寄らば大樹の陰さまへ、本欄の主旨から限りなくはずれますが、的はずれな言 いがかりには返答させてもらいます。あなたの投稿の引用とそれへのアンサーという 形式でお答えします。
九州北部、山陰、越前福井、能登、そして新潟、あなたの言う「辺鄙 な裏日本」は表日本よりよっぽど文化程度も高く、文化が発達した。
華南からの稲作伝播のことならば、九州でしょう。山陰に出雲文化圏があり、福井
は継体天皇の出自とされ琵琶湖北岸の敦賀近辺から渤海国からの通史が入京していた
のも事実です。しかし、新潟は直接渡来というより、出雲から安曇族が移動し、長野
一円に居住範囲を広げた漂着先と考える(諏訪神社の柱祭などにより出雲との関連が
想像される)のが定説です。
しかし、南海洋からの漂着民も多い古日本で岡本太郎氏の説を待つまでも無く、在
来の縄文文化の評価もキチンとしなければなりません。よって、表日本と文化度を比
較して、どちらが文化程度が高いというのは正しい視点とは言えません。
封建時代でも金沢、越後、長州・萩など江戸や大坂と比肩できる存在 だった。
北前船などの往来で、繁栄をしたのは天然の良港を持つ港町でした。しかし、「エ ド」の人口は百万人に達していたという説もあり、当時の日本では隔絶した繁栄振り であり、金沢他の地方都市と比較するには無理がある。比較するとすれば、ロンドン・ パリでしょう。現在の「東京」がニューヨークと比較されるのと同様に。
太平洋側の発展とは、封建のくびきから解放され、この国が西洋の国 に伍してはならないと、しゃにむに近代化を始め、重点的に集中投資を本格化したこ との結果前段との対比で考察すると、薩長土肥と言われた維新の英雄達が、何故自らの 故地で新施策を行い、旧領主に繁栄を渡さなかったのかが理解できない。確かに東京 に重点的に投資をしたのは事実ですが、これは元々その投資を受けるインフラ(民度・ マニファクチャの充実)が充足していたと解釈するのが正解です。
明治以降の東京の繁栄には、江戸の爛熟という歴史を忘れては間違った解答になる。 東京は、人為的都市では無いのです。残念ながら、私の周辺では交通辺鄙で開発が進まない裏日本という言説に立腹する 友人はいない。現代でも太平洋側と日本海側をつなぐ道路網は政治課題となっている。 例を挙げると、新潟(田中角栄)島根(竹下)福井(森)京都(野中)など大物保守 政治家基盤の地域が多い。これらが、巨額の公共工事の利権構造を伴ったものである のは周知の事実である。そして、それらの事業拡大の理由が辺鄙さであるのも事実で ある。
田中角栄が、雪に閉ざされた新潟を東京と同じように便利な都市にしたいという政 治目標を掲げ、上越新幹線や上越道を開通させたことが代表する。長野県から新潟県 に入ると、途端に道路が拡幅されているのは有名な話です。大体、裏日本という言葉 を使わなければ、どうやって日本語表現をしていくのか。「辺鄙な裏日本の新潟」などと書かれると新潟の方はもちろん、日本海側に住む人 たち、また北海道や九州・沖縄人に対して物凄い侮辱感を与える事となります。当方は、一度も沖縄を議論にあげていない。むしろ、「裏日本」という言葉の地理 的概念からは、本州の府県のみを想定していたので、上記のような脱線ともいうべき 意見には驚くばかりです。おそらく、北海道・九州・沖縄の人は目を白黒させている でしょう。いつから裏日本になったの、と。
宝島社の根本的体質は日本共産党とは根本的に違う、180度違う、また普通の雑 誌とも違う。勿論、共産党とは違いますよ。でも、この投稿欄には共産党系の出版物からの意見 しか使えないという縛りでもあるの? 普通の雑誌とは、何のことを言っているの?
今は解散霧散した全解連系のライターを利用しただけのこと。同和補助金問題では、確か2000年予算でも全解連が公金詐取していると、くだ んの全解連系ライターがHP上で告発されています。
ちなみに、全解連は、発展的転換で「全国人権連」に変わっていますが、これを解 散霧散というの?そのときの乗船・渡航料金が幾らかも知らない。 そんなに知りたかったらあなたが直接、朝鮮総連にでも出向いて、お聞きになった ら良かろう得々と、航空機代の3分の1だと投稿したのはあなたですよ。人を馬鹿にするのも いい加減にしなさい。