ロム3さん、遅くなりましたがレスを返します。当方もそろそろ繁忙になってきたのでレスするのが遅れました。
さて、前回の投稿への解答ですが徴兵と徴用を混同されています。そもそも、日華事変から始まった戦争の経過の中で当初は国民皆兵制度はなかったのです。だから、あなたの御父君も満州で民間人として活躍されていたのです。敗戦濃厚になり、新兵の補充がきかなくなったから徴兵制度(赤紙)が施行されたのであって、本来戦いは、専門職である兵士が遂行していたのです。学徒動員などで、大学生まで兵士として徴兵されたのは敗戦濃厚となってからです。ですから、朝鮮人・台湾人まで徴兵制度が適用される前に敗戦となったのです。
一方、徴用は軍事工場などで労働することで、これらは本土では中学生ぐらいまで適用されていました。学業そっちのけで、工場労働にかり出されたのです。徴兵制度により、減少した熟練労働の代替を主婦、学生が期待されたのです。しかし、多くは官営の軍需工場であり、言い換えると戦後の大企業(三菱や川崎重工など)での労働であり、悲惨な重労働という実態ではなかったようです。労務費もきちんと払われ、その後厚生年金の支給対象にもなりました。(但し戦災のため、当時の勤続在籍証明が存在せず、厚生年金データに引き継げてないケースが大半です。70代以上の方でお心当たりの方は、最寄りの社会保険庁で相談して下さい。思わぬ未請求の年金が見つかる可能性があります)こちらの徴用には、朝鮮半島・台湾の人々も参加しました。主に、台湾の人のルポがあるはずですが悲惨な体験では無く、懐かしい思いでとして語られています。
戦後の朝鮮人部落が悲惨なのは良く語られることです。民団のレポートの中にも昭和20年代から30年代にかけての職業別トップ3が統計化されていましたが、1に廃棄物処理業、2に鉄工業、3に水商売だったそうです。そして、これをもって韓国、朝鮮人が如何に差別されていたかの証明としている論調です。
しかし、これは真っ赤な嘘です。統計が嘘ということではありません。上記3種の職業は、下町(ダウンタウン)での職業のトップ3と重なるのです。当時、彼らが居住していた下町(労働者階級の町ですか)ではごく当たり前の職業であり、多くの貧しい日本人も同じ職業についていたし、現実には戦後のどさくさの中で第3国人として暴利を貪った人々が日本人を雇っていたケースも少なくないのです。
当然のことですが、1世としてチャンスを求めて裸一貫で日本にやってきた人々が10年やそこらで立派な地位と潤沢な経済力を持てるわけもありません。実際に彼らの何人かが成功するのは2,3世代あとの筈でした。しかし、実際には日本は奇跡的な経済成長を果たし、すでに1世で財産を築ける人達も発生したのです。その結果、恵まれた2世の多くが大学まで進み、当時の先進的と考えられた「サヨク」思想にのめり込み現在のネガティブな日韓の歴史観が創造されたのです。
そうです、現在の在日1世の殆ど全員は強制連行というネガティブな要因で日本に居住したのでは無いのです。
朝鮮半島より豊かでチャンスの多い、日本本土へ一旗挙げに来たのです。だから、敗戦後日本に留まったのです。つまり、ポジティブな人生だったわけです。
軍部独裁政権の定義がはっきりしないので、論争のしようも無いですが、明治維新を経て、日清・日露と勝利してきたアジアで始めて欧米と肩を並べられるようになった日本人全体が真珠湾の戦勝を喜んだのは事実です。大体、戦時に民間人を含め大量の戦死者を出すようになったのは第1次世界大戦が最初の体験であり、当時の国民の知識では戦場にならなければ国民生活に大きな影響が出るとは思ってなかったのではないでしょうか。仮に軍部独裁と見るとしても、当時の世界の国で軍部独裁で無い国などなかったように思います。
安い朝鮮人を買ったから、病気を移されたというような会話も聞いたことがあります。
ということは、日本人娼婦も存在していたということです。当然、この場合差別があったということですが、その裏にあるのは何でしょう。
現代の新宿で、金髪のアルゼンチンの街娼とアメリカ人の街娼が存在していて、そこに価格差が存在しますが、それは何故でしょう。母国の経済格差だと思います。利益を母国に送金するとして同じ1万円がアルゼンチンでは10万円の価値があり、アメリカでは1万円だとすれば、娼婦にとってはその価格差は経済的には是認できるものです。(気分は悪いでしょうが)一番問題なのは、あなたの発言で明らかなようにサヨク慰安婦問題ではこの日本人慰安婦の問題が全く触れられていないことです。韓国人慰安婦が賠償されるならば、日本人慰安婦も同様に対処されなければフェアでは無いでしょう。本当に、人道的な見地から慰安婦問題にアプローチするならば、韓国人・中国人慰安婦の前に、日本人慰安婦問題が先決でしょう。
ひどい差別をしていたからこそ、日本人は戦後すぐに日本へ引き揚げなければならなかったのだと思います
違います。連合国の命令だったからです。前にも書きましたが、朝鮮総督府では事務を引き継いで出国しています。ちなみに、総督府では朝鮮人の課長の下で日本人の平官僚というものも存在していました。当たり前です。どちらも、日本人ですから。但し、本土日本人には外地手当が付きました。これが、待遇面の差別と言われる所以です。しかし、現代の日本でも中央省庁から地方へ出向した場合、東京以外への勤務という名目で出向手当が支給されています。金額は知りませんが、論理的には部長給与を上回る出向課長という存在が現代の日本にも存在します。良いことだとは思いませんが、これが重大な人権侵害だとすれば、何故サヨクの強い日本の公務員組合はこのことを黙殺しているのでしょう。
ちなみに、私は40代であり、差別には大反対ですが実態と違う在日差別の流布にはもっと反対です。戦後流布された「サヨク幻想」に囚われてネガティブな考えしか持たない在日が存在するとすれば、とんでもない社会損失だと考えるし、本音を言えば、ここの多くの投稿者のように、貧困とは無縁な生活を送りながら「サヨク幻想」を振りまく人々こそ日韓・日朝友好の阻害者だととらえています。
PS:個人的に批判は全くありませんし、推測で話して申し訳ないですが、ロム3さんの御父君は満鉄あるいはその他の公務員に近い生活を中国で送られ、引き上げ後、ご苦労もあったでしょうが女性であるあなたにも、高等教育(高校進学さえ、クラスの半分程度だったころです)を授け、教育者、もしくは公務員として生活してこられたように推察します。ですから、お年の割には、当時の労働者としての生活感に疎いように思います。難しく言えば、観念論的とでもいいましょうか、まあ、実体験として共産党支持者には本当に貧しい家庭の人達がいなかったということも下敷きにあります。以上、お気を悪くされずに、戦後の事実をもう一度考えてみてください。