あまり閲覧もせずに、とにかくお返事だけはと思って書いているうちに、曙光のきざしさんや正義味方さん、そして茶爺さんとやり取りが進んでいることにビックリしました。
先のお返事までは、論題の中にイラク人質事件と拉致問題とが絡み合っていたので、投稿先に迷って従来どおりにしていましたが、もともとは、拉致問題の解決法をめぐる議論ですし、さつきさんのご提案もあるので、私もこちらに議論の場所を移して投稿することにしました。
ところで、上記の「より進んだ議論」をちょっと見て、10/3付の私の投稿に補足をしておきたいと感じたので、若干補足させて下さい。
「国交正常化」が、拉致問題の解決の進行にとってどのような意味でプラスになるかということですが、さつきさんは、これによって日朝間に自由交流の大道が開け、拉致被害者やその他の(例えば日本人妻)の帰国等がスムースに進められるようになるというイメージを描いておられるように感じます。
しかし、これはかなり楽観的な予測だと、私は思っています。国交正常化によって、日本人の出入国に関する朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)側の態度が緩和される保障などありませんし、まして、国内での移動や調査の自由が確保されることは、マイク・ブラツケ氏の著書『北朝鮮-「楽園」の残骸』を見ても期待できません。北朝鮮側が求める援助のための調査でさえも、「必要なもの以外は見せない」という態度に徹していると思われるからです。
他方で、北朝鮮現政権が国交正常化に何を期待しているのかと言えば、豊かな経済力を持つ日本からの、莫大な金銭的・物的賠償(名目は、無賠償原則の下での経済援助ですが…)です。金丸・田辺訪朝時から、その要求金額は桁外れに大きい額だったと、外務省筋がどこかで洩らしていたと記憶しています。「自由交流」などではありません。その意味で、国交正常化にバラ色の幻想を懐くことは、意味がないと思っています。
どうして、国交正常化に関する北朝鮮側の主動機がここにあるのかといえば、要するに経済的困難解消の特効薬になるからだと思います。
もともと北朝鮮は、寒冷気候のために農業上困難な条件がある上に、主体農法による密植で、単位面積当り収量が低レベルに止まっていること等から、農業生産ははかばかしくなく、「社会主義経済圏」の国際分業に依存して、旧東ドイツやチェコのように東アジア圏における重化学工業化を進め、これによって生きる道を確保しようと考えていたらしいのですが、それも東欧諸国の「社会主義」が相次いで崩壊してしまったため、1980年代末から急速に経済的困難が深化したというのが、一般の見方ではないでしょうか。そこからの脱出の特効薬を、日本から大っぴらに受取ることができるのが、まさに「日朝国交正常化」だと彼らは考えていると思います。
決して、植民地支配・戦時加害諸行為によって苛酷な犠牲を強いられた個々の自国民の慰藉や損害賠償など、彼らは真剣に慮ってなどいないと思います。
これに関連するのが、例の平壌宣言の文言です。国交正常化も「合意」に基づくものですから、その第一の解釈基準は、当事者の意思です。平壌宣言の当該部分が、例えば日中共同声明やサ条約に比べても、くどくどしい表現になっているのは、日本政府側が自国の解釈態度(政策)の「転換」を意識していて、後から紛議(北朝鮮在住の従軍慰安化強制被害者による損害賠償請求訴訟提起など)が生じたときに「国交正常化によってすべて解決済みだ」と主張できるようにしておこうという意図によるものと考えるのが、合理的でしょう。
だからといって、日本の原爆裁判のように、北朝鮮人民が、自国政府に対して「請求権放棄の正当な補償を求め」、金正日政権が、1960年代の日本政府よりも誠実にこれに応ずることなど、とても考えられません。
また、拉致被害者に日本人が多いのは、当時の「西側」アジア人で、各国を自由に行き来する上で「なりすまし」が最も効果的であるのが、日本人だったからに過ぎず、「過去の未清算がある」事情は、なりすまさせようとする彼ら(政権担当者)の罪悪感を軽減するために補助的に働いたと見るのが、最も事態に即しているように思います。「過去に日本人がひどいことをしたから、拉致してなりすまして仕返しをしてやるんだ!」というような、感情的で幼稚な行動では、決してないと考えています。
なお、「自由交流」の意義それ自体については、1994年の「米朝枠組み合意」に携ったケネス・キノネス氏へのインタビューに、米朝高官会議の準備作業で接した北朝鮮外交官(国連代表部次席代表ら)について、
彼らの英語は流暢で、外交用語にも長けているが、「プライベート」という言葉の定義を質問され、面食らった。彼らはその意味を「秘密に」とか「極秘に」と理解していた。「個人的に」とか「非公式に」という意味だと説明すると、驚いていた。(共同通信北朝鮮取材班 『はるかなる隣人 日朝の迷路』227頁)
というくだりがありますが、ここに、彼が置かれている精神的状況が象徴的に示されており、社会の底辺からこの状況を掘り崩す上で、民衆レベルでの交流の意義は大きいと思います。だからこそ、金正日政権は、国交正常化後も、おいそれと放任はしないでしょう。
さつきさんが、今後「拉致とは比べものにならないくらい非人道的で凶暴な日本の過去の侵略とその後の米国と一体化した敵対政策が、金日成・金正日体制の凶暴化」を「誘発」したとされる点について検討を進められるとき、以上の点についても、是非一緒にお考えいただきたいと思い、補足しました。