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「北朝鮮問題」討論欄

1/27 ロム3さんへ

2005/01/30 樹々の緑 50代 会社員

 ロム3さん、はじめまして。また、横から失礼します。

 人文学徒さんにお答えする形で長文の投稿をした際に、昨年11月のロム3さんと人文学徒さんとのやりとりが、大変参考になりました。ありがとうございました。

 ところで、その「お答え」の(その2・中)末尾でも触れたのですが、ロム3さんの上記投稿の論旨で、ぜひお考えをうかがいたい点があります。
 あなたが、「何のために社会主義を実現しなければならないかと言いますと人権を守ることに目的があると思います」とおっしゃっていることには、私も非常に同感なのですが、多分、私は、あなたの分類によると、「1.社会主義にしなければ、人権は守れっこないという論」者に分類されるだろうと思います。
 その推測を前提として、お尋ねするわけです。

 ところで、もちろん私は、社会主義に至る過程での部分的改良として、現在の社会でもさまざまな「人権擁護活動」がぜひとも必要だと考えています。しかし、この世の中でなぜ人権が侵害されたり抑圧されるのかを考えた場合、非常に平たくいえば、結局それは、世の中の政治構造が、大資本やその取り巻き連中の都合に合わせて作られているからであり、これを根本的に変えない限り、人権侵害・抑圧はなくせないのではないでしょうか。それが「(政治)権力を獲得する」ことの実質だと思うのです。
 ピンクチラシはいいように配布できるのに、共産党の議会報告や「赤旗」号外を撒くと、住居侵入罪や国家公務員法違反の罪で処罰されかねないというのは、表現の自由という古典的な人権一つをとっても、いまの日本社会では、人権の保障はきわめて偏頗なものでしかないことを示しているのではないでしょうか。反対面から言えば、実際の公権力の発動が一部の者の利益のためになされているから、人権が侵害されるのだとはいえないでしょうか。

>政治が必要ない。ということでは決してありません。

 その場合にロム3さんが「必要」だとされている「政治」とは、政治権力の行使とはどのような関係に立つのでしょうか。

>権力は自分から進んで取るよりも、転げ込んでから受け取る方がいい

 ここでロム3さんは、社会主義実現のためには結局「権力の獲得」が必要であるとお考えのようにも読み取れます。とすると、「2.人権を守って行けばいつかは社会主義は実現出来る」という場合の、「いつかは」を、できるだけ早めるために、「権力が転げ込んで」来るように客観的状況に働きかけて、それを促進する自覚的・意図的な運動は、必要ないのでしょうか。
 それとも、「人権擁護の大衆運動を広範に進めて行けば、権力は自然に転がり込んでくる」とお考えなのでしょうか。

 ロム3さんの論旨でどうしても気になる点は、「権力を握る」ということを、全体としてのロシア革命や中国革命のように、いわゆる暴力革命とまったく同視しておられるのではないかということです。

 しかしそれは、権力獲得の方法と、権力を獲得する課題自体との混同だと思います。「暴力革命」という「方法」への忌避が、「権力を獲得する」という「課題」の積極的実現への否定にまで及んでしまっている、という感じがするのです。

 近代市民革命は、「自由・平等・友愛」という「人権」を掲げたブルジョアジーたちが、「まず暴力的に」「政治権力を獲得して」成し遂げた革命でした。それによって獲得された「人権」は、プロレタリアートにとっては、「失業の自由・貧困の自由・無教育の自由」でしかなかったわけで、平等についても、「法は荘厳な平等性をもって、富める者にも貧しき者にも、ひとしく橋の下で眠ることを禁じ、路上でもの乞いをしまたパンを盗むことを禁止している」(アナトール・フランスの言葉だそうです)というものでした。

 これに対して、チャーティスト運動に始まるプロレタリアートを中心とした政治運動が、普通選挙制の進展と併行するようにして、人権の実質的保障・実質的平等の保障を進めてきたのだと思います。パリ・コミューンへのマルクスの関与については留保しますが(大昔に、ガリーナ・セレブリャコワの『プロメテウス』日本語訳版で読んだだけで、『フランスにおける内乱』さえろくに読んでいないので…)、パリ・コミューンが実施した施策の先駆性は、明白ではないでしょうか。私の理解では、国防政府がそれを「血の弾圧」で粉砕したのだと理解していましたが…。

 そして現代21世紀のこの日本では、現在の日本国憲法に基づく統治体制の下で、選挙を通じて国会における安定的多数派を形成し、議院内閣制を通じて行政権を行使し、司法権の頂点の指名権をも平和的に取得することが可能になっています。もちろん、それだけでは、「権力を握った」と言えないでしょう。「権力」は事実概念であり、政治的支配力を意味すると思うからです。しかし、実際の国家機構を、統治制度を通じて動かすことが安定的・自立的にできるようになれば、政治権力の所在は移動したと言えるのではありませんか。

 21世紀の、日本という国の現状で、政治権力を実際に移動させ掌握する方法は、基本的に選挙制度を通じた(ブルジョア)民主主義的・平和的な方法だと考えていますが、ロム3さんは結局、このような方法を通じてでも、「権力獲得を積極的には目指すべきではない」とお考えなのでしょうか。

 それとも、「権力を獲得する必要がある」という考え方の中に、必然的に「権力維持のため人権を抑圧しかねない危険がある」とお考えなのでしょうか。その場合、ロム3さんの論旨で実現された「社会主義」社会では、政治権力を行使する「政府」はどのように評価されるのでしょうか(存在を許されないのでしょうか)。

 なお、蛇足ですが、北朝鮮は当初から「社会主義」を目指していたかどうか、最近では、疑わしく感じています。
 以上、毎度長くて済みませんが、よろしくお願いいたします。