戦争について詳しいのはおかしいと
いうのが最初の疑問でした。
私は敗戦時、国民学校2年生でした。
おっしゃるように焼け跡派です。戦争を知っているかといえば知っている。 戦場は知らない。しかし記憶に深いのは敗戦以降である。
と、若干トーンが戦後派であることに変化している。以下9/17の投稿から
①餓死者が山のようにガードの下に積まれ、役所の人が死体を二つに折って石 炭箱の詰め込むのを兄と見ていた。
史実とは、違う。如何に戦中、戦後とは言え、法治国家の大阪という大都市の出来 事である。大体、小学校2年生の少年に死体の死因が理解可能だったのか?戦災によ る焼死者であるならば、理解できる。しかし、大量の餓死者が同一場所に何故発生し たのか、謎である。しかも、死者に対する儀礼が行使されていないのは、不気味でも ある。餓死者であっても、同一時刻に一家全滅するとは考えられない。
②闇米を食べるのは違法だからと、絶対闇で買わなかっ裁判官がいた。彼は 飢えて死んでしまった。当時、新聞をにぎわした事件である。こんな話はきりがない。
これは有名な話で、新聞に載ったのは極めてレアなケースだったからです。
③あの頃飢えた母親が自分の子を食べたという話も聞いた。戦場では日本兵 が仲間を食ったという「レイテ戦記」があるが、内地でもこんな話があったのである。
出自が明確では無い。そのようなことが、内地であれば当然死体損壊で刑罰に処せ られた筈である。
④私は同級生の弁当を盗んで、ふたを開けて食べてしまったことがある。私 が人のものを盗んだ最初の経験
事実ならば、当時の学校は治外法権状態であったということになる。しかし、その
ような飢餓感の中で通学が行われたことが奇跡である。
そんな事を常態とするのは、ひもじさの中で人間としての尊厳を維持し、向学心
(戦後民主主義)に邁進していた当時の学童全員に対する侮辱であろう。事実は、個
人的な盗癖、もしくはイジメの状況であろう。イジメであれば、現在でも同様な行動
は普遍的に見られる。
⑤私の友人は敗戦後に生まれた。彼の母は子供を生んで数ヶ月もたたないで 死んだ。
⑥しかしお母さんに乳が出なかったので妹は死んでしまった。
個人的に言うならば、私の祖母は実子以外に、乳を与えて近所の子供を育てている。 乳兄弟という言葉がある。現在は、死語だが過去、発乳しない人の代わりに乳を与え ることは、普遍的に行われていたことである。現在でも、産後1ヶ月は洗髪はするな、 など産後の健康管理法は伝承されている。
戦後混乱の中で、日本人全体が非常な苦労をしたのは理解している。しかし、あな
たが得々と飢餓の実体験として語ることには、極めて疑問な点が多々ある。戦争の伝
承が大切なのは理解するが、上記のように事実をねじ曲げ、捏造に近い発言をするの
はどうか。
それは、本当の苦労をしたあなたよりも年長の日本人に対する侮辱とはならないか?
若者ばかりで、少々脚色してもばれないという感性で投稿されているのでは無いか?
真実性が無い投稿は、信頼性を損なうことを認識すべきだ。長壁さんに、あなたが意
見したことでは無いか。
当方の意見についても、ねじ曲げた決めつけをしないでもらいたい。
①北朝鮮に対する食糧支援を無条件に否定している訳では無い。配分に関わる関与を
条件として、可能としている。勿論、実質そのような条件を北朝鮮が呑まないのも理
解している。
しかし、国民の飢餓に対する対処が、そのように真剣味の無いものならば、ザルに
水を注ぐがごとく、援助物資は一粒も国民の口に入らないことを認識すべきだ。
②米軍基地に核は無いと、アメリカの回答を信じている訳では無い。過去はともかく、
現在はと、条件付きで認識している。
情動的にムードだけで物事を論ずるのは、何ものも生み出さないということは、年 長者の経験でわかりそうなものですが?