私の住む地区で在日の高齢者対象としたNPOのディサービス発足記念式展が開催され、参加した。
在日の人々の懸命の努力によってNPO法人として認められ、来年春から実質スタートするという。
在日一世を主に、近隣の日本人高齢者も対象としたデイサービス、訪問介護がその目的である。
この国の高齢社会化がそれこそ新幹線並みに進行すると同じで、在日一世の高齢化も進み、介護を必要とする人々が増加している。
私たち日本人にとっても現状の介護体制は余りにも貧弱で頼りないものだが、在日一世にはより過酷な克服しがたいハンディキャップが待ち構えている。
今営利を目的とした、デイサービス、訪問介護の施設業者は今雨後の竹の子の様に増加している、だがそれらは決して公平ではない、金になる高齢者は優遇され、手のかかる厄介者は冷遇される、資本は高齢者まで差別を貫徹する。
「高齢者は子供に帰る」とよく言われている、在日一世が必死の努力の結果、運良く日本の介護施設や訪問介護を受けられるようになっても、そこで耐え難い壁にぶち当たる、それは何か。
食べなれた朝鮮風味付けとは異なる食事(私も韓国をよく訪問するが、空港から降りた直後から言葉と共に舌の食感を変更しなければならない、それほどに日本と朝鮮との味には違いがある、日本人向けの韓国料理ならさほど感じられないだろうがー)、細かな生活風習などの違い、そして一番問題なのが言葉だ。
高齢者にはほぼ必然的にボケが襲う、その一番は言葉だ、折角60年もかけて無理やりに覚させられた日本語をすっかり忘れてしまう高齢者が多いという。
何か不都合があっても思わず朝鮮語が出てしまうため、日本人スタッフには伝わらないことが多いのだ。
そのため日本の施設や介護では、看護に不都合さが生じ、孤立感に陥る在日一世もあるという。
在日の沢山の人々の支援によってスタートしたこのNPOは、殆どが若い在日3世4世のスタッフによって運営される。
年老いたハルモニを優しく介護する若い在日の青年、安心な介護に笑顔を浮かべるハルモニたちの姿が目に浮かぶ。
記念式典は組織・運動体を越えた在日の方々、私など近隣の日本人、招待された自治体首長その他、主催者の思惑さえ越えた大入り満員、盛大で楽しくそれでいて力強い集まりとなった。
アリランなど民族音楽、チヤンゴ、美しく華麗な朝鮮舞踏、目の前に溢れんばかりにおかれた朝鮮料理、しかし圧巻はなんといっても介護サービスで一番乗りを果たした車椅子のハルモニの歌だった。
最後は全員で会場をはみ出さんばかりに、2周も3周もして歌い踊りまくるラインダンス?でしめくられた。
拉致問題を先頭にこの国で吹き荒れる排外主義の嵐、在日の人々の立場はまだまだ厳しい、だがそれは私の杞憂に終わるかも知れない、この日私は、在日の人々から紛れもなく、日ごろではなかなか手に入らない人間の熱気を、感動を、人としての一体感を分け与えて貰ったのだからー。
この様な在日高齢者を対象としたデイサービスは、先駆的存在となった京都を手本に、各地で設立されるという。
是非皆さんもそれらを温かく見守ってほしい、今在日の方々は厳しい中で確実に新しい希望を切り開いたのだ。