はじめの話題からだんだんずれてきて、はじめの話題がなんだったか解らなく なってしまいました。
茶爺さんも、曙光のきざしさんも共に40代、茶爺さんの40代は多分、精神年齢 ということでしょう。曙光のきざしさんは、無職ということで、もしかしたら年金生 活者。本当に40代なら、デイトレダーかなんかでバリバリ稼いでいらっしゃる。そ んな人物像を想像しています。
それから、少し認識に誤解があるようなので、指摘すると、戦前の朝鮮半島・台湾に ついては自治されていたのではなく、日本国だったのです。経緯は、朝鮮半島につい ては李氏朝鮮と日本国の間の契約締結により併合となり、台湾について日清戦争の賠 償として割譲されたものです。どちらも、2等国民として遇されていたのです。従っ て、彼らにも国民の義務としての徴用制度は適用されていましたし、それを拒めば罰 則が待っていました。当時の日本国民の義務放棄は重罪ですから。(強制連行の定義 が曖昧な一因です)
曙光のきざしさんは、知識の人、茶爺さんは、経験した人、その 認識の違いをお聞きしたかったのです。
一方、2等国民ですから徴兵義務は課せられていませんでした。従って従軍した半島 出身者は志願兵ということになります。中には、当時の東大より上位の陸士(陸軍士 官学校)出身の幹部兵士も存在していました。これらの状況を下働きというのは正確 では無いと思います。
半島人が2等国民とは知りませんでした。故に大多数の半島人は下働きということ ではありませんか。(徴兵制度が適用され、徴兵義務が課せられない)とは、よく理 解できませんが。
私の子供の時、近くに朝鮮人部落がありました。一見して、どろんこの中という印 象でした。
子供の喧嘩で出てくる言葉に、「バカー、たわけ、おまえの父さん 朝鮮人」という。悪罵がありました。日本人同士の子供の言い合いに出てくる言葉な のです。
もっとも日本人の中でも、新平民があったり、薩長政府の残滓もあったでしょうし、 学歴、性別、出身別の差別おお有り時代、個人の努力では如何ともしがたい時代であっ たと思います。
部落出身ということや、身内にハンセン氏病患者がいるなどということは絶対知ら
れてはならない時代でした。
もし、知られたら、そこから先の生活がどういうことになるかわからない時代でし
た。
当時は、婦人の参政権も認められていませんでしたし、限定された公民権だったこと は事実です。しかし、それを持って正常な国家ではなかったというのは拡大解釈です。
正常であるとか、ないとかでなく、戦後の政府とは、成り立ちが違うということを 言ったのです。形だけの選挙制度の上に軍部が君臨していました。軍部独裁政権と見 ていいのではないでしょうか。
しかし、留意すべきなのは全く差別無く仲良く日本人と朝鮮半島人が共同作業する状 況も確かにあったということです。(主に下層階級同士で。前線の兵士でも、危険を 伴う労働現場でも、差別被差別の関係では、お互いの安全を守ることはできません) 又、台湾の李登輝氏や孫文のように日本の大学で立派に勉学を修した人もいたという ことです。概ね、教育に関して戦前日本は第2国民にも平等に対処していたと思いま す。
一部に日本人と対等につき合える朝鮮人がいたとしても、それがすべてではありま せん。大部分は、確実に差別されていたと思います。
(からゆきさんや、その他激務労働の現場では日本人が特段優遇されていた形跡は無 いと考えます)
売春婦の間でも、朝鮮人は、安く買えたのだと思います。
安い朝鮮人を買ったから、病気を移されたというような会話も聞いたことがありま
す。
朝鮮併合が不幸な結果を招来した面は否定しませんが、マルクス主義者なら唯物史観、 封建的(アジア型)絶対王政が初期資本主義に移行するのは歴史的必然であり、社会 主義がその次に来る天国だとしても、封建制より資本主義の方が数段ましだというこ とぐらい常識の筈です。でなければ、日韓併合以後、半島の人口が30万人も増加し た事実の説明がつきません。
朝鮮を日本が併合したり、満州を植民地にしたために、彼の地の生産力が向上した ことは事実でしょう。それでもって、日本が恩恵を与えたと思うのは間違いだと思い ます。
私は、満州に在住していましたが、満州人の苦人(クリー)と言われる人々の生活
は、とても人間並ではありませんでした。
アンペラ(日本でいえばむしろ様)で囲っただけの飯場で生活している彼等は、殺
されてもあんまり問題にされないようでした。
日本人、朝鮮人、中国人と人種によって、初任給が違うと聞いていました。朝鮮半
島がどうだったかは知りませんが。
ひどい差別をしていたからこそ、日本人は戦後すぐに日本へ引き揚げなければなら
なかったのだと思います。