原様、川上様、スパルタカス様、ほかご一同様。
表題の通りに原因を日本語の安易で不注意な使い方がいけないのだということを説明し最後にします。
私がここで書こうとしていることはもう討論ではありません。
「騒ぐ」問題でこじれたのはもともと日本語のニューアンスがさまざまなので、どうとも取れるということがあり、私はそれを差別的に受け止めたことが理由です。民族問題や部落問題、障害者問題などではニューアンスによって差別とも取られる言葉をたとえ善意であっても慎むべきだということを申し上げます。
私はこのような論争が何から来るかと考えていました。私は日本語というものがあいまいな言語だということに気がつきました。
たとえば「結構」という言葉があります。「結構ないただき物」といえば「上等な物」の意味です。「結構です」といえば「要らない」という意味です。人様に物を差上げる時に相手が「結構ですね」といった時どちらの意味に取ればよいか迷った経験もあるくらいです。それまでの相手の私に対する親近感などから判断するしかないが、それすらわからないこともあります。
「騒ぐ」についても私のように受け取るかその反対に受け取るかは言葉そのもののもつ不明確さに由来していることに気がつきました。どちらの解釈が正しいなどと断定できないのです。辞書的解釈もあまり役に立たず、結局川上さんが調べるように過去の彼女の考え方を見ていくことになります。そのうえで差別でないといわれます。しかしそう思われるのは川上さんであり他の人であっても絶対的なものではありません。判決は不可能です。
同じ資料を私が調べれば差別であると判断するかもしれません。ましてや私はそれまで彼女と討論していた時に不誠実な彼女の対応と労働者に対する差別的な言葉、遅れた国に対する尊大さと大国主義のようなものを見てきたという印象があり、そこからも不明確な「騒ぐ」という意味を否定的に取ります。私は揚げ足を言葉尻で取ったのではなくその言葉に含まれる意味をとって判断したと思います。
だから悪い意味で解釈し反発したと非難されるいわれはありません。遡って彼女の投稿を調べてすら私が受け取る内容と川上さん他の方の受け取る内容が違います。その受け取り方によって正反対の彼女に対する態度が出ます。もしもひどい差別を感じたとすれば彼女を味方という考えをもつ前に強く非難することになり普通の人に対するものと違ってきます。レーニンが「ユニウスのために」という小論文を書いたがローザ、ルクセンブルグが被抑圧民族問題を忘れていることに対する厳しい批判があります。わたしをレーニンと並べて書くのはおこがましいのを承知の上ですが民族問題で批判が厳しくても斟酌する必要はないと思います。
川上さんのいわれるように騒ぐには負のイメージがあるとは限らないことは理解しました。相手と対立したくないという民族性のためか日本語そのものが非常にあいまいな言葉を多くもっていると思いました。
一つの言葉が表裏正反する二つの意味をもつ場合に、表を取るか、裏を取るかは各自の感性です。私がそれを差別と受け取ったとして糾弾をしたとしてもその言葉のもつ意味の二重性から考えれば非難されるいわれはありません。私は障害者だから差別に対しては民族的なものであれ、貧富であれ、あなた方以上に鋭く感じるのかもしれません。過敏だというならばそれまでです。
おそらくは朝鮮人はさておき被差別部落民も同じでしょう。たとえば部落問題の糾弾闘争がかつてありました。糾弾される側には理由のわからなかったことも多かったでしょう。矢田問題、八鹿町問題、一杯あります。糾弾そのものを否定される方もあります。しかし糾弾しなければ理解されない場合もあります。そのようなことがあったから差別用語が公式にはなくなろうとしています。(ここでは糾弾闘争の否定的な側面は言及していません)
原さんは「下手に騒ぐな、上手に騒ぎましょう」と私が名指しで書いた時多分いやな思いをされたでしょう。他の方も銀河はなんというえげつない奴だと感じたかもしれません。もしもえげつないとかいやな思いをされたならば言葉のもつ意味が理解されたと思います。もしもそう思われたならば朝鮮人が不快な思いをされるかも知れないことに想像が及ぶでしょう。「朝鮮」と言う普通名詞であってもそこには在日も加えたすべての朝鮮人が含まれているから問題はもっと大きいと思います。私と原さん、ロム3様などとの個人的対立など物の数ではありません。
その他私たちの討論が過熱したのは二重性を持つ言葉を民族問題で彼女が安易に使用したことに端を発しておりもう繰り返す気はありません。又マルクスのことなど派生した対立は問題にしないことにしました。
少なくとも民族問題、その他被差別に関することが関わりそうな問題について、今後どちらとも取れそうな表現はさざ波通信では慎まれると信じこの件に関して終えます。
なお 原様を共産党員といったのは誤認です。謝ります。党員という先入観から査問問題を出したが失礼の段お詫びします。