今年は戦後60年の節目の年に当たる。
1944年から1945年にかけ、名古屋・三菱重工が当時13歳から15歳の少女たちを朝鮮半島から強制連行し、強制労働させた朝鮮女子勤労挺身隊裁判で、名古屋地裁は事実関係は認めたものの「これらは既に1965年の日韓条約と日韓協定で解決済みであり、原告のハルモニたちは請求する権利を失っている」とのことで、冷酷無比な原告敗訴の不当判決を下した。
この裁判は戦前、戦争への動員によって不足した労働力を補う為に、朝鮮半島から幼い少女を「進学できるしお金ももらえる」等と騙して強制的に連行し、男並みの厳しい労働を強いて放り出した、日本と軍事工場三菱重工を被告とした戦後補償裁判の一つである。
この裁判は他の戦後補償裁判と同じく、韓国が軍事独裁政権から解放され民主化が進むと共に開始された。
1985年に被害事実が判明、1995年裁判に向けての取り組みが開始され、1999年3月提訴された、そしてやっと今日2005年2月一審判決の日を迎えたのである。
もう70歳代後半から80歳代を迎えたハルモニにとって、今日の日は、少なくとも60年前の労苦が認められ、6年間の長い裁判で訴えたことが実を結ぶ日となる筈だった。
しかし車椅子で、痛い足を引きずり、やっとたどり着いた原告席で聞いた裁判官の言葉の余りにも冷たい事か、裁判官は60年間の労苦と、原告・証人としてのハルモニの6年間を、たった1分半で切り捨てた。
主文、訴えを棄却する
裁判費用は原告の負担とする
理由、原告が受けた被害は概ね認められる
しかし昭和40年の日韓条約と日韓請求権協定によって、個人の請求権は解決されており、韓国人には日本に如何なる請求権も主張出来ないと解するのが妥当である。
たったこれだけ言い渡して裁判官は無表情に退席した。
取り残されたハルモニたちはその場に倒れ、号泣した、「この日を待ちに待っていた」「なぜ日本人はこんなに惨いのか」とハングルと日本語で訴えた。
韓国では「日帝強占下動員被害真相究明法」と日韓条約の公文書公開によって戦後補償に対する関心が高まり、一部には日韓条約の廃棄、見直しの声が上がっている。
判決文は全部で104ページ、そのうち97ページは事実関係の認定に費やした、しかし後の数ページでその全てをひっくり返したのである。
この6年間の裁判とは何だったのか、ハルモニたちの懸命の訴えに対し人間性をひとかけらも感じられない裁判とは何なのか、そして60年前の事実と認めざるを得なかった出来事にの責任は一体誰が負うのか。
今日の判決には平日にかかわらず、名古屋で戦後補償に関心を持つ市民・労働者が寒空の中、150人結集した、弁護士は控訴を決定し、更に闘って行くこと発表した。
ハルモニたちの高齢化が進む中で、早急な解決が求められている。