有島実篤さま、始めまして。「虹の彼方」と申します。
実篤様の下記の韓国の事情について韓国のマスコミなどから調べました。
> 先に、韓国与党の党首が、父親が植民地時代に日本軍の憲兵だったことが発覚して辞任したという出来事もありました。
これは北朝鮮ではなく、韓国の話ですよ。
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2004年7月13日、ヨルリン・ウリ党 親日調査範囲の拡大で大波紋
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2004年7月13日、ヨルリン・ウリ党(現韓国与党、以下「ウリ党」)は親日反民族行為者の範囲を大幅に拡大することを骨子とした「日帝強占下親日反民族行為真相究明特別法」改正案を7月14日国会に提出。
調査対象者の範囲として、①第16代国会で制定された法案に、憲兵分隊長と中佐以上となっていた将校を少佐以上に拡大 ②高等文官以上の官吏を軍需以上に ③警察幹部となっていた警察は警視(総警級)以上に拡大するという改正案を提出。
同改正案が国会で可決された場合、朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領も、親日行為の調査対象になる。
このため、特定の人を調査対象に含めさせるために調査対象の職位を拡大し、対象職位間に公平性がないという反発が起こっている。また、調査委の公式結論が出る前に新聞や放送局が事前報道をすることで、「世論裁判」になる可能性が高いという指摘も出ている。
ウリ党は、改正案を定期国会が開会される直前の9月初めまでに処理する計画であった。
またこの改正案は、親日行為の定義と合わせて、①独立運動弾圧行為に抗日運動弾圧を加え ②日本植民統治と侵略戦争に協力した反人道的犯罪行為 ③民族文化破壊及び国語や文化遺産毀損・搬出行為なども追加した。
さらに「文化機関を通じた親日行為」と規定されていたものを「文化、芸術、言論、学術、教育、宗教分野の親日行為」とすることで、マスコミやマスコミ社主(朝鮮日報、東亜日報、中央日報)の戦前の親日行為をも調査対象にしている。
委員会の活動期間も3年から5年に延長し、委員の国会推薦条項を削除することで、大統領が全委員の任命権を持つことにした。 一方、朴正熙元大統領の長女であるハンナラ党の朴槿恵(パッ・クネ)前代表は、「このような問題は、政治的意図や目的を持って行なってならない」と述べ、反対の立場を明らかにした。
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2004年8月17日、ウリ党議長、実父の日本軍服務事実を認める
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ウリ党の辛基南(シン・ギナム)議長は16日、実父が日帝時代に日本軍として勤務したという月刊誌「新東亜」の報道と関連し、「父は日帝時代、大邱(テグ)師範学校を卒業して教師生活を送り軍に入隊したと聞いている」と日本軍への服務事実を認めた。
辛議長はこの日、釜山(プサン)を訪問し記者たちにこのように明かし、「日帝治下で軍生活を送ったことが父としては自分なりに仕方ない選択だったと理解しているが、一方では命を賭け闘った独立闘士と遺族には父の代わりに謝罪し、許しをこいたい」と述べた。 辛議長はまた、「父の場合も親日真相糾明対象になりうると思う」としながら、「軍にいた当時、高位職ではなかったが調査するなら最大限協力する」と述べた。
「父は日本の植民地支配からの解放後、警察に入り韓国戦争に参加し多くの戦功を立て太極武功勲章をもらったこともあり、4・19(1960年4月19日にピークとなった李承晩大統領退陣運動)前に引退した」としながら、「いかなる場合にも親日真相糾明は徹底して行うべきで、親日残滓(ざんし)清算も徹底して行わなければならないというのが私の信念」と付け加えている。
辛議長はこれまで実父の日本警察服務説が取り上げられた際、これを否認したことについて、「警察が政治的役割を果たしていたため、それは明らかに違うため否認しただけ」とし、「軍経歴はいつか明らかにする機会があると思う」と釈明した。
これに先立ち、「新東亜」は9月号で辛議長の実父、辛相默(シン・サンムク/1916~1984)氏が1938年3月に大邱師範学校を卒業後、全羅南道・和順郡・清豊小学校教師として在職後、1940年に日本軍に志願、日本軍憲兵伍長として勤務したと報じた。
新東亜によれば、「重光国雄」と創氏改名した辛氏は朝鮮総督府国軍兵志願者訓練所を修了した直後の同年11月8日に半島(パンド)ホテルで日本軍志願兵修了生資格で朝鮮総督府機関紙の毎日甲報の座談会に出席し、毎日甲報はこの座談会を同年11月30日から8回にわたり連載した。
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2004年8月17日、自ら招いた「連座制」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
与党の代表が既に故人となった父の親日前歴のため、辞任の圧力を受けている。ウリ党の辛基南(シン・ギナム)議長の父、辛相默(シン・サンムク)氏が日本の憲兵(伍長)として活動したのは1940年代初め。1952年生まれの辛議長が生まれる10年前のことだ。
辛議長本人が責任を取ることができないのはもちろん、どんなことがあったのかさえ知らなかった頃のことだ。にもかかわらず辛議長が窮地に追い込まれる連座制的な状況が、21世紀にOECD国家の国で展開されているのだ。これは現政権自らが招いたことだ。
李来栄・高麗大教授は、「与党の言行が矛盾に陥った状況」とし、「経済、外交、安保問題などがすべて厳しい状況にあるため、現政権がアイデンティティーの面で差別化を試みるため、過去史の清算という切り札を使ったが、結局、その過去で墓穴を掘ったことになった」と話した。
李教授は「日本の植民地支配から解放されてから1~2年しか経っていない訳でもなく、既に60年も経っているのに、その当時のことで政界がとやかく言うこと自体が、暇なのではないかと感じられる」言及。
康元沢・崇実大教授は、「過去の真相ということ自体、時代的な状況を知っていれば善悪または白黒に分けることが難しいことなのに、二分法的に接近したために、墓穴を掘ったようなもの」と話した。
康教授は「歴史的な真相を明らかにするという趣旨自体は理解するが、国民全体が厳しい経済状況のために苦しんでいる中で、それほどまでに優先順位の高い問題なのか」と指摘した。
与党の関係者は過去史の清算問題に対し、「連座制によって子孫に恥をかかせ、処罰しようということではなく、真相をきちんと明らかにしようという趣旨」と口を揃えている。しかし実際には連座制的な意識構造によって、過去の問題に接近していることを示す言及が幾度もあった。
最近では盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が光復節祝辞で、「『独立運動家は3代貧しく、親日派は3代息巻く』という、歴史認識から今も抜け出せずにいる」と述べた。親日関係者の2世、3世が裕福に暮らしているのなら、それ自体が間違いという認識を明らかにしたのだ。
辛議長本人は今年3月、朴槿惠(パッ・クネ)代表がハンナラ党の代表に選ばれた際、「軍事クーデターと維新の主役である朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の娘が、この時代に絶対多数党の代表になることは歴史の皮肉」と述べた。また、他の与党関係者らも「朴代表は朴正煕時代の反民主、反統一、反人倫を清算しなければならない」「独裁者の子どもを乗り越えるのが課題」などとコメントしている。
過去史の清算作業自体が結局、連座制的結果をもたらすしかない構造でもある。1945年の光復から60年が経った時点であるだけに、日帝時代の責任ある大人として親日経歴のある当事者は、すでに80歳代後半になっており、生存者は極めて少ない。
結局、正確な事実関係自体を知らず、責任も問うことができない2世、3世を攻撃する作業になる。
与党ウリ党が狙っていることも、実はこれだという証拠も少なくない。与党は現在、親日究明法を制定し、強制連行と事実確定前の中間発表を許すことにした。テレビを活用して相手を罵倒できる道を開いたのだ。
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有島実篤さま、韓国の「反日」の事情は私たちが思っているよりもっと複雑な問題ではないでしょうか。戦前日本軍に(強制または生活のため仕方なく)協力してしまった韓国・朝鮮の人々は人口の3分の2に及ぶと言われています。いまその人たちが現政権によって責任を追及されようとしています。
辛基南(シン・ギナム)議長の例はその典型です。彼らは「386世代」と言われ、朴正熙独裁政権と戦った(光州事件代表される)学生出身者です。しかし彼ら親たちの多くは戦前日本に協力し、またさせられた人々です。戦前の日本の罪を追求すれば、自らの政治生命を奪う諸刃の剣になってしまう事実が横たわっています。
ここには、北朝鮮と同じように「罪は親子3代に及ぶ」という「連座制」という封建的な儒教思想が横たわっています。韓国の民主勢力もこの呪縛からは未だ抜け出しえないようです。
日帝植民地の責任を追及すれば、自分の親兄弟・親戚を裁かなければならないという抜き差しならない問題を孕んでいるのも歴然とした事実です。しかし私はこれをもって過去の植民地主義を免罪するつもりは有りません。ただ、「過去史」(韓国では戦前の植民地時代をこう呼んでいる)は韓国人にとってもそう単純なものではないのです。
大変失礼しました。