本田です。
昨日の投稿の補足を兼ねて、経済制裁すると拉致された人々が危険に曝されるから
経済制裁に反対、と言う意見に反論します。
この意見は既に家族会・救う会によって打破されています。
そもそも、経済制裁どころか、拉致被害を日本の国民・政府などに広く訴え、救済
を求める行動自体が、北朝鮮を刺激し「人質」に危険を及ぼすのではないか、という
危惧を家族は当初(おそらく今でも)持っているのです。
例えば、増元るみ子さんの弟で家族連絡会事務局次長の照明さんは次のように語っ ています。
> ○(○は質問者――引用者注)1988年に梶山静六国家公安委員長が、3紺の アベックは北朝鮮による拉致の疑いが濃厚と、参議院予算委員会で発言されました。
> 増元 僕ら家族も最初は半信半疑でして、1980年に産経新間の阿部雅美さん が各地を回ってそういう話をされた時、本当にそうなのかなと気持ちがありました。 本当に北朝鮮にいるのなら、生きていると思いました。
> 名前を出して北朝鮮を刺激したら、殺されるという気持ちの方が強かったです。 当然国が動いていると思つていました。国が何らかの動きで、取り返すことをやって いると思っていたんですよ。警察にすべて任せていたという部分があるんです。僕ら にはどうしようもなかった。北朝鮮がどういう国かもわかりませんし、ただ危ないと いう感覚はありました。警察に秘密裏にやってもらうしかないと。
> ○転換期はいつですか。
> 増元 それは横田めぐみちゃんの事件からです。
> 実名を出して公表したことと、めぐみちやんの事件を公にした石高健次さん(当 時朝日放送プローデューサー)と兵本達吉さん(当時橋本敦代議士秘書)にご尽力し ていただき、「一家族の間題ではない」と言われまして、家族を集めた方が運動とし て大きな力になるからとなりました。1997年の家族会結成は、拉致事件解決にとっ て大きな転換期ですね。
>(大田区広報誌「月刊 おとなりさん」より転載)
http://nagom.net/masumoto/masumoto19.htm
また、救う会東京会長・西岡力氏の「北朝鮮が通告してきた「安否情報」が意図的 謀略であると判断される理由」(救う会全国協議会ニュース(2002.9.23)より)には 下の記述もあります。
> 1998年救う会の招請で来日した安明進氏は、実名を出して救出運動をすると 被害者が殺される恐れはないかという家族の質問に「田口さんは金賢姫の自白後も無 事だった。本人が反抗しない限りせっかく拉致してきた貴重な人材を殺すことはない はず」と答えた。
http://www.ishiharasouri.com/exec/akiary042/200209.html
更に、地村保志さんの父、保さんは、福井新聞にこう語っています。
> 保 二人がおらんようになって十年目に大韓機爆破事件が起きて、これで(拉致 は)北朝鮮の仕業やと確信した。あんまり北朝鮮に逆らうと、命の保証がないとも考 えたんやが、やはりマスコミに騒いでもらわんと、と思うた。
http://www.fukuishimbun.co.jp/jp/rachi/hikisakitop4.htm
横田めぐみさんの父、滋さんも言っています。
> しかしその時新聞が、産経新聞と読売新聞に小さく報道されただけで、日本の人 はほとんど気がつかなかったわけです。
> 気がつかないと、救出運動というのも起きませんし、親の方もここで名乗り上げ たら子供たちが殺されるかも知れないと黙ってたのと、やはり政府の方が家族が動か なくてもしてくれるだろうと思って何にもしなかったわけです。
http://bbs.trycomp.com/report/019.html
そう言う危惧を持ちつつも、これ以上待てない、我慢できない、という心情から家
族は会を結成し行動を始めたのです。行動したら危険が増す、特に経済制裁を求めれ
ば更に危ない、しかしこれ以上長く北に捕らわれたままでいる方がより一層危険であ
る、との認識を家族会・救う会は持っている、と私は思います。(本田は彼らのメン
バーではないが、この認識は共有します。)
極当たり前のことですが、我々第三者が慮るようなことは、家族はとうの昔に考え
抜いているのです。
従い、「人質」の危険を理由にした経済制裁反対論は、既に論拠を失っていると考
えます。肉親を奪い取られた家族=弱者が、その肉親が危険に曝されているからこそ、
勇気を振り絞って北朝鮮の独裁権力に対峙し、無能・無責任な日本政府に訴え経済制
裁を迫っているのです。
私は彼らを支持します。