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「北朝鮮問題」討論欄

間違いは正さなければいけない

2005/02/05 川上慎一

 以下の3本の投稿で始まる一連の「論争」があります。私ごときがくちばしを 挟むことではないかもしれませんが、少し私の見解を申し上げさせていただきた いと思います。結論的には、この論争を収束させた方がよいと思うからです。
①後退して行く社会主義とは・・・(ロム3) 05/1/20
②「騒ぐな!朝鮮人よ」などと言うのか(銀河) 05/1/22
③他人の投稿はよく読んで批判しましょう(原 仙作) 05/1/24

■銀河さんの誤読
 まず原さんと銀河さんの討論についての私の感想を申し上げます。「ロム3」さんと銀河さんの討論はひとまず「さておいて」、銀河さんは「原さんよ 下手に騒がず 上手に騒ぎましょう05/2/3」の中で、「原さんが『銀河さんがマルクスを誤読した』という批判をしている」として反論をされています。銀河さんの数本の投稿から「原さんが銀河さんのマルクスの誤読を指摘した」と銀河さんが理解しておられることはほぼ間違いありません。
 これは率直にいえば、銀河さんの誤解だとしか思えません。原さんが指摘する「誤読」とは「銀河さんが①を誤読した」というものであって、銀河さんが「マルクス、ゴータ綱領批判を誤読した」というものではありません。これが第三者がみてごく自然な理解であり、「追記になるが『ゴータ綱領批判』を『誤読した』と私を辱める前に私の投稿を読み返してください。」(自己責任で収束させたい 原様へ(銀河)05/1/31)は、第三者からみて明らかな「銀河さんの誤読」なのです。①と②についてはあとから私の見解を述べますが、少なくともこの点では銀河さんが間違っています。これは私が指摘する「銀河さんの誤読」です。このような誤読、誤解を前提として組み立てられた討論は、銀河さんの投稿がせっかく興味深い内容を持っていても、興味を損なうことになってしまいます。この点については銀河さんが正確に理解されることが必要でしょう。

■投稿①について
 この投稿は銀河さんが②を投稿される前に私も読みましたが、私の読解力不足 のせいか、投稿者が意図するところをじゅうぶんには読み取れませんでした。銀 河さんはそれ以前にロム3さんと討論をしておられたようですが、私はそれにつ いてはあまり精読していませんのでこれについては申し上げることができません。  投稿①は意味をじゅうぶんくみ取ることができなかったこともあるし、気にな る表現もありましたが、もともと厳密な社会科学的な文章ではなく、普通の市民 の生活感覚で書かれたものだと私は思いましたから、それほど気に止めることも ありませんでした。
 気になる表現としては、たとえば「北朝鮮という国家は、……、いまや奴隷制国 家へと逆進撃を演じている」(①より)というものがあります。比喩的表現でしょ うが、北朝鮮を奴隷制国家と定義するとすればそれは明らかに間違いですが、そ れでは現在の北朝鮮を史的唯物論でどのような社会と定義することができるで しょうか。「生産手段の私的所有の廃絶」だけで社会主義社会と定義することは できないので、「北朝鮮は社会主義である」と断言する自信は、私にはありません。
 また、金正日政権が中国流の「改革開放政策」に部分的に足を踏み出している ことも事実であり、「奴隷制国家へと逆進撃を演じている」というのもロム3さ んの一面的な理解でしょう。「生産力が、生産関係を規定するという唯物史観に 従えば、当然の成り行き」(①より)という表現も受け入れがたいところがありま すが、私たちが普通に使う意味での民主主義は「豊かさ」という物質的な根拠が なければ実現しないという意味では、ロム3さんの見解も理解できないわけでは ありません。
 銀河さんは辞書を引用して批判していますが、「騒ぐ」という言葉も比喩的な 表現として使われたということに過ぎないと思います。辞書を引けば「騒ぐ」と いう言葉は、ネガティブなニュアンスを持つ言葉ですが、何か楽しいこと、うれ しいことがあったときなどに「今日はみんなで飲んで大騒ぎしよう」という使わ れ方もするのであって、辞書による古典的な意味とは異なる使われ方をするもの です。ロム3さんがネガティブなニュアンスで「騒ぐ」という言葉を使っていな いことは、「『下手にさわがないで。上手にさわごう。』と、提唱したい」とい うところからも読み取ることができます。
 投稿①は、北朝鮮や従来の社会主義(者)を「揶揄」するかのような印象を受け ないこともありませんが、ロム3さんの他の投稿を読むと、社会主義に何らかの 共感や憧憬を感じておられる部分を読み取ることができるのではないかと思いま す。「銀河さん、どうか冷静になって下さい。ロム3さんは反共ではないです よ。05/1/27」というスパルタカスさんの投稿などはそういう面を理解してのも のだと思います。
 結論的にいえば、①の投稿に対する批判として②の投稿は適切なものであったと は私には思えません。

■批判は正確に
 銀河さんは「共産党員であるあなたのやり方を見ていると、かつて多くの同志 を批判と自己批判で除名や、除籍、離党させた日本共産党各級機関のことを彷彿 と思い出させさせます。」(原さんよ 下手に騒がず 上手に騒ぎましょう 05/2/3)と書いておられますが、もし私の読み落としであればお詫びしなければ なりませんが、原さんは「共産党員である」と書かれたことがありますでしょう か。銀河さんは「共産党員であるあなた」という断定をしていますがこれは適切 なことでしょうか。
 そしてこともあろうに「かつて多くの同志を批判と自己批判で除名や、除籍、 離党させた日本共産党各級機関のことを彷彿と思い出させさせます」などと非難 しています。銀河さんのこのような表現は、原さんが共産党員であろうとなかろ うと、原さんの名誉を著しく傷つけるものとなります。繰り返していいますが、 銀河さんのこのような批判は事実に基づくものではなく「思い込み」の上に築か れたものです。

■原さんの真意はどこにあるか
 原さんの投稿の真意はどこにあるのでしょうか。私は「銀河さんのこのような 議論の仕方では、ロム3さんを説得できないのはもちろんのこと、社会主義と は縁遠い多くの国民と議論することもできないのではありませんか? 私が心 配するのはそのことです。もう、これ以上、左翼が国民から見放されるのを見た くはありません。」(③より)だと思います。銀河さんにはたいへん失礼な言い方 になりますのでお許しをいただきたいのですが、原さんがあえて「火中の栗を拾 う」ことをされた理由はまさにそこにあるのではないかと私は思います。

■大衆から遊離してはいけない
 このサイトでも時折、(従来の)社会主義をファシズムと同一視する見解を見受 けますし、かつてのソ連、東欧の社会主義国を「人権抑圧社会」としてしか描か ない見解が一般化しているような感さえあります。
 日々の暮らし、明日の暮らしにさえ不安を抱くような人であってさえ、そのよ うに理解している人が少なくありません。かつての社会主義国にあって、たとえ ば、支配政党である共産党・労働者党を批判する自由はなかったことは事実であ るし、今日の先進資本主義国でおこなわれているような普通選挙を基本とする政 治体制がなかったことも事実ですが、この社会には先進資本主義国におけるよう な「不必要なほどの物質的な豊かさ」はなかったにしても、ほとんどの民衆が普 通に暮らしていける時代があったことも事実です。
 私は20世紀末にある東欧の旧社会主義国へ実際に行って、普通の庶民に話を聞 いてきました。私は彼らに「かつての社会主義の時代と社会主義が崩壊した今日 とどちらがよいか」ということを、わずかな人に対してではありますが、尋ねた ことがあります。第2次大戦後の革命で、土地を取り上げられた経験がある老農 民を含めて、すべて社会主義の時代がベターだったという回答でした。
 希望すれば誰でも経済的な心配をすることなく上の学校へ行けたし、卒業すれ ばだいたいは自分が希望する仕事に就けたといいます。夏のバカンスも、何もフ ランスやイタリアの専売特許ではなく、1か月近い休暇がとれたものだったそう です。
 社会主義崩壊後、労働条件の切り下げや失業、インフレなどの生活の困難が進 行する一方で、ニューリッチというごく少数の人々が現れ、豪邸を建て、湖で ヨット遊びをする様をみて、その不合理を嘆く声も聞きました。かつての社会主 義国には「落ち着いたいい生活」があったことも事実なのですが、いま私たちの 身の回りではそのような評価すべき側面が報じられることもないし話題になるこ ともありません。ちょうど、人権、民主主義を語られることは多いが、平等とい うことがほとんど語られないことと符合しているのでしょうか。
 これらの国を支配した共産党、政府がどうしようもないほど腐敗、堕落したこ とも事実でしょうし、崩壊するにあたり帝国主義諸国の執拗な働きかけがあった ことも事実でしょうが、これらの社会主義国が崩壊したことは歴史の事実である し、これを受け入れないわけにはいきません。それにしても、これらの社会をナ チスと同列視したり、「社会主義とは縁もゆかりもない」などとする見解に私は 絶対に同調しません。
 また一方でこれらの国々においても国家権力による暴力的な抑圧があったこと も事実でしょうし、ポルポトなどのおよそ社会主義の理想とは相容れない事実も あったし、今日の北朝鮮における事態も20世紀社会主義の延長線上にあるのか もしれません。
 かつての社会主義はその両面をあわせもっていたというべきものであって、も し新しい社会主義を展望するならば、20世紀社会主義の歴史を総合的に総括す ることが必要だと私は考えているのですが、社会全体の風潮はおよそそのような ものとはなっていません。
 今日では20世紀社会主義の否定的な側面ばかりが一面的に、極端に誇張され て語られることが多く、社会主義を語ることにさえたいへんな苦労を感じるとい うのが率直なところではないでしょうか。
 思想的な面、ものの考え方の面からいえば、私を含めて共産党員、非共産党員 などの古い活動家の中には、自らの考えに固執して、現実の変化、周りの状況に 柔軟に対応できない傾向がありがちです。ともすれば周りの状況から突出した思 考、行動に陥る危険性も否定できません。レーニン全集のどこに書いてあったか などは思い出せませんが、レーニンという天才的な革命家は常に大衆の中に入 り、大衆から学んで自らの思考を鍛え直し、方針を作り上げたという印象が私の 中にあります。実践活動家としての私の経験ではありますが、いかなるときにも 「大衆から遊離してはいけない」と自戒しています。そうすれば「周りの状況か ら突出した思考、行動に陥る危険」は避けられると思います。
 ロム3さんとは見解の相違はあるでしょうが、実際に一緒に何かの運動で共同 することもあり得る人ではないかと思います。スパルタカスさんの諫言にも少し は耳を傾けて、この間の投稿のやりとりを検証されたらいかがかと思います。  討論が続くとついついエスカレートしすぎるものであるし、言い過ぎてしまう こともあります。だから、討論はだいたい論点が出尽くしたところで打ち切るこ とがいちばんよいと私は思っています。
 銀河さんはご自身でロム3さんとの「騒ぐ」に関する討論を収束させたいと 言っておられたので、私は「原さんよ 下手に騒がず 上手に騒ぎましょう 05/2/3」を読むまでは、この投稿をするつもりはありませんでした。銀河さんが 「原さんが『マルクス、ゴータ綱領批判を誤読した』と銀河さんを批判した」と 誤解をして、これに拘泥して討論を続けられたので一言申し上げました。