本田です。Res遅くなり申し訳ありません。
とおりすがりNさんへも書いたように、突然求職中の身となり、充分なresが出来ないことをお許しください。
>1. そこでお尋ねしたいのですが、標記12/02付投稿の中で、私に対する反論を内容とする「RE: 経済的制裁には反対です」2004/08/19付投稿を引用し、その直後に「主張の根拠を書いてください、事実とそれに基づく判断が判るような書き方をしてください、狭い内輪の人間だけに通じる事実認識や表現方法ではダメ、レッテル貼りでない具体論を聞きたい」ということを「これらの方々に訴えたい」と指摘し、さらに「先ほど書いた『これらの方々』の主張は私は誤りだと考えます」とまで断定する根拠を、もう一度簡単に聞かせていただけませんか。
下にも書いたように、貴方の主張まで「誤り」と断定するのは、言い過ぎでした。この部分は撤回します。
> ちなみに、私の立場は、より精密になりましたが、8月当時と変更はありません。私はあなたが引用している8/19付投稿後、8/21付投稿で「宿題にして引き続き考える」旨お断りし、さらにその後、さつきさんとのやり取りの行きがかり上、経済的制裁についても一定の勉強をせざるをえなくなり、基本的には「宿題」についても、自分なりの結論に到達しました。それは、議論の経緯上の制約から「組織論・運動論」欄に投稿した9/25付及び10/3付投稿、並びに本投稿欄への10/12付投稿で明らかにしています。これらは、ご覧いただけているのでしょうか?
大変申し訳ございません。8/21付投稿を見落としてしまい、指摘があって初めて読みました。また、8月半ば頃から仕事が忙しくなり、流し読みするようになった為、それ以降の投稿は読んでいるはずですが、それへの賛否や対案を詰めて考えてはいませんでした。
今遡って貴方の投稿を検討する時間が無いので、とりあえず、私の12/02付投稿に引用した「RE: 経済的制裁には反対です」2004/08/19付投稿について、引用を撤回します。また、『これらの方々』から樹々の緑さんを除外します。
>2. そしてこれは、改めてお尋ねするのですが、仮にあなたの見解が8月時点と同じ「経済制裁を躊躇すべきでない」というものだとしたら、それは、11月の日朝実務者協議の結果を経た現在、自民党の安倍晋三幹事長代理や民主党の田中慶秋議員の意見とほぼ同じことになると思います(12月3日(金)付「赤旗」第2面)が、そういうことなのでしょうか。言い換えると、あなたは、現在の日本共産党の拉致問題への対応策について、「経済制裁にあくまで反対している」点(「赤旗」同日付同面)が「誤り」だとお考えなのでしょうか?
私の考えは8月当時と変化ありません。まず対話を進めるが、北が不誠実な対応を取る限り、経済制裁などの圧力を段階的にかける(人道援助の量・時期など、船・航空機などの流通、朝銀支援、送金問題、在日資産凍結、朝鮮総連活動停止など。国交正常化交渉もカードとする。)。もちろん経済制裁中も対話窓口は常に開き、北が誠実な対応を示せば経済制裁は停止します。私は党は誤っていると考えます。この問題に関する限り、安部氏や田中氏に近い考えです。違う点は、彼らは内心では軍事制裁も考えているでしょうが、私はそれには反対だと言う点です。
>3. また本田さんは、樹々の緑などの「主張は私は誤りだと考えますが、彼らの問題意識は基本的には私と同じ物であり、従い、相応に評価せねばならない」と最後近くでおっしゃっていますが、このようなものの言い方には、民衆に対して上から説教を垂れる日本共産党の悪しき習慣の影響が感じられてなりません。私たちは、「さざ波も含めたinternetから頑迷な党中央を覆す力が育つことを期待」する、あなたの党中央転覆の企図の応援団ではありません。
「民衆に対して上から説教を垂れる日本共産党の悪しき習慣」、ご指摘の通りです。この表現は撤回します。ただ、私が言いたかったのは、結論的な主張が違っていても、本来連帯できる者同士ではないか、と言うことです。
また、「覆す」と言う表現は過激過ぎたかもしれませんが、戦前の結党以来80年近く、また7大会以降半世紀に渡って数々の過ちを犯し、真の意味での反省も謝罪も賠償もしない日本共産党とそれを指導する中央委員会に対し、学生時代その栄光を確信し入党した本田がいかに深く絶望しているか、そして昨今の情勢からいかに党改革が求められているか、印したかった次第です。
> 日本共産党中央の政治的認識・組織原則に「誤り」があることは確かだと思いますが、これを覆すべきかどうかは、現時点で決められることではないと思っています。政治過程はそれほど単純ではないからです。
単純ではない、確かにそう思います。であるからこそ、「左翼運動」や民主運動に多くの害悪をも撒き散らしている(利益もありますが、害悪も多い。最近の国政選挙4連敗など基本的に指導部の責任でしょう。)日本共産党の中央の即時退陣を求めねばならないと考えます。誰もが承知の通り、与党連合の攻勢に押し捲られている我々に残された時間は少ない、急がねば(或いは既に手遅れかも知れませんが)。
>4. さらに、とおりすがりNさんへの応答のスタンスは、あなたと私とで基本的に同じだと思いますが、あなたの12/02付投稿からは、あなた自身が投稿の冒頭に述べた「それでもなお、党への支持を訴える」という熱意、そしてとおりすがりNさんの「騙された」という気持ち、このサイトにおける議論に対する「失望」への共感は、ほとんど伝わって来ない感じがします。
> それらの理由を、私も、あなたの投稿をコピーして何度も読み返して、考えてみました。そこでボンヤリと分ったことは、一つには、あなたがとおりすがりNさんに「共感」を示すために引いている事実が、「帰国事業」への日本共産党の関与に対する党自身の未総括ないし沈黙であり、あなたが「『帰国事業』の状況は記憶にありません」といっているように、あなたご自身の身を切られるような体験に基づいていないことにあるのではないかということでした。
帰国事業だけでなく北朝鮮問題自体、私にとって「身を切られるような体験」ではなく、説得力に欠けるかもしれません。しかし問題は体験の有無でなく、苦しい立場の人・弱者への想像力の有無だと私は思います。
> これは、とおりすがりNさんが、ご自身の中学時代以来の様々な経験から「騙された」感じを抱かれたのとは、かなり違っています。
> 私は、自分の経験では北朝鮮に関して「騙された」経験がない(どちらかというと、学生時代から、留学同の代表と会った経験などで「胡散臭く」感じていたからです)ので、同じテーマで「共感」を示すことはできませんでした。それで、所属支部員からも上級機関からも「活動家としてはまあまあだが、どうにも意見がなー」という態度で接しられ、一人きりで党中央と直接にやり合わざるをえなかった約2年間の論争点を、「騙された」経験として書きました。単に、当時の党中央の主張が誤りだったと批判する趣旨の記述にはなっていないと思います。
> もちろん、本田さんの「騙された」経験が、帰国事業に関するものになっているのは、とおりすがりNさんのテーマに合わせたからに過ぎず、本田さんご自身にも、Nさんや私と同じような切実な経験があったのかも知れません。
> むしろ本田さんが、「小学校の社会科の授業で、韓国と比べ北朝鮮は農業・工業が発達した豊かな国だ、という教育を受けた」ことに関して、党中央からもそのように教育され、それをずっと信じて回りの民衆にも吹聴して回っていたが「裏切られた」というのならば、まだ話がよく分かります。
大学時代入党し、宮本顕治の『日本革命への展望』を正に胸踊る思いで読んだことを覚えています。その後、50年問題を知り、新日和見主義批判・田口問題・原水協吉田問題・伊利伊智問題・ルーマニア問題・有田芳生問題・加藤哲郎問題・古在問題・社会主義生成期論とその崩壊(なし崩し的撤回)等等。私が党や革命運動に対して、最も裏切られた騙されたと感じるのは、宮本顕治や不破哲三など日本共産党の指導者もスターリン主義的誤りに染まっていることです(もちろん当時見抜くことが出来なかった私自身の力不足も反省せねばなりませんが)。
また、ソ連崩壊後に公開された秘密文書などにより確定された、スターリンやレーニンなどによる殺人・投獄・飢餓などの詳細な実態も衝撃でした。直接日本共産党に関係するものとしては、シベリア抑留問題、朝鮮戦争問題、などです(入党前からスターリン問題など通り一遍は知っており、それを話題にする為先輩党員から変わり者扱いされましたが、そんな私でも大きな衝撃でした)。
また、裏切りではありませんが、大きな違和感を持ったこととして、入党前、民青同盟の全学会議で票決時、私だけが反対挙手し、他全員が賛成挙手する中、県委員から恐ろしい顔で睨み付けられたこと。翌日大学自治会周辺で私の「蛮行」が話題になっていたこと。を思い出しました。
また、当時先輩党員からよく、自由分散主義的との批判を受け、直さなければいけないと思っていましたが、今にして思えば普通の当たり前の人間、只ちょっと反抗的批判的で集中力に欠ける人間だったのだと思います。
> この点とおりすがりNさんは、「自分が心底から信じ切っていたことが、実は虚構だった」と解った時、普通の人ならば、「なぜこんなにも惨めな誤解をしてしまったのか、真実はどう理解すべきだったのか、それができなかった根本原因は何か」を身を切る思いで総括するのではないのか、それを、非本質的な「共産党が最初に拉致問題を国会で取り上げ、十分な活動をしているし非難されるべきことではない」という防御的な遁辞で威張って見せたりするのは、人間としておかしくはないか、と暗に指摘されているのではないでしょうか。
> それをとおりすがりNさんは、「……そんなことを検証したいというのが私の気持ちだった」と表現しているのだと思います。ただ単純に、宮本顕治氏が40年くらい前に何と言っていたかを知りたかったのではないと思います。
ご指摘通りでしょうね。
> しかし、ちょっと厳しい言い方になるかも知れませんが、本田さんの共感には、「就職し一度転職してからは、いろいろな人と接したから」その影響を受けて「党中央が言うことが全て正しいわけではないと思うように」なった、そして、「2002年9 月前職を辞め故郷に戻ってから、党史や社会主議論など以前からの疑問点をインターネットで調べた」結果、「学者・研究者だけでなく多くの一般人も既に何年も前から様々な論議をされていた」ことに気づいた、という遍歴から考える限り、「自分の頭で考えざるをえなくなって、何が何でもこれだけは譲れない自分の『核』が何か解った」という経験が希薄なような気がするのです。
> 本田さんがいろいろな人と接しなかったら、宮地健一さんや黒坂真さんのウェブサイトを発見しなかったら、そして宮地健一さんを「最も信頼する」ようになっていなかったら、と想像すると、「『知識』的な経験だなー」という感慨を持たずにはいられないのです。 ですから、「騙された」ことへの共感を、学生時代まではマインドコントロール状態にあったが、その後広い情報に接して脱した、というように説明するのでは、足りないと思うのです。
> この指摘があなたの自尊心を傷つけたらごめんなさい。傷つけることは決して私の意図ではありません。
厳しいご指摘ですが、当っていると思います。大学時代学生運動を通じて入党し、卒業後、最初の就職先も次の転職先も「大経営」で、ずっと非公然活動で、月一の会議・学習会と党費納入・カンパの他は党活動も大衆運動もほとんどやっていません。ご批判を受ける前から、自分は「講壇社会主義者」ではないか?と言う懸念を持っていました。
> ではお前はどうなのか、と問われると、自分のマルクス主義の基本的な習得が、現実分析に適用できるレベルにまで鍛え上げられていなかった、ということに尽きると考えています。党中央と衝突した期間(その間も、「赤旗」日刊紙・日曜版の配達や集金は分担していましたし、要求実現活動や署名集めもしていました)は、本当に「食うために働く」状態だったので、私の周囲には、私の疑問を受け止める人どころか、私を「変り者」扱いする人しかいませんでした。と同時に、それまで自分が大学で知識として学んだ法解釈学の、その肯定面も否定面も、その歴史的限界と進歩性も、そして、解釈学者が何気ない体系書の記述の背後に託した思いの強さも、一気に「心に響く」ようになったのです。マルクスもエンゲルスも、民主主義者から社会主義者になった、ということが単なる「事実経過」ではなく、腑に落ちました。それは多分、畏れ多いことですが、岩波文庫版・吉野源三郎『君たちはどう生きるか』のあとがきで、丸山眞男先生が助手になってからこの書物を読んで受けたと述べている「衝撃」にも似たものでした。
残念ながら悔しいけれど、このような体験は私にはありません。
>5. さらに、このサイトの議論に対するとおりすがりNさんの「失望」に関しては、本田さんの指摘されている「議論の仕方」「願望や感覚・感情に過度に依拠した」見地以外にも、このサイトの「目標」に対する姿勢の違いが反映しているように思います。
> もしかすると、このサイトで脳天気に議論している人たちが、去年の今頃、北朝鮮問題での質問に一方的にまくし立てて募金も受取らずに帰って行った党員と、とおりすがりNさんの目にはダブって映っているのかも知れません。
> そんな姿勢でいくら議論をしても、「日本共産党の民主主義的改革」などほど遠いのではありませんか、とNさんは言いたかったのではないでしょうか。
> もちろん、この目的を広く捉えれば、日本共産党の歴史や現状に対する広範な意見・生の事実を知ること自体に意義がありますから、「何でもあり」で構わないわけです。その点で主宰者の考え方に賛成です。
> しかし、何らかの政策課題は、結局、搾取され抑圧されている民衆(日本だけでなく世界中の)の状態を根本的に、あるいは暫定的に改善するためには、どういう方針でたたかうのが一番適切か、ということに繋がりますから、参加者が協力して「(議論を)噛み合わせて練り上げる」姿勢を持つことも、とても大事です。相手からの「問いかけ」に答えずに、相手を揶揄したり自分の言いたいことだけを言い放つ、そんな姿勢では、たとえ「旧来の社会主義・共産党の世界観から導き出された」見解に立っていなくても、やはり結果は不毛になってしまうでしょう。
> この問題に誠実に向き合わずに、発言を繰り返すようでは、「不毛な議論で参加者を消耗させることを狙っている」と評価されてもやむをえないのだと思います。
> そして、私は最近、日本共産党について真剣に考えようとする人たちに消耗な議論を吹っ掛けて、ウンザリさせることが「日本共産党の民主主義的改革」の実質だ、と考えている人たちがいるのではないかと、思うようになりました。もっと言えば、党の民主的改革などどうでもよい人たちです。
> 特に発言が、自分の個人的経験に裏付けられている場合には、その消耗戦は果てしないものになりがちです。最初は共感できても、議論の目的が曖昧になってきてしまう感じは否めません。
> 「議論している内容がどれほど空虚に映るか、皆さんに理解していただけるのでしょうか・・・。たぶん理解できないのだろうな」と嘆かれたとおりすがりNさんの言葉は、私には、以上のような事柄を指しているように思えてなりません。
確かに消耗的な議論をしている人もいるでしょう(私自身はそうではないつもりですが、考えようによっては無益な論議かもしれません)。でも、そう言う厄介で扱いにくい人とも連帯していかなければ、選挙で多数を取るなんて出来ないと思うのです。勿論このsiteを混乱させることを目的として発言する人であれば別ですが。
今では私も、むぎむぎ氏はそのような目的を持っているかもしれないと感じています。だからと言って、≪追放≫には抵抗があるのですが、そう言う主張は理解は出来ます。
まあ、ある程度議論が進んだら、とりあえず実践し、検証してみると言うことがwebsiteでは不可能なのが問題でしょうか?
優柔不断な言い訳しか書けなくて申し訳ない。とりあえずこれでresします。
以上