北朝鮮によって引き起こされた「日本人拉致」問題が、又新たな局面を迎えている。千葉県内で行方不明になった「加瀬テル子」さんが拉致された可能性が高いとみられている事が出てきた。1962年、つまりの42年前の事であり、拉致の真の理由(核心)が拡がることも考えられる。情報を隠蔽してもいずれは漏れるもので、今後、次から次へと発覚するであろう。「幕引」どころか、意に反して継続・拡大している。「弱腰、事なかれ」の外務省は、逃げられないし、より毅然たる対応が求められている。
この「拉致救出活動」に対して、北朝鮮への「謝罪や償い」を事実上優先すべきとの意見が時々出される。あるいは「リンケ-ジ」論をとり、ある種の相殺論の結果、問題解決の争点をぼかす事につながるような意見も見受けられる。これに関して次のように考える。
1.国家が自国民を救出し擁護するのは最大級の責務である。遅きに失っしている事が問題なのである。一連の拉致は、主権を侵害した「国際的無法」によるもので、人権擁護、自国民保護と「国際法」遵守から、官民あげて、現状復帰を求めている段階にある。「謝罪や償い」を優先する主張はどこか傍観者的で、無責任としか言いようがない。自分の親族が「拉致」されていても尚、過去の「謝罪や償い」を優先すると言うのだろうか?
2.過去を正当に総括(当然、謝罪と償いも含む)して、次の新しい二国間の関係を構築することを多くの人が望んでいると思う。同時に、そのような善意の人達も北朝鮮の現状や対応を見ると、暗澹たる気持ちになるのを禁じえ得ないのではないか?新しい二国間の関係樹立には、確固とした双方の「受け皿」が必要であることは論をまたない。「ならず者」状態が精算されていない現状では、「受け皿」になり得るかについて、疑問が払拭できない。
3.二国間の新しい関係を構築するには、何が必要か?
情報公開及び誠心誠意の2つがが必要である。隠しては半歩も進まない。今、ここで引掛かっている。ご存知のとおり、金正日は、「拉致」については、情報開示に応じていない(応じることは、自分自身の直接関与を認めることで、自らの首を絞めることに等しいが)
誠実にという点では、日本側は「謝罪や償い」に誠実に対応しなければならない。一方、北朝鮮は自ら起こしてきた、国際的無法行為に対する謝罪を行わないといけない。果たして、金正日は自らの罪を認めて、謝罪するのであろうか? 「謝罪や償い」を優先主張する方々は、これを不問にするのだろうか?
新しい二国間関係構築に当たっては、世界の平和に貢献するスタンスが必要である(過去を建設的に総括するためにも)そうしないと「謝罪と償い」も生きたものにならない。
ところで、今や、北朝鮮は世紀の人権蹂躙の国家である。新しい国家関係を構築するに際し、人権擁護をベ-スにする、そうしないと関係構築はできない事ぐらいの事は言わなければない。その関係からも、人道支援の食料がキチンと庶民のレベルに届くのかの確認も必要と考える。国家と党の特権階級に横取りされていては、善意は何のためか? 施策の正当性が崩れてしまう。
過去の「謝罪や償い」は必要なことだが、そう単純にはいかない、きれいごとでは済まない現実を注視・監視しておく必要がある。