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「北朝鮮問題」討論欄

Re:党員であり続けることに迷いがある私~12/02付本田さんへ

2004/12/07 樹々の緑 50代 会社員

 とおりすがりNさんの同じ投稿に応答した者であり、かつ、その中で自分宛の否 定的な投稿が引用されている者として、毎度割込みで済みませんが、コメントさせて 下さい。

 本田さん、あなたは標記12/02付投稿の中で、「主張の根拠を書いてください、事 実とそれに基づく判断が判るような書き方をしてください、狭い内輪の人間だけに通 じる事実認識や表現方法ではダメ、レッテル貼りでない具体論を聞きたい」とおっしゃ っていますね。

1. そこでお尋ねしたいのですが、標記12/02付投稿の中で、私に対する反論を内容と する「RE: 経済的制裁には反対です」2004/08/19付投稿を引用し、その直後に「主張 の根拠を書いてください、事実とそれに基づく判断が判るような書き方をしてくださ い、狭い内輪の人間だけに通じる事実認識や表現方法ではダメ、レッテル貼りでない 具体論を聞きたい」ということを「これらの方々に訴えたい」と指摘し、さらに「先 ほど書いた『これらの方々』の主張は私は誤りだと考えます」とまで断定する根拠を、 もう一度簡単に聞かせていただけませんか。

 ちなみに、私の立場は、より精密になりましたが、8月当時と変更はありません。 私はあなたが引用している8/19付投稿後、8/21付投稿で「宿題にして引き続き考える」 旨お断りし、さらにその後、さつきさんとのやり取りの行きがかり上、経済的制裁に ついても一定の勉強をせざるをえなくなり、基本的には「宿題」についても、自分な りの結論に到達しました。それは、議論の経緯上の制約から「組織論・運動論」欄に 投稿した9/25付及び10/3付投稿、並びに本投稿欄への10/12付投稿で明らかにしてい ます。これらは、ご覧いただけているのでしょうか?

2. そしてこれは、改めてお尋ねするのですが、仮にあなたの見解が8月時点と同じ 「経済制裁を躊躇すべきでない」というものだとしたら、それは、11月の日朝実務者 協議の結果を経た現在、自民党の安倍晋三幹事長代理や民主党の田中慶秋議員の意見 とほぼ同じことになると思います(12月3日(金)付「赤旗」第2面)が、そういうこ となのでしょうか。言い換えると、あなたは、現在の日本共産党の拉致問題への対応 策について、「経済制裁にあくまで反対している」点(「赤旗」同日付同面)が「誤 り」だとお考えなのでしょうか?

3. また本田さんは、樹々の緑などの「主張は私は誤りだと考えますが、彼らの問題 意識は基本的には私と同じ物であり、従い、相応に評価せねばならない」と最後近く でおっしゃっていますが、このようなものの言い方には、民衆に対して上から説教を 垂れる日本共産党の悪しき習慣の影響が感じられてなりません。私たちは、「さざ波 も含めたinternetから頑迷な党中央を覆す力が育つことを期待」する、あなたの党中 央転覆の企図の応援団ではありません。
 日本共産党中央の政治的認識・組織原則に「誤り」があることは確かだと思います が、これを覆すべきかどうかは、現時点で決められることではないと思っています。 政治過程はそれほど単純ではないからです。

4. さらに、とおりすがりNさんへの応答のスタンスは、あなたと私とで基本的に同じ だと思いますが、あなたの12/02付投稿からは、あなた自身が投稿の冒頭に述べた 「それでもなお、党への支持を訴える」という熱意、そしてとおりすがりNさんの 「騙された」という気持ち、このサイトにおける議論に対する「失望」への共感は、 ほとんど伝わって来ない感じがします。

 それらの理由を、私も、あなたの投稿をコピーして何度も読み返して、考えてみま した。そこでボンヤリと分ったことは、一つには、あなたがとおりすがりNさんに 「共感」を示すために引いている事実が、「帰国事業」への日本共産党の関与に対す る党自身の未総括ないし沈黙であり、あなたが「『帰国事業』の状況は記憶にありま せん」といっているように、あなたご自身の身を切られるような体験に基づいていな いことにあるのではないかということでした。

 これは、とおりすがりNさんが、ご自身の中学時代以来の様々な経験から「騙され た」感じを抱かれたのとは、かなり違っています。
 私は、自分の経験では北朝鮮に関して「騙された」経験がない(どちらかというと、 学生時代から、留学同の代表と会った経験などで「胡散臭く」感じていたからです) ので、同じテーマで「共感」を示すことはできませんでした。それで、所属支部員か らも上級機関からも「活動家としてはまあまあだが、どうにも意見がなー」という態 度で接しられ、一人きりで党中央と直接にやり合わざるをえなかった約2年間の論争 点を、「騙された」経験として書きました。単に、当時の党中央の主張が誤りだった と批判する趣旨の記述にはなっていないと思います。

 もちろん、本田さんの「騙された」経験が、帰国事業に関するものになっているの は、とおりすがりNさんのテーマに合わせたからに過ぎず、本田さんご自身にも、Nさ んや私と同じような切実な経験があったのかも知れません。
 むしろ本田さんが、「小学校の社会科の授業で、韓国と比べ北朝鮮は農業・工業が 発達した豊かな国だ、という教育を受けた」ことに関して、党中央からもそのように 教育され、それをずっと信じて回りの民衆にも吹聴して回っていたが「裏切られた」 というのならば、まだ話がよく分かります。

 この点とおりすがりNさんは、「自分が心底から信じ切っていたことが、実は虚構 だった」と解った時、普通の人ならば、「なぜこんなにも惨めな誤解をしてしまった のか、真実はどう理解すべきだったのか、それができなかった根本原因は何か」を身 を切る思いで総括するのではないのか、それを、非本質的な「共産党が最初に拉致問 題を国会で取り上げ、十分な活動をしているし非難されるべきことではない」という 防御的な遁辞で威張って見せたりするのは、人間としておかしくはないか、と暗に指 摘されているのではないでしょうか。
 それをとおりすがりNさんは、「……そんなことを検証したいというのが私の気持 ちだった」と表現しているのだと思います。ただ単純に、宮本顕治氏が40年くらい前 に何と言っていたかを知りたかったのではないと思います。

 しかし、ちょっと厳しい言い方になるかも知れませんが、本田さんの共感には、 「就職し一度転職してからは、いろいろな人と接したから」その影響を受けて「党中 央が言うことが全て正しいわけではないと思うように」なった、そして、「2002年9 月前職を辞め故郷に戻ってから、党史や社会主議論など以前からの疑問点をインター ネットで調べた」結果、「学者・研究者だけでなく多くの一般人も既に何年も前から 様々な論議をされていた」ことに気づいた、という遍歴から考える限り、「自分の頭 で考えざるをえなくなって、何が何でもこれだけは譲れない自分の『核』が何か解っ た」という経験が希薄なような気がするのです。

 本田さんがいろいろな人と接しなかったら、宮地健一さんや黒坂真さんのウェブサ イトを発見しなかったら、そして宮地健一さんを「最も信頼する」ようになっていな かったら、と想像すると、「『知識』的な経験だなー」という感慨を持たずにはいら れないのです。  ですから、「騙された」ことへの共感を、学生時代まではマインドコントロール状 態にあったが、その後広い情報に接して脱した、というように説明するのでは、足り ないと思うのです。
 この指摘があなたの自尊心を傷つけたらごめんなさい。傷つけることは決して私の 意図ではありません。

 ではお前はどうなのか、と問われると、自分のマルクス主義の基本的な習得が、現 実分析に適用できるレベルにまで鍛え上げられていなかった、ということに尽きると 考えています。党中央と衝突した期間(その間も、「赤旗」日刊紙・日曜版の配達や 集金は分担していましたし、要求実現活動や署名集めもしていました)は、本当に 「食うために働く」状態だったので、私の周囲には、私の疑問を受け止める人どころ か、私を「変り者」扱いする人しかいませんでした。と同時に、それまで自分が大学 で知識として学んだ法解釈学の、その肯定面も否定面も、その歴史的限界と進歩性も、 そして、解釈学者が何気ない体系書の記述の背後に託した思いの強さも、一気に「心 に響く」ようになったのです。マルクスもエンゲルスも、民主主義者から社会主義者 になった、ということが単なる「事実経過」ではなく、腑に落ちました。それは多分、 畏れ多いことですが、岩波文庫版・吉野源三郎『君たちはどう生きるか』のあとがき で、丸山眞男先生が助手になってからこの書物を読んで受けたと述べている「衝撃」 にも似たものでした。

5. さらに、このサイトの議論に対するとおりすがりNさんの「失望」に関しては、本 田さんの指摘されている「議論の仕方」「願望や感覚・感情に過度に依拠した」見地 以外にも、このサイトの「目標」に対する姿勢の違いが反映しているように思います。
 もしかすると、このサイトで脳天気に議論している人たちが、去年の今頃、北朝鮮 問題での質問に一方的にまくし立てて募金も受取らずに帰って行った党員と、とおり すがりNさんの目にはダブって映っているのかも知れません。
 そんな姿勢でいくら議論をしても、「日本共産党の民主主義的改革」などほど遠い のではありませんか、とNさんは言いたかったのではないでしょうか。

 もちろん、この目的を広く捉えれば、日本共産党の歴史や現状に対する広範な意見・ 生の事実を知ること自体に意義がありますから、「何でもあり」で構わないわけです。 その点で主宰者の考え方に賛成です。

 しかし、何らかの政策課題は、結局、搾取され抑圧されている民衆(日本だけでな く世界中の)の状態を根本的に、あるいは暫定的に改善するためには、どういう方針 でたたかうのが一番適切か、ということに繋がりますから、参加者が協力して「(議 論を)噛み合わせて練り上げる」姿勢を持つことも、とても大事です。相手からの 「問いかけ」に答えずに、相手を揶揄したり自分の言いたいことだけを言い放つ、そ んな姿勢では、たとえ「旧来の社会主義・共産党の世界観から導き出された」見解に 立っていなくても、やはり結果は不毛になってしまうでしょう。
 この問題に誠実に向き合わずに、発言を繰り返すようでは、「不毛な議論で参加者 を消耗させることを狙っている」と評価されてもやむをえないのだと思います。
 そして、私は最近、日本共産党について真剣に考えようとする人たちに消耗な議論 を吹っ掛けて、ウンザリさせることが「日本共産党の民主主義的改革」の実質だ、と 考えている人たちがいるのではないかと、思うようになりました。もっと言えば、党 の民主的改革などどうでもよい人たちです。
 特に発言が、自分の個人的経験に裏付けられている場合には、その消耗戦は果てし ないものになりがちです。最初は共感できても、議論の目的が曖昧になってきてしま う感じは否めません。

 「議論している内容がどれほど空虚に映るか、皆さんに理解していただけるのでしょ うか・・・。たぶん理解できないのだろうな」と嘆かれたとおりすがりNさんの言葉 は、私には、以上のような事柄を指しているように思えてなりません。