長く停止状況にあった「6者協議」が中国を媒介に、来週にも再開の見込みと言
う。
主には全体にもかかわる朝鮮の核開発・平和利用のウエイトが高く、日本政府がこだ
わる拉致問題は日朝間の個別課題として些か影が薄い、こちらは「諸懸案の解決に期
待を表明」の段階に止まっているようだ。
しかし思うのだが、このところの日本の朝鮮の「核平和利用問題」に対する態度は
ひどく極端である、「平和利用が核兵器開発に転用される」との懸念からがだろうが、
もとよりアメリカの「核の傘」にスッポリ身を任せ、そのアメリカから大量保管、大
量生産を懸念されても尚、プルトニュウムを異様に蓄え、そして「地震」の度に原発
が自動的に停止し、「大丈夫か」と断層の地図入りで解説される、「核大国日本」に
朝鮮を非難する権利など一切ない。
これは韓国が朝鮮の「核平和利用」に一定の理解を示すのと、余りにも対照的であ
る。
私自身は、当然と言え反原発、もんじゅや六ヶ所村施設の解体の立場に立ち、朝鮮
の反人民的な核武装には絶対反対であるが、このところの日本外務省の対朝鮮核交渉
は、私など素人にも透けて見えるお粗末さと言うしかない。
アメリカが保有する核弾頭の中で、その4000発が極東・東太平洋に配備され、
内1000発が韓国から朝鮮に照準を定め、即発射態勢にあるのだ。
核の標的とされた金正日の恐怖は度を越したものだろう、それだけでも安易な妥協
が出来ないのは当たり前である。
さて、戦後60周年の今年の夏、日本でもさまざまな催しものがあった。
その中で特に感じたのは、朝鮮半島における「南北和解」の素晴らしいまでの促進
ぶりが、各方面から具体的に伝えられた事だ。
政治的には6者協議を始め、まだ「南北平和統一」のスローガンの段階、理念面に
止まっているが、経済的には日本の一部における「経済制裁の声」に反し、南北の交
流は深まっている。
催し物の会場や、関係個人、そして書物で、「既に経済面で南北を隔てる38度線
は解消した」」と何回となく聞くことが出来た。
南北間の鉄道の開通、道路の整備開通、西海岸に於ける漁業協定の締結、チェジュ
(済州島)海峡の朝鮮船舶の開放、肥料農薬の援助、そして観光面での「金剛山」に続
く「聖地・白頭山」の開放、ケソン(開城)やピョンヤン周辺地域の市場的発展などに
は、目を見張るものがあると言う。
政治面でも6,15での南北交流が盛大に行われ、韓国から超党派の国会議員20
0名がピョンヤン入りした、また8,15でも相互訪問が行われ、また朝鮮戦争によ
る「離散家族」の映像を通しての面会は、日本でも紹介された通りである。
そして何よりも私が感じ、嬉しかった事は、韓国や、在日の若者が解放60年にし
て積極的に行動を開始したことだ。
韓国・テグ(大邸)から来日した20から30歳の若者達は、「つくる会教科書採
択採反対」とハングルと日本語で書いたゼッケンをつけて日本各地を「行脚」した、
東京や大阪、広島などで日本の若者達と積極的に交流を深めた。
そして例年になくよく聞いたのは、南北朝鮮、そして在日の人々の「同胞意識」の
高まりだ、「我々は同じ民族なのだ」と言う意識はこれからますます強くなって行く
だろう。
朝鮮半島の平和的統一にはまだ時間がかかるかもしれない、しかし私たち日本人が偏
狭なナショナリニズムに囚われ、固執していると、何時の間にか南北の「政治的な3
8度線」もなくなっているかも知れないのである。
なにはともあれ、隣人として、「近くて近い国」に住むものとして、南北朝鮮、中
国の人々との交流を強めて行くことの必要性を、より実感できた夏ではあった。