日本政府は韓国政府の戦後60年の節目の年に当たっての歴史的見直しと、戦後補償問題への積極的姿勢に押されてか、今年8月をめどに戦前の「朝鮮人徴用」の実態調査を実施し、その結果を韓国に伝えることを決めたと言う。
政府もやっと重い腰を上げたかという気もするが、やはりというか今回の実態調査は民間徴用に限られ、しかも100社のみ対象とするから、既に研究者や在日諸団体、市民団体で調査済みの範疇を越えられるかどうか疑問も残る。
しかし、これまで戦後補償裁判で一貫して我関せずの態度を取ってきた日本政府へ、大いなる保留をつけながら結果を見守りたい。
また今、韓国から日本各地に残る植民地時代の強制連行・強制労働の傷跡を確認する為、「真相究明調査団」が来日し、調査を始めている。
これは2月より「日帝下強制動員被害真相究明特別法」によって被害申告の受付が開始されており、この裏づけとしての調査でもある。
ともかく朝鮮・韓国の人々また在日の人々にとって、戦後60年は余りにも長く大きな損失である。
さてある朝鮮半島に関する戦前戦後史をまとめた本を読み、まさに劇的とも云える歴史の真実、真相を知ることが出来た。
「つくる会」教科書系や石原慎太郎といった連中は、日本軍によって約20万人の朝鮮人女性が、軍隊慰安婦とされ、性奴隷とされた日本軍軍隊慰安婦問題は「歴史の捏造であり、被害を受けた朝鮮人女性は公娼で、商売の為に慰安婦となった」と強弁し、日本軍の関与を否定してきた。
だがこの本は、まさしく彼らの主張がいかに乱暴なごまかしあり、悪意に塗り固められた物であるかを鮮明にしてくれている。
1910年の「日韓併合」のもととなった1876年の「江華島条約」は日本が軍事力を背景にして韓国に、釜山などの開港、土地賃貸借権、自由通商貿易権、治外法権などを強引に飲ませた不平等条約である。
だがこの江華島条約締結によって、もう一つ日本から韓国に移入されたものがある、それが「日本式公娼制度」であり、売春を生業とする「娼家」だった。
「日本式公娼制度」とは、江戸時代から明治を経て昭和38年に赤線が廃止されるまで日本に存在してきた、遊郭のもとで娼妓とされた女性の身体を国家的に管理し、縛り付ける売買春制度である。
江華島条約締結によって、釜山など日本人居留地に日本人を対象に公娼制度が導入されていく、日韓併合以降1916年には朝鮮総督府によって「貸座敷取締規則」が法整備され、居留地以外にも日本軍の駐屯地には公娼宿が設置された、1910年から1920年において、日本人の買春は朝鮮人男性の57倍にも及ぶという統計があるくらい、公娼制度はまだ日本人の習慣だった。
元々厳格な儒教社会で、強固な家父長制の下で、また早婚が多かった朝鮮半島には売買春の習慣も制度も存在しなかった、そこに日本の悪弊が導入されたのである。
15年戦争への突入、満州設立や中国全土的な侵略、そして戦線拡大による南方への侵略の過程で、公娼制度はより強化されていく、だがやがて公娼としての日本女性では需要に応じきれなくなり、軍の要請と管理の下約20万人の朝鮮人女性や、まだ初潮もない女の子が無理やり、或いは騙されて「軍隊慰安婦」として慰安所に送り込まれると言う悲劇となったのだ。
やがて植民地からの解放、しかし女性たちの安堵は続かなかった、南朝鮮では婦女子売買や、公娼制度廃止令も出され植民地制度の廃止が試みられた、だが1950年朝鮮戦争が始まりやがて休戦、そして南北分断固定化が進む、だがこの混乱の中で戦争で夫を失い、また家族離散して夫と離れた女性達が、生き残る為に止む終えず選んだ道、それが米駐留軍相手の売春の道である(ベルリン陥落後のドイツ女性や日本の「パンパン」よりより深刻と言える)。
朝鮮戦争前5万人だった売春婦は、休戦後約30万人に膨れ上がったとも云われている。
戦後、日本が高度成長期からバブルに至るころ、日本企業の営業部門などで得意先を「キーセンパーテイー」に招待することが流行った、「旅費も安上がりで日本では味わえない優しい韓国女性の心のこもったサービス」を売りにしていた。
「キーセン」とは本来韓国の宮廷で、踊りや歌、演芸を担当した女性たち「妓生」の事であり、もともと一般庶民には関係ない世界の事だ、だがこれが逆に日本の観光資本に利用され「キーセンパーテイ、イコール韓国の公娼制度」「買春」として韓国の女性達が犠牲となったのである。
バブルの崩壊後、課税制度の厳格化と企業の自粛によって「キーセンパーティ」は表向き解消された、しかし中年女性がメインとなる韓流ブームに便乗した形で、一部ではあるが「日本の懲りない男たち」を対象にしてソウルなどで「キーセンパーティ」復活の情報がある。
慰安婦制度を否定し、NHKの偏向番組で犠牲者を非難する、厚顔無恥な日本の政治家たちは、自らは何も知らず調べようともせず、アジアの人々に向って恥を曝している。
今、私たちには、彼ら右翼排外主義的政治家どもの「真相究明」を徹底追求すべき責務が、求められいるかも知れない。