ところで、もちろん私は、社会主義に至る過程での部分的改良とし て、現在の社会でもさまざまな「人権擁護活動」がぜひとも必要だと考えていま す。
私も全く同様に考えています。
この世の中でなぜ人権が侵害されたり抑圧されるのかを考えた場 合、非常に平たくいえば、結局それは、世の中の政治構造が、大資本やその取り 巻き連中の都合に合わせて作られているからであり、これを根本的に変えない限 り、人権侵害・抑圧はなくせないのではないでしょうか。
おっしゃることは、その通りですが、それ以前の封建制に比べれば人権は 進歩したのではないでしょうか。アメリカでは黒人の女性が国務大臣になってい る時代です。日本でも、農地解放が行われて貧農が無くなり、娘を女郎に売り飛 ばすということも無くなりました。従軍慰安婦の中で、圧倒的多数は日本人女性 だと思います。慰安婦同志の中でも人民差別はあったと思うし、外国人の中には 拉致されて慰安婦にされた人もいることが問題となりますが慰安婦という制度自 体に一番の問題があったと女性としては考えます。もっとも、慰安婦がいなけれ ば、現地女性がもっと多く陵辱されたことでしょうね。それを防ぐための処置 だったとも考えられます。
>政治が必要ない。ということでは決してありません。
>権力は自分から進んで取るよりも、転げ込んでから受け取る方がいい
ここでロム3さんは、社会主義実現のためには結局「権力の獲得」が必要であ るとお考えのようにも読み取れます。
現在の政治では、権力を取ることに非常にうまみがあります。
しかし、権力をとっても、苦労なだけだと考えるようになったら、誰も権力を
取りたくないでしょう。そうなったら、共産党さんどうか首相になってくださ
い。と、言われるのではないかと思います。
今、日本は、莫大な負債を抱えている。もし、インフレに火がついたらハイ パーインフレになるかも知れない。その上、東京に地震でも来たらもうなすすべ もなくなる。そんな状況が来た時、庶民に期待されて第1党になればいやが上で も政権をとらざるを得ないと思います。
「2.人権を守って行けばいつかは社会主義は実現出来る」という 場合の、「いつかは」を、できるだけ早めるために、「権力が転げ込んで」来る ように客観的状況に働きかけて、それを促進する自覚的・意図的な運動は、必要 ないのでしょうか。
今は、権力を取るより、足腰を鍛える方が重要だと考えます。「とおりす がりN」さんが言われているように、資本主義の成果の上に社会主義が生まれる のであるから、資本主義のことすべてをわかっていないとその政権は維持できな いと思います。まずは、現在の権力者が権力をとっていても何のうまみがない状 態を作り出すことが肝要かと思います。
ロム3さんの論旨でどうしても気になる点は、「権力を握る」とい うことを、全体としてのロシア革命や中国革命のように、いわゆる暴力革命と まったく同視しておられるのではないかということです。
これまでの共産党路線では同じ事だと思います。かってはあった「史的唯
物論」が、不破時代に入ってまったく捨て去られてしまいました。全国に300
議席もの候補者を立てたことがその証です。
そのために支持者はどれだけ苦労させられたか。
政党助成金は遠慮しても、議員年金を共産党議員が遠慮したという話は聞きま
せん。
国民年金受給者は、1ヶ月6万円の年金でやりくりしながら、赤旗を取り、カ
ンパを出しているのです。
こういう党が政権をとれなかったことに今は感謝しています。
近代市民革命は、「自由・平等・友愛」という「人権」を掲げたブ ルジョアジーたちが、「まず暴力的に」「政治権力を獲得して」成し遂げた革命 でした。それによって獲得された「人権」は、プロレタリアートにとっては、 「失業の自由・貧困の自由・無教育の自由」でしかなかったわけで、平等につい ても、「法は荘厳な平等性をもって、富める者にも貧しき者にも、ひとしく橋の 下で眠ることを禁じ、路上でもの乞いをしまたパンを盗むことを禁止している」 (アナトール・フランスの言葉だそうです)というものでした。
これに対して、チャーティスト運動に始まるプロレタリアートを中心とした政 治運動が、普通選挙制の進展と併行するようにして、人権の実質的保障・実質的 平等の保障を進めてきたのだと思います。パリ・コミューンへのマルクスの関与 については留保しますが(大昔に、ガリーナ・セレブリャコワの『プロメテウ ス』日本語訳版で読んだだけで、『フランスにおける内乱』さえろくに読んでい ないので…)、パリ・コミューンが実施した施策の先駆性は、明白ではないで しょうか。私の理解では、国防政府がそれを「血の弾圧」で粉砕したのだと理解 していましたが
何事にも、時間がかかります。秋の彼岸と、春の彼岸は、太陽が同じ位置 にあります。にもかかわらず気候は全く違います。冬至は太陽が全く遠くにあり ますが、冬至以後のほうが夜明けは早くなりますが、気候は大寒を迎えて寒くな ります。経済問題にも時間差があると思います。夜明けが一番くらいからと言っ て、夜がもう一度くるかのようにあせってはならないと思います。
21世紀の、日本という国の現状で、政治権力を実際に移動させ掌握 する方法は、基本的に選挙制度を通じた(ブルジョア)民主主義的・平和的な方 法だと考えていますが、ロム3さんは結局、このような方法を通じてでも、「権 力獲得を積極的には目指すべきではない」とお考えなのでしょうか。
苦労して、権力を獲得したり、維持するのはばかばかしいと思っていま す。実力があれば、いやでもリーダーにならざるをえない時がくるからです。ま ずは実力をつけることに努力します。
それとも、「権力を獲得する必要がある」という考え方の中に、必 然的に「権力維持のため人権を抑圧しかねない危険がある」とお考えなのでしょ うか。その場合、ロム3さんの論旨で実現された「社会主義」社会では、政治権 力を行使する「政府」はどのように評価されるのでしょうか(存在を許されない のでしょうか)。
よく昔の活動家の中には、今は、社会主義実現のために闘うが、もし、そ の政権が悪いことをしたら、今度はその政権をつぶすために闘うと言っている人 々がいました。
なお、蛇足ですが、北朝鮮は当初から「社会主義」を目指していたかどうか、最 近では、疑わしく感じています。
北朝鮮に政権の選択の自由は全くありませんでした。戦前は、日本に併合
され、戦後は、ソヴィエットと、中国の属国にされたと思います。
「喜び組」は、金正日一人のためだけでしょうか。多分、ロシアや、中国の高官
を喜ばせるためにあるのだと思います。
中国は、脱北者をなぜ北朝鮮におくり返すのですか。送り返せば処刑されるの
を承知していて、アメリカはすべての脱北者を引き受けると言っているようで
す。そうして、今度はイラン攻略の兵隊にしたてあげるのかもしれませんが。で
も、アメリカの方が頼りがいがあります。
現在中国のやっていることは、天安門以上の人権蹂躙だとおもいます。
因みに天安門事件については、私はとうしょうへいの取った処置は妥当だった
と思っていました。実際、天安門広場では死者がでないでほかの場所で軍と学生
が衝突したのをメディアが大々的に報道したという話も聞きました。
日本共産党の区会議員で、「八百川 孝」さんという人がいます。
この人の考え方は、私の考えに近いところがあります。
彼のホームページに「夢・共産主義」があります。私はまだ全部読んではいま
せんが、年代別によく整理されていると思います。
是非、読んでみてください。
URLのコピペの方法がわからなくて、URLを記載できませんが、”やおかわたか し”で検索するとすぐ出てくると思います。