レスありがとうございます。
あなたが言うところの、
過去の日本帝国主義による植民地支配、強制連行、慰安婦、その他の蛮行の事実と、現在の北朝鮮による拉致問題とは別問題だという認識が必要に違和感を覚えてしまいます。
に対する解説です。どちらも、大切な問題です。違和感を覚えないで、そこを間違えないようにして下さい。でないと、犠牲者の数を数えて優劣を議論するなどという非人間的な袋小路に入ってしまいます。
北朝鮮がこのような国になったのは、日本と米国のせいだという論ですが、前回投稿したように、この中にソ連はどう位置するのですか?フロイトの言い間違え論になりますが、意識的あるいは無意識的(イド)の中でソ連という単語を書かれていない。ご自身でも、わかられているはずです。分かり切ったことですが、敵対していたのはソ連に対してであり、その構造の中では日本も北朝鮮もグリコのおまけでしかない。冷戦構造というキーワード抜きには20世紀は語れない。日本・米国・北朝鮮のみの関係性で論ずるのは、無意味です。
追加すると、東西ドイツの状況と朝鮮半島の状況は相似形なのですから、脱北者の増加は東独からの脱出の増加と相似形であり、チャウシェスクと金正日は相似形です。勿論、特異性として儒教思想による差別構造(韓国では、民族差別のため華僑が全滅状況であることや中国朝鮮族との確執などが存在することもご存じですよね)や東側最高の工業国だった東独に対しまだ60年前の日本統治時代の工場が存在している工業後進性(かといって農業も優秀では無いが)もありますが。
韓国の独裁政権存在の理由も、北朝鮮の侵略により全土が荒廃し、数百万人の犠牲者を出したことを思考の要素としていない。
あなたは、共産主義者だと思うが、だからといって事実から目を離す議論は滑稽です。民主集中性には詳しくは無いが、この掲示板で熱心に議論されていることは何なんですか?共産主義に不可分だとされる、人権侵害体質でしょう。その為に、ソ連・東欧は崩壊したのですから。(個人的には、ソ連崩壊後15年も経って分かり切ったことを書くのは情けないですが。15年経っても、未だにそのことに対するキチンとした総括がなされていないことには疑問を感じます)
韓国は、戦後一貫してそんなに後進国ではありませんでした。現在は、GNP規模でトップ20位内に入る国です。そんな国家の問題が、すべて60年前の日韓併合に由来すると語るのはかえって独立国としての誇りを傷つけませんか?議論として真っ当なのでしょうか?
追伸として、あなたの紹介した丹波マンガン記念館の記述に不審な点があるのです。「2億年の地底のロマンと躍動の男達の夢が今よみがえる。」という惹句と強制連行がつながらないのです。特に、
「坑内での「たぬき堀り」の現場やトロッコを押す作業、掘り出した鉱石を、背負子で一人100Kg以上も背負わされ、山を越えて運搬する様子などがマネキンで再現してありました。
の中で、①たぬき堀りや②トロッコを押す作業が虐待の再現で無いのは明白です。通常の作業ですから。問題となるのは、「背負子で一人100Kg以上も背負わされ」の部分だと思います。
あなたは、100kgの荷物を運ぶ人が尊敬され、現在も数少ないが、その仕事を日々行っていることはご存じでしょうか? 登山の世界です。レジャーとして、アルプス登山する場合25~30kgの荷物を背負います。(最近は、機材の軽量化で少し軽くなっていますが)それとは別に、山小屋にジュースやビールなど資材全般を運びあげるボッカという職業の人がいます。さて、ビールで考えてみましょう。350ml缶×24で8.4kgです。8.4×11箱で92kgになります。(一缶100円の手数料として24,000円の収入です。200円ならばその倍です。山小屋まで1日以上かかりますから、これが日当です)
一度、酒屋で持たしてもらって下さい。とても運べません。これは、どんなにしばかれ、蹴られても無理です。腰を痛めてしまいます。では、ボッカの人達は何故運べるのか? こつがあるのです。背中に背負うのも、パッキングの技術がいるのです。そして、道中、決して背中から降ろされません。一度降ろせば、2度と担げないのです。だから、休む時は支え棒でつっかえをして、立って休みます。当然、登山者達からは羨望の眼差しで見られます。山のプロなのですから。しんどい仕事ですが、しんどい行為をする男(女)達からは相応の尊敬を受けるのです。
戦時中、虐待があったというのは事実でしょう。しかし、何でもかんでも朝鮮人の職場が虐待の場所だったかといえば、首を傾げます。何故なら、そのような嫌な体験の職場を「強制労働をさせられていた在日朝鮮人の方に経営が引き継がれ」るでしょうか。私なら、こりごりだと考え母国に帰り、2度とその経験を思い出さないようにします。
素直に考えれば、それらの展示は惹句通り、朝鮮半島から一旗揚げにやってきて、死にものぐるいで働いて、技術を会得した社長が、その当時の鉱山労働の誇り高い技術・労働を記念したいと考えて、さらに社長という出世した身分を自慢したいと考えて、だから、「2億年の地底のロマンと躍動の男達の夢が今よみがえる」だったのではないでしょうか? ひょっとすると、その亡くなった1世の方が聞いて欲しいことは、戦中・戦後苦労して社長になった経緯だったのではないですか。そして、そこに重要なポイントがあるのでは?
しかし、そんな地味な展示で一般の人がわんさかやってくる訳も無いので、ある時から「強制連行」の話になったのでは?戦後冷戦構造の中で、高等教育の機会を得て、政治的にしか考えられなくなった2世の後継者の影響でです。そのような設立趣意の変更があっても、施設そのものは見せ物(エンターティメント)でありセンセーショナルな程集客できるのですから、商道徳に何ら反することではありません。
さらに、野中広務の発言ですが自民党政治家の発言は一般的に字義通り以外の意図があるものと疑ってかかる癖がついていますので、素直に聞けません。ましてや、中国利権を押さえる田中派であり、北朝鮮土下座外交の金丸の後継者であり、96年の北朝鮮米支援時には配下の農協関係者中川氏(後に出馬、落選)を使い相当の利権(金銭)を手に入れたと噂され、実弟の園部町長の産業廃棄物関連の問題を抱え、同和食肉問題が摘発される直前に政界引退をし、長い府会議員時代をへて旧弊な自民党体質からは突飛なほど急激に中央政界で力をつけた野中氏が単純な人情家な訳では無いですから。